目的のためには手段を問わない作風の蔓延か? 
それとも、売名・金権の取得を目的にプロパガンダ手法の採用に走る「学者」と縁を切れない日本社会の現状か?
科学/技術的「成果」があらゆるメディアを通じて社会の隅々にまで啓蒙・告知される今日では、科学的と名がつくものは、ビジネス活性化の起爆剤のように演出され、時に国威発揚のプロパガンダに利用され、金と権力をつかもうとして科学者自身がデマゴーグと化すことがしばしばある。
さらに、社会の隅々にまで未だはびこる「御用学者」が、更なる「学者の誤用」を煽り、或いは事実のねつ造行為を免罪する論陣を張り、バラエティ番組がそれを大衆の頭に刷り込む。学問が退化していく。退化した政治が科学/技術を歪めていく。
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 興味深いのは、以下の理研の会見を受けて彼女が弁護士を通じてコメントとして出した内容だ。「加工は理研が認めている範囲内。あたかも細胞がなかったかのように思われるのが承服できない。不服申し立てをする…」

科学者という人種が世論動向をしっかり織り込みながら自分の責任逃れ、責任を自覚する真摯な作業からの逃亡を画策している。「反省」の一言もないコメントだ。佐村河内を思い出す。別の視点からみると、まるで政治家の視点から練られた様な内容だ。弁護士のフィルターを通しているにしても、あくまで科学者と称する彼女のコメントである。

このコメントは、しかし、おかしい。彼女の論文は、「こんな素敵なお星様が、もしかしたら宇宙の彼方にあるかもしれない」という論文ではない。目に見え、すぐに触れることができ、それが、簡便に「できる」ことを証明したとされる論文である。それは、科学の根本的定義の一つである「検証可能性」で担保されなければ意味がない。他人によって真実性が再現され得なければ、科学的知見とは言えないのだ。

 ところが、佐村河内に続き、完璧に梯子をはずされた一部メディアは、まるで自らをとりつくろうかのようにテレビ番組などで、“STAP細胞はどこかにあってほしい” と言わんばかりの「
STAP細胞待望論」ともいうべきコメントを芸能人の口を通じて言わしめている。したり顔で、アインシュタインの相対性理論と比較する評論家まで出てきた。世も末だ。

このようなメディアの陳腐化を彼女はよく見抜いている。だから、「あたかも無いかのような誤解…」という言い回しを敢えてするのだ。

そもそも「ある」ことを証明するための論文が嘘と不正にまみれていたのだ。ならば、それが正され、再度正しいやり方で検証されるまでは「無い」のだ。科学的知見として入手されていない。ただそれだけなのだ。
    発見できていないものは、あるかもしれないという予測として提案されるだけならまだしも、在ることを証明する論文がねつ造であれば、それは無いということになる。言うまでもなく、自然界には現状の科学水準では解明できない現象が無限に存在する。だが、それを人類の作り出した学問的作業である科学の知見と混同すれば単に「オカルト」になるだけだ。

 日本社会はオカルトと科学の違いを判別できない認識水準にくだろうとしているのか?


 さて、どうするのだ? ウソの大量流布に手を貸した人々と組織は…。
 先人や他人がやったことだと合理化はできない。先人が逃亡して罪だけ覆いかぶせようとも、それは、後世の人間が正さないといけないのだ。それを避ければ、先輩の罪が後世にまで拡大再生産されながら、更に深刻化して、変容さえして、根深い呪いとなって引き継がれるだけである。歴史とはそういうものだ。

───────────────以下、報道──────────────────────
小保方氏の捏造・改ざん認定 STAP細胞論文で理研

朝日新聞 今直也 2014411139

http://www.asahi.com/articles/ASG4132ZSG41ULBJ007.html


 「STAP(スタップ)細胞」の論文に疑問が指摘されている問題で、理化学研究所は1日、筆頭筆者の小保方(おぼかた)晴子ユニットリーダーに「研究不正行為があった」とする最終調査報告を公表した。研究の根幹をなす画像に「捏造(ねつぞう)」があったと認定した。共著者については不正はなかったとしたが、チェック機能が働かず「責任は重大」とした。

