香港市内中心部衆院予算委員会のNHKライブで、ネオナチとの親密写真が暴露され国際的に問題となった稲田朋美(自民党)氏が「日本国家の原点とは」などとおしゃべりしているのをみてスイッチを切った。在特会との関係が暴露されている参議院外交防衛委員長の片山さつき氏といい、日本政治の劣化は甚だしい。

【在特会との関係が暴露され始めた安倍政権】
一部週刊誌では、品性下劣なヘイトスピーチをする在特会と安部政権の親密ぶりが暴露され始めた。“ナチスに学ぶ選挙本”などを奉じていた面々をかかえる安部政権。
「単純(短絡)思考の反復」というプロパガンダと、日銀が買い支えする株高によって、国民や企業の歓心を惹きつけながら排外主義を煽ってきた。これまで政権が野放図にしてきた政治的・歴史的逆行行為の一方で、危機感を感じる市民にも、多数に従うモルモットのような習性が刷り込まれてきた。

野党に下った時に知性の倫理を捨て去る決意をした自民党。そのプロパガンダは、ちょうどナチスが成功を納めたように、勝利をおさめかけている。麻生氏が「ナチスを手本に」といったのは正直な告白だ。ヒトラーの「我が闘争」はプロパガンダに手を染める大手広告代理店関係者の密かなバイブルとして存在し、左右の全体主義者のテキストであり続けている。

しかし、さすがに、そのほころびが見え始めている。
野党もそれなりに反撃を試みているが闘争力に著しく欠如している。これまで嫌なものや異質なものとの議論をさけてきた習性から脱却できておらず、全く洗練されていない。政権交替へむけて確かにある種の動きが見えるが、野党が今後の偶然性のチャンスを活かすほどのセンスを現状でもっているか?
一方、「政治参加は4年に一度の選挙だけ」としか教えられていない日本の市民は、政党に影響を与えるほどの力が発揮できず既存システムに頼る思考に縛られたまま。市民が、持てる自由を発揮して、そこここで自由かつ懸命に考え、発言し、動き、政党に大いに苦言を呈する事がない限り、政党政治の劣化は避けられず(政党権力は例外なく腐敗する)、国民には深刻な状況が続くだろう。おまけに、いまや現世の利害にご執心な自称マルクス主義政党が、未だに不満吸収剤として機能し、市民社会の成長を阻んでいる。
自衛隊は死ぬのが仕事と勘違いした政治家が、普通の家族の幸せを望む自衛隊員を、消耗品のように扱うことを支持してはいけない。隊員は死ぬために自衛隊に入隊したのではない。射撃訓練を映し出すテレビ画面を見て、「自衛隊員は死ぬ覚悟があるんだ」と刷り込まれてはならない。戦争を誘発させず、自衛隊員を死に至らしめない責任は、市民にこそ在る。

【「民主集中制」の導入を拒む香港市民~冷たい視線の日本】
だが目をアジア大陸に転じると、全く別の光景が広がっている。週刊誌が「大嫌い」という中国大陸の動きである。香港市民である。日本人は、香港の行政長官選挙で学生デモとそれを支援する市民が街頭に繰り出している光景香港ヴィクトリアハーバー夜景をマスコミで見ている。だが、昨今狂ったように「嫌中」を叫ぶわりには、これに明確な支持を送る日本人は極めて少ない。
「日中友好」などを大げさに叫んできた向きなども同様で、思考停止のフリをしてナリを潜めている。
オバマは速やかに支持を表明し、訪米中の王毅外相の前に突然現れて香港問題への警告を発した。
これを見て、日本人が「お決まりの米国の人権外交」だ、などと揶揄する資格はない。
日本人は次の事実を考える必要がある。

  日本は米国以上に北朝鮮、韓国、中国の政体起源の人権問題や国民性を批判する。
  当然、日本は中国や韓国が政体の改善進化を遂げることに賛成だろう。
  だが、日本政府の態度を見る限り、そういう事には余り関心はなさそうだ。
  日本政府は香港の事態に沈黙を続けている。

この不思議なギャップは何故だろう。
理由はたぶん簡単である。在特会と仲良しの現政権と一部メディアは、ひねくれたコンプレックスから嫌中、嫌韓を煽っているにすぎないからだ。一方で、中国の現体制からしっかりと利益を得てきた。
片山さつき氏が在特会のヘイトスピーチに飛び入りして演説したらしい、などというおふざけが伝えられる政権である。つまりは、隣国の真の成長を嫌がっているだけだ。同じアジア人を見下し差別することでウサを晴らしているだけだ。だから隣国が成長する近道である「政体の民主的改革を望む」という「思いやり」など、たとえ偽善的にも表明できない。

