「墨塗り」事故調書が「公開」さる。 吉田昌郎氏を英雄視する誤り。

9月11日、政府は東電福島第一原発事故に関して政府事故調19人分調書を公開した。

ここで明らかとなったのは、吉田氏の発言が何らかの社会的正義性をもったり、同人が英雄視される理由など何もない、ということだ。
「逃げたとか逃げない」とか、被災者からしたらどうでもいい事ばかり話している。所詮、加害者側にいる者の「言った言わない」の言い訳の世界だ。
一部メディアは、これまで慎重かつジンワリとチマタの人々に、「所長、“何度か死に掛けた”」「所長最後まで現場にいた」「所長死んだ、過労だろうか、かわいそうに」という無意味なイメージ=「虚像」をつくり上げてきたフシがある。調書が闇に隠されているのをいいことに、彼への英雄像を、じんわりとつくり上げてきた。
そして今回調書が公開された。
吉田氏本人の語りをみてみよう。所詮、仕事を語っているに過ぎない。それに加え、「自分が言ったことと違う正確でないアナウンスへの怒り」みたいなものをああだこうだと吐露している。だが肝心の、発電所の現場最高責任者としての「社会的責任」への自覚は殆ど見られない。その責任を「現場の言い分」を百も並べることで相対的に矮小化を図っているように見えるフシがある。まるで、「自分は原発のオペレーター(に過ぎず)で、放射性物質の拡散なんか計算してもないし聞かれてもわからんのに、そんなことを聞く政治家の馬鹿やろうだ」みたいなことを節々で言いまくっている。ミクロの理屈ではそうだ。だが、かれは、余りに明らかな自己の社会的責任については口を閉ざしている。避難範囲についての意見を聞く者を、「見当ちがいだ」とそこまで揶揄する資格が彼にあるだろうか? 彼は加害者である東電の現場の第一責任者である。
挙句に「(対処が)遅いといったやつを許しませんよ、…ではお前がやってみろと言いたいんですよ…その話は私は興奮しますよ…」オタクかカルトか?この言い草、この逆切れぶり…。自己内省度、反省度ゼロだ。悪事や不祥事がバレて開き直るときの常套句「文句があるならお前がやってみろ」だ。ならば言おう。「文句を言われるような事態を起さないように事前に会社と闘って努力しろ。事故を棚に上げて自分の仕事ぶりの自慢話をする暇があれば、被災者が “もういいよ” というまで謝罪し続け、事故を起した自分を反省し続けろ。あなたは、こどもか?」
そしてついでに言う。その調査で語った「許しませんよ、興奮しますよ」…それを被災者の前で言ってみなさい。「顔面にパンチ」では済まないだろう。

加害者としての立ち位置への自覚が全く無い人間だ。一部メディアが現場の責任者を「妙に持ち上げてしまったおかげ」=副作用だ。
まるで、「STAP細胞ありま~す」「私には責任ありません」「会社がわるいんで~す」と理研に責任転嫁してなんとか批判の矛先をかわそうとしている小保方晴子氏、その「中年おじさんバージョン」に見える。みっともない姿だ。

結局、自己内省の足りない現場責任者の姿が露に
みんなが怖がる放射線の中に居たという、ただそれだけで、なんとなく「福島フィフティ」などと持ち上げてきた。それ自体が笑止だ。神風特攻隊を美化する短絡と同じだ。だが彼は道具として消耗された兵士ではない。少なくとも彼は、東京電力側の原子力を稼動させる立場にいた人間だ。
百歩譲って、吉田所長は、事故前から、東電福島第一原発の管理責任者として、今回の事故が起こらないようにするための内部告発をしたり、東京電力と闘ってきたのか? NOだ。そもそも「津波や地震には素養がない」と発言している。
「自然現象への素養?そんな詭弁を遣わなくてもいい、予知などできなくてもいい、あなた方には結果を回避する義務があるんです」と断固として諭す者が少なすぎる。もっとも重要な責任部分を“しらぁ~”とかわしている、単なる無責任人間ではないか。

吉田所長と正反対の、「隠れた英雄」は世界中にいる
逆に、内部告発をして、いじめられて、そうやって会社を去った人間は何人もいる。
かつて、巨大航空機メーカーのある技術者は、就航前に空中爆発の危険性への警鐘をならし、内部告発をして、会社を解雇され、生活の糧を失った。たが、それでも彼は粘り強く世間に訴えた。結果二階建て巨大ジャンボ機は内部告発者の指摘を改善して1年遅れで就航した。そういう人々は沢山いる。