STAP細胞は、体の細胞を弱酸性の液体で刺激するだけで、どんな細胞にもなれる万能細胞に変化するとされた。

 論文は、理研発生・再生科学総合研究センター(CDB)の小保方氏や米ハーバード大のチャールズ・バカンティ教授らが1月末、英科学誌ネイチャーに発表した。しかし、論文の画像が不自然であるなどの問題を指摘され、理研は2月中旬、調査委員会(委員長=石井俊輔・理研上席研究員)を設置。小保方氏やCDBの笹井芳樹副センター長、丹羽仁史プロジェクトリーダー、山梨大の若山照彦教授から話を聴き、論文のもととなるデータ、実験ノート、メールなどを検証した。

 最終報告書では、3月14日の中間報告では判断を保留していた4項目について判断を示した。

 研究の根幹となる万能性を示す画像が、3年前に書かれた博士論文中の別の実験で得られたものと酷似した画像から使われたことは、データの信頼性を根本から壊すものであり、危険性を認識しながらなされたと言わざるを得ないことから捏造と認定した。

 笹井氏と若山氏については、捏造には関与していないが、置かれた立場からして研究不正を招いたことの責任は重大とした。

 遺伝子解析の画像の結果を切り張りして加工したことについては、「きれいに見せる図を作製したい」という目的をもって行われたとして「改ざん」とした。笹井、丹羽、若山の3氏は論文投稿前に改ざんされた画像を示されたことから、研究不正はなかったと判断した。

 文部科学省のガイドラインでは、存在しないデータをでっちあげる「捏造」、データを都合のよいように書き換える「改ざん」、他人の論文から文章などを無断で引き写す「盗用」の三つを研究の不正行為と定義している。

 一方、実験手法の記述の一部が海外の論文と酷似していたことや、実際の手順と異なる実験手法の記載については、実験は実施されており、意図的ではないなどとして、不正行為ではないとした。

 検証にあたっては、実験ノートの記述があまりにも不足しているなど、第三者が小保方氏の実験内容を正確に追跡し理解することが困難だったという。「研究者倫理とともに科学に対する誠実さ・謙虚さの欠如が存在する」と断じた。

 STAP細胞が存在するかについて石井委員長は「調査委員会のミッションを超える」とだけ述べ、判断を示さなかった。STAP細胞が実在するかを検証する再現実験を理研内部で進めている。
(今直也)
───────────────以上、報道──────────────────
 

 理化学研究所は41日会見を開き、小保方晴子研究ユニットリーダーの論文不正疑惑について、ねつ造にあたる不正があったことを認め、問題となったSTAP細胞論文を取り下げる勧告をだすことにした。また1年をかけて再現実験をする用意があることも発表している。

 だが、この理研の説明もおかしい。“酸性の溶液に浸したら簡単に生成できる画期的な細胞だ” と言われるものの基本的な再現作業が1年もかけないとできない、というのなら、素人目にみても、それは画期的ではないものでは?、或いはそれは論文を読んでもだれも作れない思い付き並みのものか?、つまり、或いは、そもそも根本的な錯誤では?と思えてくる。少なくとも、そのような疑問を、彼女は払拭せず、理研という組織内部のコードに抵触するか否か、といったインフォーマルな議論にすり替えている。理研の悠長な姿勢に関しても、これは、世論の反発と印象を薄めるための時間稼ぎか? そんなことを組織のメンツのために懸命に考えているのではないか? と疑う向きもでてくるだろう。捏造論文をスルーさせて特権を甘受しようとした組織的責任を、一人の研究者のみに責任転嫁している姿もみえる。

 だが、大組織に安住して踊った個人も責任は重い。
    ここまで、不正が露わになっても、素人目には「
STAP
細胞自体は作成可能かどうかはわからないが、とりあえず論文は加工された写真が使われていた。さて、細胞は、あるのかないのか」という印象のまま推移している状況もある。
 しかし、彼女の論文の書き方は、そんな、「写真をきれいにみせるためのもの」とか、別の論文に発表した写真と「似ている」とか、そんな微妙なものとはかけ離れているようだ。このことは、「世に倦む」ブログなどで、すでに指摘されているところである。