【香港市民、全体主義の別名=民主集中制への本能的警戒】
アジアに残存する共産党はもはやオタク趣味の対象にされている感があるが、その組織原則は「民主集中制(=民主主義的中央集権制)」というものだ。これは選挙をしたら、あとは中央集権的支配に従えという、独裁政治の別名であり、数千万人を粛清抹殺したスターリン主義の別名である。もちろん、この思想は共産党だけのものではない。
ナチスも共産党をよく観察し民主集中制を利用している。ナチは合法選挙で選ばれて第一党となり、その後SSや秘密警察による脅迫や粛清によって集中的支配を貫徹した。ナチや共産主義のいう「選挙闘争の戦術的活用」という思想は、その後の姿を隠して、国民に対して「我々を選挙で選びましたね」という承認を強要するためである。暴力革命から路線を修正して、「同意を取り付けた後、速やかに集中支配を正当化する」ものだ。悪質商法の訪問販売「今、おたく、試食しましたね。なら、買わないと私帰りませんよ」と同じやり口だ。押し切られると、その後に「民主集中制」の本領「集中的支配」が始まる。
マルクス主義を克服する過程を知らないまま「世界ではすでに冷戦構造が隈なく終わった」と思い込んでいる日本人の認識は周回遅れである。アジアでは冷戦構造がまだ継続している。
マルクス主義は未だに堂々と「民主集中制は現民主制と同じだ」「今の民主主義とどこが違うんだ」とと公言している。うぶな人々は、確かに共産主義を支持できる。アジアは冷戦構造時代に留まっていると考えたほうが説明がつくことが多い。
香港市民の意識は進化している。

【「自由を必要としない民主主義」を掲げる共産主義の特性】

民主集中制が浸透すると、立候補(被選挙権)の権利も自由も実質的には無い。
共産党には権力の分割という発想はない。権力を奪取し、新しい状況で権力を集中的に行使するという思考の政党だからだ。彼らは民主主義は特定の階級による独裁にすぎないと規定する。資本主義体制の民主主義はブルジョア独裁。それをプロレタリア階級の独裁にすればより多数の独裁であるから、今より民主的であるはずだ、という。この単純な理論に昔は若者が熱狂したのだ。だが、資本主義の権力には表向き噛み付いて見せるが、自分たちの権力には一切の疑いをもたない。むしろ「ブルジョア」以上に共産主義者が権力と私有財産、既得権を守ることに汲々とする姿があらわになった。
しかし、未だにマルクス主義政党は、多数階級の代表だから、共産党は出自からして民意を代表している民主主義そのものだ、という自己撞着的論理を刷り込むことをやめない。「共産党は人類の必然的結末である共産主義社会へと、その使命に決して自然に目覚めることのない労働者を教え導く前衛政党」であるから、「我が党の見解より進んだ見解は人類には必然的に存在しない」と信仰する。共産党の議員が、時々「我が党の躍進は、歴史の必然」などとクチから漏らすのは、この信仰の告白だ。この傲慢信仰は必然的に独裁政治にいきつく。「わが共産党組織内部には民主主義は要らない、議論は分裂をもたらす、ネットでの党批判も許さない」と堂々と言えるのは、そういう選民思想(=前衛主義)が前提にあるからだ。最近では「カルト」と揶揄されるこのマルクス主義イデオロギーは、「宗教は阿片だ」とするが、それは、オルグ上の最大のライバルが宗教勢力であることを知っているからだ。

