東電の犯罪・福島の悲劇に加担した事への無反省。

共産党は最近まで原発推進のくせに支持しない人を攻撃するのやめて

平たく言うと、彼らにとっての都知事選の位置づけは、こういう核への汚れた歴史の隠蔽とロンダリングか?

過去の政策判断を都民の前で正式に謝罪した小泉氏のほうがよっぽどマシという市民の意見もスジが通っている。

少なくとも原発問題では、「自共対決」など存在しなかった。むしろ協調。(こういう「予定調和」でどれだけ「おいしい」関係が築けて来たのか?...大半の党員が三猿主義を決め込んでいる個別事情を山ほど知っている一般市民。市民だけが嗅ぎ分けることが可能な、イカガワシイ世界…)

左掲写真は、原発が破裂した後の2011年6月になっても街頭に貼り続けられていたポスターらしい。

日本共産党への幻想がゼロの人間にとっては、彼らが原発にどんなパフォーマンスをとろうが、「所詮底がしれている」という受け止め方だ。だがそれにしても、なんにも一貫してスジを通していない党派が、都知事選で、一般市民に対して、こんな傲慢な言動と態度をとっていたとは…改めて驚きだ…。これが事実なら、かつてのオウム真理教の信者なみ。

東日本大震災で東電福島第一の使用済み核燃料棒の高濃度放射性物質(広島型原爆の死の灰の数百発分…詳細は『原発震災という視点』 ) が東日本一帯を覆わなかったのは、燃料棒冷却プールの水がかろうじて抜けなかったという、「たまたまの偶然」でしかない。にも関わらず、原子力行政を基本的に容認し続けておいて、反省もなく、風見鶏で世渡りする党派が「わが党だけは」コールを繰り返し、懸命に一本化を呼びかける市民に毒ついていたようだ。

宇都宮氏は敗戦候補のトップになって一体、何がうれしいのだろうか?このポスターへの一抹の反省でもあれば、「細川候補に勝った、達成感がある」などと、とてもとても…喜べないはずだ。

市民が「おかしい」と感じるのは当たり前。巧妙な嘘を見抜く、失ってはいけない大切な感覚だ。

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ブログ「世に倦む日日」のコメントは最新の市民の世論を見る上で参考になる。(世論といっても、ここでは共社になびくような層は対象にしない)

Commented by 33 at 2014-02-28 00:49

ご無沙汰しております.本当に今回の都知事選での社共にはガッカリしたというか,かれらは“脱原発〟が目的ではなく,手段である脱原発運動を続けることが目的になっている気がします.たいてい目的と手段があべこべになるとロクなことはないし,そもそも30年かけて目的を達成する手段なんてどう考えても間違えてるのが分からないんですかね…… 健康のためにカラダを鍛えはじめたのに,そのうちカラダを鍛えるのが目的になった人みたいなもんですからね…… 官邸前の運動も毎回通うと経済的にも身体的にキツすぎて,既にブラック運動と化している気がしますし.二度言いますが,今回の千載一遇のチャンスを潰した社共にはガッカリです……

Commented by やより at 2014-02-28 12:05

30年前から「東京に原発を」という標語がありました。今や、「千駄ヶ谷(共産)と永田町(社民)に、とりあえず原発を」となりそうな気配…。共産党はあい変わらずHPで「自共対決くっきり」などと自画自賛しているが、そうなるほど、ナショナリズムが高進するでしょう。そもそも、なぜ自共の二大対決になるのか?単純タカ派政党と化した自民党と共産党が対決する日本社会のイメージ自体がもう一触即発の戦争状態でしょう。彼らの「自党だけが正しい」という傲慢な一神教的でカルトな価値観と 「わが党以外は自民党の亜流」  と十年一日露骨に叫んできた姿勢に疑問を持てず陶酔している人々には心底同情する。この特異な政治イデオロギーを克服することは重要課題であるだろうし、今回、急な出馬で、市民の票をあれだけ結集できたことは、その力がみなぎっているということです。それこそを左翼は怖れているから、「細川に勝った」というフレーズが出るのです。公益などおかまいなし。左翼の壊死と市民の登場、これが今後のテーマでしょう。