一方、彼は電力会社に居残った側の人間だ。自分の管理する発電所への批判を省みて改善改革の努力もしていない。仕方なく作業しただけだ。何を偉そうに「あほみたいな国、あほみたいな政治家ども」などと言っているのだ。その「アホみたいな政治ども」にあなたの給料の支払元である電力がワイロを送りまくって、その電力と買収された政治家が、交付金と言う名の麻薬を貧しい村にバラ撒いて心を狂わせ、強行建設していった原発が、この吉田氏の職場だ。その原発の所長で厚待遇に甘んじて、なにも根本的改善をはからなかった自分への深い自覚がまったく見られないのは、今回再掲された吉田調書の内容にしても同じ。「あほな政治家と一緒にコップのなかでぐるぐる回っている」だけだ。「福島フィフティ」とかいって、おかしいんじゃないの?と、そろそろはっきり言わないといけない。東京電力福島第一原発事故は最低あと半世紀は続く。放射性物質が拡散され、地下水を汚染して海に流れつづけ、廃炉作業にしても40年以上かかる。原子力の場合それは事故の継続中と同義語だ。したがって、正邪の闘争も永遠に続く。それに連動して社会も影響をうける。或いは、その逆かもしれない。産業公害も被害者が後遺症に苦しみ続け、加害企業が歴史の偽造を平然と継続し、事件は継続中だ。原子力事故とて同じだ。
森永ヒ素ミルク中毒事件における狂った歴史歪曲主義の策略は、この事故の半世紀先に何が起こり得るか、それに大きな示唆を与えているといえるだろう。

御用学者の「復権」がまかり通る狂った社会
1955年発生の森永ヒ素ミルク中毒事件で被害者を圧殺する先頭にたった岡山大学医学部小児科の浜本英次教授。
当時の厚生省は「最初にヒ素の発表をした」英雄として表彰した。これと同じパターンの焼き直しだ。
その後浜本氏は阪大の西沢氏とコンビを組んで、被害者救済運動を圧殺する先頭に立つ。御用学者として徹底的に手を汚していく。そもそも彼はヒ素中毒の発表を遅らせた張本人であり、食中毒通報さえ怠った。本来、人命を守る最低限の義務さえ医師として放棄した。刑事犯にされてもおかしくない。しかも、本当の第一発見者を押しのけて、自分が発見したと厚顔無恥に売名に走った人間だ。それが2000年をすぎて「復権」を果たしている、果たし続けている。左右の勢力がそれを大政翼賛で支えている。金と権力を手中にすると、黒を白と言いくるめて一顧だにしない。醜悪極まりない姿だ。
浜本氏の所業は、そのほんの一部が下記サイトのPDFに事実として暴露されている。
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-jiken-no-jissou-syousai-hm1.htm

そして、当時の厚生省の手先になった連中は、この数十年間をかけて、次々にこの御用学者を免罪してきた。このような、数十年の無責任社会への逆行思潮の延長線上にあるのが吉田英雄視だ。

「結果回避義務」が企業にはある
森永では、当初検察側の訴訟構成に弱点があった。そこを徹底的に衝いて、森永は無法にも無罪を勝ち取り、調子づき、遣りたい放題の金儲け主義に拍車をかけた。被害者圧殺中に刊行された「森永乳業50年史」は悪魔の辞典である。森永製菓出身の電通の常務が、意気揚々と、世論工作をしてやりましたわ、と自慢話にふけっている、それをしっかり拝聴しよう。
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-dentsu-sennou-dairiten.htm
こんなのは序の口。
乳児を大量虐殺しておきながら、実際に森永がやったことは、筆舌に尽くし難い鬼畜の所業だ。

それを許さず、血みどろの戦いに呼応した市民運動と日本の法曹界が学習した貴重な知見(以下学術論文)が今、まさに失われている。このような貴重な判例も、行動し、訴える人間がいないと活かされない。犯罪者たちは、世論を工作して、森永ヒ素ミルク中毒事件で得られたような画期的な判例を、そもそも適用しなくてもいい、問題を問題として提示されることのない「おとなしい社会」をつくろうとしている。
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-nakajima-takako-ronbun02-nihonno-kagakusya.pdf

