御嶽山が噴火し、登山客に多くの犠牲者が出ている。犠牲者の一刻も早い救出を望む。
中日新聞 http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2014092802000052.html
動画 http://youtu.be/pr5btAJqNPQ KYODO NEWS 【共同通信社】

【“予知” という「思考停止」が生み出す犠牲
同山は、長野県木曽郡木曽町と岐阜県下呂市と高山市にかけて広がる。5千年前の噴火を最後に、一見静かになっていたとおもわれていたが、1979年に突然噴火し、地震考古学を含め歴史をひもとくことを真面目にしてこなかった科学者を驚かせた。1991年、2006-2007年にも噴火がみられ(山頂直下の地震活動が活発化した後に噴火するパターン)活動を活発化させていた。ちなみに1979年の噴火は、それまで死火山、休火山、活火山と分類されていた日本の火山学を修正するきっかけとなった。
また同山は、中央構造線がフォッサマグナと西側から合流する部分の手前(外側)に位置する。中央構中央構造線の上空付近から御嶽山を見る 2013年3月撮影造線は西は熊本から吉野川、紀之川、櫛田川、豊川、天竜川と続き、諏訪湖付近で、糸魚川-静岡構造線と交差し、フォッサマグナ地域で地下に潜って関東地域へ向かい関東平野の真ん中を貫いている。
太古、日本列島は、ユーラシア大陸の一部であり、そこからの離脱過程で大断裂を引き起こした。その痕跡が中央構造線という日本最大の断層帯である。一部は活発に動いている。(ちなみに四国の伊方原発は中央構造線のすぐ横に建設された自爆タイプの原発=中四国・九州地方を壊滅させる能力を持つ。“電力関係者には電気以外の理科の知識は無く” おまけに  “自浄能力もない” という証左だ)
元々、日本列島は大陸の東端にほぼ一直線のような形で存在していたが、地殻変動により大陸から徐々に離れ、日本海の面積を拡大するように折れ曲がり、今のような扇型の形になった。その折れ曲がった部分がフォッサマグナ。そのエリアに海の地質が堆積した。その地殻変動期(2千万年前からその後8百万年を経過した後あたりまで)では、フォッサマグナを境に日本を「西南日本」と「東北日本」に区分できる。今回、その「西南日本」のもっとも東の部分の活火山で噴火がおきたということだ。
桜島、阿蘇、富士、御嶽、浅間まで火山活動が活発になっている現況は、曲りなりにも「自然と共存してきた」と自負する日本人には今後どんな覚悟が必要かを教えているはずだ。それを強烈な形で突きつけたのが3.11。しかしあれ以降に起こっていることは、その教訓を忘れ、その覚悟からどんどんかけ離れていく姿だ。

【地震・噴火予知は不可能】
阪神淡路大震災以降、地震や火山噴火の予知のあまりな不確実性(実際には無理、実績ゼロ)が、逆に、備えに対する油断を生み出したのではないか、という反省に基づいて、減災の思想に重点がおかれ始めていた。
良識ある第一線の火山学者や地震学者も、「予知は科学的に不可能」と明言していた。
ところが3.11以降、再び、「奮闘する地震学者」などのクローズアップを通して、「予知をがんばれ」といった風潮が再登場してきている。
地震予知連絡会や火山噴火予知連絡会なども、まだ存在しているが、名前だけで、一度も予知などに成功したことはない。阪神淡路大震災以降の成果としては二種類の地震波のうちP波の初期微動を捉えて、緊急地震速報を伝えたり、新幹線に急ブレーキをかけさせる技術くらいなものである。だが、これは予知とは言わない。誰でも知っている「ガタガタ→グラグラ」を技術化したもの。あくまで地震が発生したあとの事後対処にすぎない。にもかかわらず「地震予知」なる名称を使い続けることで、大きな誤解を国民に与え続けている。
9月初旬ころから、気象庁は御嶽山に関して情報を出していたようだ。だが、「予知する」という機関が、得られたデータを、予知ができない認識水準を前提にして無理やりランク付けし、警戒レベルを五段階中最低の「レベル1」(平常)にしていた。(噴火の後になって「予知は困難」と気象庁自身がコメント。予知連の会長も「100%の予知考えないで」と言い出した)
子供でも変に思う矛盾したものだ。こういうのを普通「お茶を濁す」というが、科学者が大真面目にやり始めるとおかしな事になる。
予知などできないのに、それを敢えて隠して「予知」できるかのように装う科学者が「警戒レベルを設定」するので、一般人に向けては「まだまだ安全 、大丈夫」という誤ったメッセージを発信することになっている。登山客がわんさと登っていたのも、そういう逆転現象のおかげだ。