 今回の事態は、目的のためには手段を選ばない、という事例ではなく、目的も手段もどうでもいい。むしろ似非知識人や組織が、政治家や政権から「産業創生に協力するパフォーマンマンスをとれ」、といわんばかりに金と権力をちらつかされて煽られ、愛国主義的なムードから勢いづいて冷静さを失い、売名のためならなんでもやって、それをメディアが適当に追認し、国威発揚のためには手段を選ばずの風潮に便乗して社会にワイドショー並の話題を振りまく、いかがわしい国になりつつある現象を如実に見せている。
    もちろん、まじめな研究者には大迷惑な話だが、まじめな研究者も黙って見過ごしていると、単に同類と思われるだけだ。そもそも、このねつ造疑惑は、闘う決意を固めた研究者による内部告発らしい。オカシイと睨んだ研究者がネット技術者やユーザーと連携し、証拠をしっかり揃えて、公開・告発に踏み切った市民としての研究者の矜恃が窺える。これこそが、救いだろう。不正に見て見ぬ立場をとる人間は、学者であろうが、労働者であろうが、自称革新党派であろうが、先生であろうが、生徒であろうが、誰であろうが、結果的には共犯者の役割を演じることになる。

 わが国の知的倫理水準の低下は、どうも歴史的に政治勢力によって形勢されているようだ。とくにこの15
年にわたる安倍晋三氏の政治と学術、メディアへの介入は目に余る。民主党政権も、科学が役に立たないという理由で、科学の世界に大なたをふるってご機嫌とりをしてみせた。
 中坊公平氏の書籍について
能瀬英太郎氏「甚だしい事実誤認」と指摘したことも関西テレビがやらかして未だに訂正もしない嘘丸出しのプロパガンダ番組も、雑誌「諸君」での中坊公平氏と森永乳業・菊地氏の対談での菊地氏の大噓も、すべて今回の問題と似ている。  
 中坊公平氏が大々的に流布した「加害企業に感謝する被害者」も常識でわかるレベルのオカルトだ。それを平然と「滅多にありえそうにない美談ネタ」として飛びつき、大手出版社も一緒くたになって、ろくに裏づけ調査もせずに「有名人の語る真実の物語」として大量に垂れ流す。事実誤認を指摘されても訂正もしない。
    この「加害企業に感謝する被害者」も、大宇宙の、超常現象が支配する異星人の世界にはいるかもしれないが、地球生命の理性の世界では証明不可能だ。しかも、その背景にあるおびただしい嘘の記述がバレても、誰も正そうとしない。この国の知的怠慢の常態化は哀しいかな、この数十年蓄積されてきた知的&倫理的怠慢の習慣という一連の事実が証明している。

 森永ヒ素ミルク中毒事件で、主犯である森永を免罪しようと、「科学的厳密さ」を口実に発表を遅らせ、被害を拡大させ、その後、周囲の状況から最初の発表を余儀なくさせられただけの森永側の浜本教授を、厚生省は「英雄」として表彰することで、国家お抱えの「御用学者」にまで成長させ、阪大の西沢教授とセットで人間凶器として使い倒した。その歴史に無反省な弟子たちが、歴史の風化を巧妙に読み取り、歴史を忘れたかふりをして、頃合いを見計らって、御用学者の復権に奔走した。同類と化した民主集中制までもが、昨今、一緒くたになって、巧妙に、その御用学者をほめちぎり、その正体をあからさまにしている。

 また、同じく「科学的厳密さ」を口にしながら「科学は何もわからないのだ」と自分を一見謙虚にみせながら、水俣病におけるチッソの責任を公然と否定してみせる武田邦彦氏が、福島での原発事故で、「科学は予測をせず、何もわからない」のに、「良い原発と悪い原発がある」と主張してみせ、テレビタレント化して調子づき、今度は小保方氏の論文捏造を乱暴に擁護する。無節操の極みだ。もはや、この方々には、倫理も中立性も科学性も全く見出すことができない。時の権力にたかって、売名か権力か金か、どれかにありつこうとする、あさましい一部の科学者の姿が露になっている。