森永ヒ素ミルク中毒事件では、その後十数年をへてから、かろうじて工場長が有罪判決を受けたが森永社長は全くおとがめなしだった。市民が森永製品全面不買運動を全国に広め、会社が倒産の危機に追い込まれるまで、反省度ゼロの会社だった。そして被害者団体と救済に合意したあとから、早くも被害者団体内部の腐敗分子や組織私物化を目指す党派イデオロギーを橋頭堡として、露骨な介入を始める。未だに、反省度ゼロだ。
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-higaisya-dantai-no-huhai01.htm

森永乳業の罪を免罪し、御用学者の復権をめざす本末転倒のイデオロギーに代表される、このような思潮の蓄積が、こういうおかしな状況を「自然な風に」見せて行く。一種の思想的全体主義だ。「予見可能性」という、すでに法的には通用しないカビだらけの詭弁で「チッソは無罪」と公言を続ける武田邦彦氏みたいな人間がイマドキ跳梁しているのも、その好例だ。
http://morinaga-hiso.blog.jp/archives/1000735400.html

抹消されていく被災者の情念と、巧妙に仕込まれるプロパガンダのピース
そして、故郷に帰れず棄民化される現地住民の憤りや恨みは、「花は咲く」といった、とても美しい旋律で曖昧化され、成敗、平定されていく。みんなで歌を歌いながら「憤りを表に出してはいけない」と言葉を遣わず説教を垂れる知恵者がいる。
理不尽な目にあった人々が、理不尽な忍耐の精神を強要されていく。周囲のものは、涙をながして、一瞬だけ同情し、そういう自分に酔いしれて、現地の人々の情念など思いもよらない。そして、時間がたって、忘れて、それで終わりだ。

さらに悪質なのは、「ぐちゃぐちゃいうものは、所詮金目当てだろう」という巧妙なる世論工作がすでに水面下で張られていることだ。

「金目でしょ」発言も意図的に流された可能性さえあると思えるくらい、被災者に刃を向けたプロパガンダだ。世論と被災者を、気付かれないように分断するプロパガンダ、それらを構成する重要なピースがあの発言で見事に埋め込まれたことは間違いない。「失言」の形を敢えてとったのなら、「分断工作の手法、より洗練されてきましたね」と、とりあえずは感心してあげよう。

森永ヒ素ミルク中毒事件時の「5人委員会」の焼き直し
さらに三周下って、加害企業への感謝を要求する正邪逆転

この「金目」発言も、1955年に森永乳業と国とメディア幹部が作り上げた「5人委員会」の戦略戦術とまったく同じものだ。生き写しのような焼き直しである。
あまっさえ、現状の森永ヒ素ミルク中毒事件では、「本当に金に目がくらんだ」者たちが、被害者に対して「我々は金目当てではない、カネ、カネというな」と、いかにも高邁な御宣託を垂れるポーズをとりつつ、陰で、森永乳業のすでに通用しなくなったカビまみれの「無罪主張」をどうやって世間に浸透させようかと四苦八苦している。
挙句、「いまでは森永さんは被害者にとって大切なスポンサーさんなのだよ、それを君たちわかっているのかい。森永さんの繁栄を望まないといけないんだよ。森永さんのご機嫌を損ねることをしちゃあいけないんだよ。被害者が先頭に立って森永製品の販売促進運動をするくらいじゃないといけないんだよ」と、数十年に渡る刷り込み「教宣」(←このような日本語はそもそも存在しない。左翼党派内専門用語)に手を染めるに至っている。

異論を唱えると「みんなに迷惑を掛ける人」なるレッテルをはられる。貼られるほうも、先人たちの情念など知る機会を得ていないから、すぐに鳴き止む。
計画的に吹き込みをしている連中は鬼畜だが、それに流されて、「教宣」活動に邁進する愚かな兵隊達の姿も、また異様に哀しい。

水俣病患者が、患者団体の幹部から「患者自らチッソ肥料の販売促進運動を先頭にたって行えばチッソが儲かって君も幸せになれるかもよ」などと説教されてるようなものだ。このような、糞溜(くそだめ)みたいな奴隷思想を吹聴して憚らぬ風潮が日本社会にはある。こんな倒錯にメディア自体が疑問を挟むことができないで、なんで東京電力の責任を追求できようか?
吉田英雄視が堂々と罷り通る背景には、虐げられたもの達の情念を理解できなくなった社会全体の精神疲労がある。まさに石牟礼道子氏が、「最近の人々には、人間の情念を理解しようという努力がない」と看破した社会の行き着いている姿だ。