Commented by haku at 2014-02-28 22:17

いろんなプロジェクトを見ていると、5年もやっていると疲れて、もう区切りを付けようよ、という気分になっているようです。これが長期でも一つの目安でしょう。30年とは笑止です。宇都宮氏も志位氏も自分達の目が黒いうちに脱原発を実現したくないんでしょうかね。そんなのどうでもいいよ、と告白しているようなものです。やや旧聞になりますが、プロ野球の縮小問題で、一方のリーダーたる古田氏はまさか30年続けようとは思わなかったし、5年でも御免だったでしょう。おそらくシーズンが終わるまでに決着を付けられなければ負けだと思っていたはず。永久追放さえ覚悟していたそうです。だからこそ集中して取り組むことができ、その必死さにファンや多くの国民が共感して圧倒的な支持を取り付けることができた。自称「運動界」の人々はこの胸のすくような運動から何も学ばなかったのでしょうか。

Commented by pm3.1 at 2014-03-01 01:25

○○な脱原発はダメだ!というように、都知事選で左翼陣営にそういう楔を打ち込まれてしまったような気がしますよね。増税賛成の脱原発はニセモノ、平和主義じゃない脱原発はニセモノ、新自由主義の脱原発はニセモノ・・という具合に、何でもかんでもすべてのテーマについて反対じゃないとダメだというような。これじゃあ永久に話がまとまるわけもないですよ。あれこれ不毛な論争をやってるうちに浜岡がやられるかもしれません。ビデオニュース・ドットコムで宮台氏が仰っていた「左翼の居場所問題」と言いますか、社会問題の継続を願う勢力にとっては願ったりかなったりの状況かもしれませんが、大変困ったことになってきました。大切なのは社会問題の解決であり、社会運動を続けることじゃないんですよね。


《日経も嘲笑気味… 「自共対決くっきり」 になってない “一人お祭り騒ぎ” …》 出典

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1003N_Q4A210C1PP8000/

《 下2行、市民運動を主敵にする、党利党略&セクト主義のあからさまな発言

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核への汚れた態度のロンダリングが主目的の都知事選?

「知的退廃」に開き直る「業界左翼」

まさに「業界左翼」にとっては、「問題の解決は“飯の食い上げ”」であるから、簡単に解決しないほうがいいのだろう。もちろん元々は簡単に解決できる問題ではないが、「飯の種にする」長年のルーチンワークの習慣は、ここぞという解決のチャンスをも見逃してしまう。それが哀しいサガだ。

そして、自分たちとは無関係に、問題が解決されたら、されたで、その後に発生する利権に食らいつくことも忘れない。  森永事件解説ポスターpdf


そもそも、共産党など、ソビエト政権の核兵器と原発を「正義と進歩の技術」として異様に賛美し、その成れの果てからか、わが国の原子力政策に対しても「自主・民主・公開で」という折衷的な十年一日のスローガンで、御用学者の跳梁に間接的に手を貸してきた。

森永事件でも同様の手口で、後遺症なしの結論先にありきの「官製検診」にもぐりこみ、被害者の反対を押し切って権力側に情報を流し、あわよくば御用学者に取り入ろうとした民主集中制だ。

そういう作風でやって来ておきながら、東電の原発が破裂したとたん、しばらく様子を伺いつつ、党勢拡大に有利と判断できるやいなや、表向きの姿勢を変えてみせた。

だが、大手新聞の仕組んだ社民との対談では「数百年先の原子力技術の可能性」まで依然として口にする始末だった。

自党のドグマへの真摯な反省もなく、のらりくらりと美辞麗句を口にしつつ原発推進世論の事実上の下支えをしておきながら、舌の根も乾かぬうちに、自らを「脱原発の旗手」のように演出する舞台として今回の都知事選に臨んだ。過去の政治的二枚舌という犯罪のロンダリングの道具として、立ち枯れた社民を使い倒し、お得意のプロパガンダで過去を清算したつもりになって涼しい顔をしている。
東京都民は候補一本化を要請した。要するに党派は市民の後を歩け、脱原発を実現するために協力せよ、ということだ。党派は、市民の後を歩くなどもってのほかだと考えた。なぜなら、党は民衆を導く領導者ということで「権威」なるものを維持してきたと思い込んでいるからだ。

今回の都知事選は、共産があたかも「大昔から一貫してスジを通して原発に反対してきた」かのような印象を、社民のふんどしを借りて世間に印象づける役割を果たしたという意味で「大成功」であろう。

自党の「原子力に対する汚れた過去」を反省もなく隠蔽するという党利党略から生まれた目標設定から考えると、「細川に勝ってよかった」という彼らの素直な感情の吐露は、確かに「スジが通る」。
そして、もともと上昇志向の強い資質と比較的単純な哲学で動いている安部晋三氏をタマとして、世論操作と政界操縦に長けたブレーンがイメージとして形成する安部政権は、対抗勢力のいびつ化、分散化を奇禍として勢いづく。
「禍根は内にあり」という典型的パターンだ。