 しかし、この現実もまた、日本の市民に貴重な学習材料を提供しているといえるだろう。科学者は聖人では決してなく、普通の世俗の人間のひとりであり、むしろ、金権と名誉を、所属組織・政治・学会・お抱えメディアから付与される期待感を煽られると、時に、科学の名をもって事実を平然と捻じ曲げ、社会の不正を隠蔽する権威者として凶悪な立ち回りをしてきた歴史があるし、いまもしているという現実がある。その後遺症は、無実の人々を痛めつけ、終生苦しめ続けるが、その張本人は、わが国では、いつも無罪放免となってきた。そして、あろうことか、その痛苦の経験が継承もされず、正されもしないまま、さらには、拝金主義と化した左翼までが裏で権力に手を貸し大政翼賛しながら、一度は断罪された同じ人物が(弟子たちの陰謀・画策・奮闘努力で)簡単に息を吹き返す日本の、この、えげつなく愚かしい現実は、そろそろ市民として認識し変革すべき時にきていると考えたほうが良いだろう。


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参考資料 「ブログ 世に倦む日日」 

横溢する小保方擁護論の諸相 - 無責任と脱倫理が栄えて沈む国
小保方晴子事件に沈黙するマスコミ - 倫理不全に寛容な社会風土 
小保方晴子による反論の驚愕 - 不正への開き直りを支える二つの条件
 
小保方晴子事件とソクラテス - ソフィストによる不正の相対化

「いじめ問題」に化けた小保方事件 - 西崎文子の愚論と山中伸弥の正論 ←コメント↓

Commented by 柿右衛門
>小保方氏は「論文のミスで騒がれたが、STAPそのものは間違いなくある」と話しているという。

「私は雪男を見た」と言う人がいるとする。その写真を撮ったという。実は、その雪男は人間がキグルミを着て歩いた偽装だとする。画像を分析したら、おかしな箇所がいっぱいある不自然なものだとしても、見た者は「雪男がいる」と主張する。
だれかが、キグルミを着せた人間、キグルミを着て中に入っていた人間をつかまえて白日の下に晒さなければ、永遠に押し問答が続く。
「雪男を見た」と主張して戦うつもりの人間は、公の場に雪男を連れてくることができるのであろうか。
過呼吸になったりする修羅場は見たくないものである。それでなくても「イジメ」などというおかしな詭弁がまかり通っているのであるから。


Commented by Germany2015
企業で一研究者として日々実験を行っています。
今回の問題、筆者に深く共感します。
同時に、小保方が行ったこと、弁解については本当に許しがたい。
研究者としての矜持が感じられない。また、日本の科学界、特に再生医療に携わる研究者、また、研究者を夢見る子供たち、学生たちにどれほどダメージを与えたのか、小保方は考えたことがあるのでしょうか。「


「世に倦むブログ」ツイッター より 一部抜粋

それともう一つ。弁護士が登場して、小保方擁護派に勢いがついた状況があり、その中味として、人権主義からの同情論が説得力を持ったことがある。早く言えば、左翼が小保方擁護論に傾いている。①人権主義の動機と、②組織権力(理研・文科省)への反発。この二つをベースに左翼が小保方擁護へ。

このままだと、本当に「STAP細胞」は「もんじゅ」になってしまう。高速増殖炉と核燃料サイクルと同じ化け物になってしまう。「もんじゅ」、半世紀かけて1兆810億円の税金を注ぎ込んだ。「STAP細胞」を「もんじゅ」のような宝の山にして蜜を吸いたいシロアリ連中が多くいるのだ。

こういう「悪意の有無」とか「解雇の妥当性」が争点になる訴訟では、勝敗を分ける決め手となるポイントがある。それはここでは書かないが、法曹関係者ならよく知っていること。小保方側は、全力で世論の同情と支持を集める。理研叩きと尻尾切り批判の世論を沸騰させて、係争を有利に運ぼうとする。

小保方晴子に天才的能力があったら、論文をコピペで作る必要はないんだよ。捏造論文を書くのがガリレオやアインシュタインと同じだと言うのなら、不正論文で解雇された研究者は全員が天才だ。気味悪い擁護論が跋扈している。とんでもないことになった。http://t.co/EMIARrrZjc 

天才はコピペなんかしませんよ。天才というのは常にオリジナルで挑戦するわけで、人の猿まねは絶対にしない。そして、オリジナルな新しい発見や理論を、誰もが認める方法で証明しようとする。つまり、天才研究者から一番遠いところにあるのが、捏造・改竄・剽窃の不正行為だ。お分かりかな。