【なぜ予知できないのに、予知と言う?】
自然現象を何でもかんでも定量化して「預言」が可能になるという、エセ科学の動力は一体どこにあるのか…。科学界の研究費獲得という動機だけだろうか?
それで思い出すのは、鹿児島県の川内原発の安全審査で再稼働を認めた理由にある「噴火は予知できる」という記述である。
「…同論文を根拠に、モニタリングを行うことで巨大噴火を予知でき、さらに予知してから噴火までに核燃料を搬出する十分な時間があると判断している。…」
http://toyokeizai.net/articles/-/47016
お馬鹿さんとしか言いようが無い。
これには、さすがの「火山噴火予知連絡会」の会長も、「同論文(外国論文)」は当てはまらない、と疑念を表明しているが、もはや暴走体質あらわな現政権は聞く気など無い様だ。
電力と国が、すでに世間に定着してしまった「予知」の預言的印象を徹底的に使い倒して世論工作している。科学者や、その知見をゆがめるほどに「経済的社会的理由」をごり押ししてきた人びとは、責任を感じる必要があるだろう。

【神の怒りが爆発する前に核燃料をせっせと運び出す…?】
いずれにしても、原発推進のためには、火山噴火は「予知」できることにして、「その合間をぬって核燃料をセッセと運び出せる」という事にしておかないと都合が悪いらしい。(さあ、誰が運び出すというのだろうか)
想像するだけでも、戯画的な構図であり、実際には、何も手を打たないまま、偶然の災害に見舞われ、当然なりゆきまかせで、運が悪ければ原発が破裂するだけのことである。
しかし、推進の言い訳には、「神の怒りも前もって予知が可能だ」という事にするしかないようだ。原発が、それだけ一触即発の危険な施設であり、事故を発生させたときの被害量が、他のすべてのものとも比較しようが無いほど大きいという事実を、自分から「裏声」で認めているようなものである。
いずれにしても、政府によれば、自然界の現象はすべて「予知」できるほど、日本の科学は神様水準となっているらしい。
3.11の地震も津波も予知できなかったのに、である。その悲劇を体験したあとに、である。STAP細胞騒動で世界の失笑をかっているにもかかわらず、である。
金儲けや一部の「産官学ムラ」の都合のためなら、一転なんでも「予知できる」といい続ける。意図的に演出された「過信」である。

【予知/予見を詭弁で使うことに躊躇いの無い一部科学者】
一方で、「予知できない」といえば、それが正直で正しい立場なのか? 
どっこい、それほど世の中は単純ではない。「予知/予見は不可能」という一見、“科学の限界に謙虚な視点” を装いながら、それに巧妙に作為を加えて、同じく犯罪企業の言い分を代弁しながら、自己を売り込む御用学者もいる。
実際、産業公害では責任逃れを図る企業が、自らが引き起こした事件事故を「予見不可能」だったと声高に主張する。そして、時に、見識のない裁判官が見事にだまされて一時的に無罪となる。森永ヒ素ミルク中毒事件でも森永は一審で無罪となり、百人以上の乳児が殺されても、「加害者は誰でしょう?どこにもいません」などという恐ろしく不正な状態が14年以上にわたって続いた。
最近では3.11以降「放射線は怖い」といいながら登場してきた武田邦彦氏が、一方で水俣病に関して、「チッソは有機水銀の有毒性を予見できなかったから無罪だ」という詭弁をサイトで拡散している。
歴史認識の無い人に対してのみ、刷り込み効果を発揮するような低俗な屁理屈だ。
低俗であるが、大変巧妙に偽装されている。
実際、この加害(原因)企業が主張する「予見可能性論争」に問題を矮小化し、加害者の免罪を進める手法が、今では、殆どの産業事故でまかり通っている。「予見/予知できるかどうかが責任の所在となる」という、驚くべき後退した思考方法だ。企業が社会に果たすべき結果責任を、科学者が認知論を詭弁的に振り回して煙幕を張り、曖昧化しつつ免罪を試みる。一般人や人文系専門家は、認知論が屁理屈の水準で悪用されていても、理系の論争には関与する資格がないかのように思い込まされ傍観者のまま時間が経過する。かつての産業公害では許されなかった類の詭弁が今また復活している。半世紀ほど逆戻りして1950年代の認識水準に下っている。