「生産力発展至上主義」という1800年代世界観がもたらす「技術社会」への無節操

彼らの歴史観を規定しているマルクス主義の「生産力発展至上主義」は、実はきわめて資本主義的な発想だ。

唯物史観は、人類の歴史発展の下部構造に「生産力の上昇」があると規定し、「人類の歴史は生産力の発展の歴史である」と一面的に規定する。

そして、資本主義はその生産力を「過剰生産恐慌」で定期的にチャンスロスするから、それをなくせば生産力は完全解放され、人類は無限の生産力上昇を獲得するに到ると主張する。そのためには生産手段を資本家や農民から奪取し、生産手段の社会化が必要だ、とする。

そして、共産主義は、生活に対するなんのストレスも存在しない理想社会となる。これがマルクス主義の歴史観の底流に存在する。
だが、「生産手段の社会化」といっても、国民全員がモザイク的に生産手段を所有するなんてことは有り得ない。社会化という「社会」とは、「抽象的な概念としての社会」などではなく、彼らが言うところの「階級社会」を代表する「国家」である。つまり、プロレタリア独裁国家という、彼らが統制関係が逆転したと言いくるめる「階級国家」である。
が、それは結局、国家支配層を牛耳った暁の一党独裁党派の官僚群にすり替わっただけであり、世界の最終目標に近づく運動が開始されたことで、反対者は人民の敵とされる。「労働者国家の代表者」を気取る赤い貴族の私的所有になることには、固く固く口をつむぐ。


「鏡の中の世界」を見て熱狂する「歴史主義信仰」の世界観
所詮、1800年代の西欧世界における科学/技術/社会観を無批判に未だに受け継いでいるに過ぎない。それをプロパガンダという手法で政治的に合理化しているだけだ。まさに、ナチズムなど過去の様々なイデオロギーの亜流が、現代にも容易に復活しうるように…。

赤い貴族の支配をいったん脇に置いたとしても、「生産力の無限の解放」が実現し、悩むことのない消費を資本主義以上に謳歌して、さて、有限資源が枯渇したら、どうするのだろう。さしずめ、超光速で飛ぶ超技術の宇宙船にでも乗って、他の太陽系にまで到達して、エイリアン同士の大戦争に勝利し、人類の幸福が実現されるというのだろう。千万年、数億年先の未来を見通す「預言者」になったつもりで自己満足できる。これがナチズム同様、「千年王国」と揶揄される彼らの「歴史主義信仰」と言われるものの実態だ。

世間知らずを叱られた事のない青二才か、もしくは一般社会とは別に、閉じた利権組織のヒエラルキーの頂点を目指す野心家にしか通用しないシロモノだ。しかも、他のカルト系組織と同じく、まず人間関係で縛りをかけ思考の枠組みを上から統制するから、知的誠実さなどとは無縁となってしまう。おどろおどろしい組織悪を目の当たりにしても、たいていは原因を別物にすり替え、連日刷り込まれる「前衛党無謬論」「全体主義的大義名分論」で合理化・正当化してしまう。彼らが「世間」と思い込む世界は、左右が逆転した鏡の中の「世間」だ。
いずれにしても、こうなると、ガンジガラメにされた人間関係をリセットする勇気をもてる人しか脱会できない。

民主集中制/共産党が人格破壊を引き起こすメカニズム

この俗物的な社会発展観は、しかし「光り輝く理想郷」として「信者」の頭脳の大部分を支配し、革命など実際にはやる気がなくても、資本主義の不正を是正する「唯一の決定的な力・理論」なのだとという思い込みで、思考を支配する。だから自分の意に従わない市民を敵視・弾圧しても、彼らの「歴史信仰」という大義名分から「免罪符」を与えられていると思い込む。

更にタチが悪いのは「前衛党の防衛」という「非常時」を党中央から宣告された場合、公序良俗や道義など真っ向無視の言論弾圧や政治謀略、人権侵害、密室政治、暴力的査問(異端審問)にためらいなく突進する。

  《参考事件:市民が告訴すれば有罪判決を食らうが…。森永ミルク中毒事件 能瀬訴訟 

日頃は表向き「比較的いい人」に見えても、突然、組織員としての別人格が現れる。「カッコつきの革命的正義」を身にまとい、国法と人道を無視した恫喝を凶暴に実行するのだ。「共産党は二重人格を作り人格を破壊する」という元幹部党員らによる指摘現象のメカニズムは、この部分に存在する。