【科学は予知/予見不可能と言いつつ犯罪企業を免罪する詭弁の正体】
有機水銀中毒が発生するまでに至った水俣湾の汚染など、見たらわかるほどの汚染状態で、発症が集団的に明確化し、科学的に証明する動機が科学者のなかに生まれる、その何年も前から、被害が起こっている。
先の武田氏の詭弁は簡単なトリックに基づいている。
わかりやすい事例を提示する。最近の先端化学工場の事例でいうと、一部では化学組成の不明なほどの怪しい最終廃棄物が産出される。それを万が一海に放出したらどうなるか、と仮定する。そもそも化学組成からして不明な物質が、どんなメカニズムでどんな影響をどこの住民に生み出すか、当然、事前にはわからない。海に流せば複雑な生態系のなかで生体濃縮が発生し毒物が蓄積されていくことは明白であるが、自然界のなかでどんな因果関係が生まれるか、あらかじめ予測することは科学的には困難だ。いや実際に流してみなければその物質が環境に与える挙動は正確にはわからないだろう。
であれば、「流す」のか? いや普通は流さない。だから実際、よりまともな企業は海に流さず、コストをかけて地上で特殊処理している。
だが、武田邦彦氏の言い分だと、「この怪しい廃棄物を海に排出した企業は、“科学的な被害予測ができなかった”  という単純な理由で無罪放免」となる。
こんな屁理屈をもっともらしく展開する御用学者が世間にウヨウヨいる。

【因縁果律の掟】
水俣病に関しては、むちゃくちゃになった生態系で有機水銀中毒が発生した原因を懸命に究明していた良識ある医学者に対して、チッソは、怪しげな仮説を意図的に乱立させて目くらましを食らわせ、森永ヒ素ミルク中毒事件の5人委員会や西沢委員会の大成功に見習って御用学者を動員して徹底的に邪魔し続けた。そのチッソを「企業さんが事前に被害予測ができるわけがない」のヒトコトで免罪する科(化)学者がメディアに大量出演して、言いたい放題の連続である。こんな無節操が跋扈している現状こそ、深刻な精神後退だ。

科学者が、わかりもしない現象を「予知できる」かの様に振舞ったり、逆に、犯罪企業の責任逃れに加担して「科学は予知できない」を、社会的責任論に無理矢理混ぜ込んで社会倫理を毀損したり...。詭弁が大流行りの昨今だ。科学者がその専門知識を「自己の処世術」で使い始めれば、物事を主客転倒させて見せることなどたやすいと言う事を一般人は警戒しておかなくてはならない時代だ。科学リテラシーを磨いて、素人が彼らの論文を精査するぐらいの覚悟をもたないと、たやすくだまされ、人間の尊厳も毀損され、命さえ奪われ続ける。

この人間社会の創り上げた科学の「ご都合主義的処世術」に、神は、御嶽山の噴火で警鐘を鳴らしたのかもしれない。生きている人びとが、自分のことにしか関心をもたない利己主義を「自由」と混同し、隣人の不幸や哀しみ、不正な行為に怠惰な姿勢を取り続ければ、正邪は逆転する。真の悪は、共犯者の助けを借りて大手を振り続け、世の隅々にまで蔓延跋扈する。それは次の不条理を準備する。そして、犠牲になった人びとの魂は永久に浮かばれず、その怨念は宙を漂い、生きている人びとに別の災厄としてふりかかるだけである。それが因果律の掟というものだ。