《参考資料:能瀬訴訟 訟控訴審 準備書面 p27─報道、学者への恫喝─社会性の乏しさ全開》

科学は、人類にとって危険な技術を今後も次々に産出するだろう。これは深刻な問題であるが、この現象は何も資本主義社会に限ったことではない。すべての社会主義体制でも同じことが起こった。(ちなみに共産党が、それを「真の社会主義ではない」といえば言うほど、資本主義者も“あれはウチとは関係ない”という言い訳を開発する)

だが、技術はプロレタリア独裁国家が運営管理さえすれば、従来の矛盾は解消されバラ色の未来が訪れるなどというスターリニズム政党の流布する倒錯科学観の煙幕は、今では奇妙で意味不明のごまかしプロパガンダを開発している。「自主・民主・公開」などとは、もっとも縁遠い所に位置するスターリニズム党派が恥ずかしげもなく口にする「自主・民主・公開」(で国策容認)などというズル賢いプロパガンダであり、(※1)こんな子供だましの言い草で、真面目な市民が迷走させさられ市民が泣かされる歴史が東アジアの島国では今後も当分続くだろう。

このような社会観は、今後、何度でも、危険な技術の運用を「民主的運営」の名の下に擁護し、局面局面で党利党略の風見鶏となる。「猫の目解釈」でもって水面下で行われる国策への援護射撃の銃口は、体制を問わず技術が人類に及ぼす問題点を指摘する「非共産」の市民にも同時に向けられている。

これこそ、愚かで「非生産的」、有為な人材の消耗だ。


市民は本来の対抗者と同時に、味方を装うもっと欺瞞的な対抗者との闘いを強いられ、疲弊し、社会改善に挫折するかもしれない。そして、左右の民主集中制的で全体主義的な党派が社会を凶暴な政争と抗争に移行させ、国民の感情を扇動し、その荒廃した全体的精神構造は、他国への矛盾転嫁という国家間の抗争へと容易に転化するだろう。市民的資質を具備する市民社会の成長が未熟で、粛清に明け暮れるDNAを引き継ぐ共産党のフラクションが社会の隅々にまではびこり、党生活者が「生活をかけて」無節操で不正なオルグと粛正という「革命ごっこ」をコソコソと展開し、彼らが存亡をかけて「自共対決くっきり」に見せようと勢いづくような東アジア地域では、そのような潜在的条件が十分に存在している。

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(※1)

森永ヒ素ミルク中毒事件資料館は、事故直後に、今後の脱原発運動において民主集中制の存在が大きな障害物となるだろうとの危機感から、2011年4月9日段階で以下の見解を提示している。

http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-kakujiko01.htm#2011.4.9

【疑問】産業公害における責任回避の常套的「科学論(?)」を通じて原発事故の真因と責任を曖昧化か? 2011.4.9 中部大学 武田邦彦教授(元・原子力安全委員会 専門委員)の言説…

「公害事件に関していつも原因企業が主張するところの「予見不可能」の主張を、一見「謙虚」に見える独特の科学論から演繹的に「是」としている。これは悪質な原因企業の責任を軽減する言説に容易に転換しうるものだ。今回の福島の事故例のように、国家的大事故で、予見が既知の事実と化し、国民的批判が定着した後に、今後の放射能被害の危険性を「予見不可能性」で説明すれば、国民の生命擁護に気を配っているように見える。だが、一方で、「安全な原発は推進してもいいが、危険な原発には反対する」を声高に叫ぶのならば、氏自身が主張されるところの「予見不可能性」との自己矛盾である。
最近は、「あと出しじゃんけん」で華々しく登場するのが得意な人が実に多い。一部メディアが精査もせず、あるいは、それと知っていてか、面白半分に取り上げるので、本人もその気になり調子付く。それまで危険容認の立場で動いていても、世論の動向やトレンドに合せて変わり身が早く、しかも、俺が俺がと表に登場し、そのくせ、巧妙に利害関係を維持して広告塔で動く人もだ。」
(中略)…

ちなみに、類似例として、もうひとつの仮面も指摘しておく。民主集中制もロジックとしては似たような折衷的言説を嗜好する。最近はなりをひそめているが、かつて主張していた「正しいやり方の原発ならいい」、(森永事件では)「正しいやり方で行われるよう官製検診に参加する」という姿勢にもだぶって見える。一見「手法を正す」との改善提案を行っているように見えて、現実にはカネと権力と社会システムを総動員して強行される悪しき国策に、正面から異議を唱える科学者や技術者、住民運動の前に煙幕をはる効果になる。党利党略からか、権力に媚びる意図から来ているのかは、諸説あるが、結局、抵抗する住民の邪魔をしてきたことには違いない。