【「超監視網」で「自由なき安定」を偽装する民主集中制】

立候補自体がコントロールされる。陰険な脅迫や党の方針に沿わない発言は細かく監視され、はじめから芽を摘まれる。レーニン、スターリン体制で、思想摘発のための秘密警察が異様に膨張し、東ドイツでは、親戚・身内同士での密告制度までに最高潮に拡大した監視システム。これも、異論の事前摘み取りにより成立する「拍手喝采型議決」で「民主的監視社会」を構築し、「同意」を偽装して国民全体をマインドコントロールするためだった。
香港の場合、興味深いのは「中国化」で民主主義のシステム自体も後退する事だ。中国政府は英国の統治時代と現状を二項対立させて、「チャンスはもうこないぞ」などと言っている。では、チャンスとはなにか? それは政治用語としては「自由」である。共産党も時々「多数決」という形で民主主義の決定論を採用する。だが共産党にないのは、「自由の理念」である。
もちろん、「わが国(党)には自由がある」という民主集中制・独裁権力側の公式声明はいくらでもあるし、抵抗闘争をする「自由」はある。「ナチス抵抗闘争があるからナチスは自由主義だ」だというくだらない屁理屈も、ソビエトも使ったし、今の中国も使う。だが抵抗の「自由」は次々に収容所に送られることで同時的に物理的に抹殺され続ける。共産官僚はこの弾圧を良心の呵責なく長期に継続できる。なぜなら、人治の社会では、自分の身内は例外にできるし、反論すれば、昨日まで隣で仲が良かった「同志」の密告によって自分も粛清されるか収容所に送られるからである。この構造は自己完結し、人間を、考えない抹殺マシーンへ変貌させ、殺人会社のサラリーマンの感覚にまで堕落させる。ナチのアイヒマンと同じである。

【民主主義の「決定論」の悪用で独裁を正当化するマルクス主義】
民主主義は、その決定プロセスだけ採用すれば、51%の過半数の意見を採用し、その他の意見を切り捨てることだ。ここだけを悪用すれば、「民主主義で自由を圧殺する」ことができる。だから民主国家でも合法的に全体主義が発生する。
「共産党も選挙を認めるなら安心」というのは自由主義者にとっては大きな嘘である。現在、我々が受け入れている民主主義は自由とセットでないと全く意味をなさない。
だが、これは日本のような政治的に未熟な資本主義社会にとっても都合が悪いことだから、自由の本質は余り教育で教えられない。政治的自由を制限することばかりを強調するのが日本の特質であり、評論家はそれを「日本の文化的特質」といい始める。そういう自己刷り込みをされ続けると、本当に文化になってしまう。しかし技術社会として発展をとげた資本主義でそれを文化と割り切ると、必ず、大きなゆがみが発生する。
共産主義は、現体制に対して、自党の言論・表現の完全な自由を認めろと叫ぶ。その自由も現民主制は認めている。だが彼らは、自党内部や自党の影響下で支配する「民主団体」では完全な自由を認めない。マインドコントロールとプロパガンダの手法、政治的謀略を駆使して異論を排除し、そして「選挙」し、あとは「集中的支配」をし不正に異議を唱えるものは限りなく存在しない。その後、当然のことだが自由な候補者はいなくなる。

【世界史的な光景にコミットできない日本】
共産党は、香港市民の愛する自由主義に近づこうとするのではなく、香港社会を「民主集中制」に後退させようとしている。
世界史的にも珍しい光景だ。
一方、中国進出企業の半分くらいは中国の民主化を真剣にはのぞんではいない。民主主義が成長すると、安い労働力を消費しづらくなるからだ。現地で製販一体化をしていても同じことだ。歴史認識さえも欠落した形で、いくら企業が多数進出しても文化の相互理解にまでは到達しない。
かつてのフィリピンのマルコス独裁政権下で苛酷な搾取をしていた感覚だ。中国の政体がどうだこうだ、といいつつ、実際には共産党独裁が継続してもらった方がいいと密かに心の底では望んでいるという感覚だ。国家社会主義。拝金主義者は生きるすべを知っている。スターリン以降のソビエトの赤い貴族・ノーメンクラツゥーラは、共産主義の理論を百も千も口にしつつ、資本主義体制以上の秘密特権を甘受する別格の独占資本主義者の支配を生み出した。今のロシアもその後遺症から逃れることができない。スターリン主義の粛清犠牲者の調査が、共産主義者ではないプーチンによって妨害されている。

【香港市民に対してメッセージを送らない日本政府】
日本政府は、あれだけ中国の領土主張を糾弾するのだから、香港の民主化運動を支援する声明でも連発するのかと思いきや、報道があるだけで、全く問題視するそぶりさえない。中国民主化への視点が希薄なのは、驚くほどだ。
しかし、香港は、このままでは収まらない。このまま続けば、第二の天安門事件になる可能性がある。
香港ヴィクトリアパーク夜景
中国は香港の自由な選挙に介入せず、香港にまず自由を認め、本来の民主主義の目標にして、できるだけ早く「名目共産主義」と「一党独裁政治」から脱却しなくてはならない。そういうわずかな意思が中国政府にあるなら、行政長官選挙で、民主派(自由派)に妥協したほうが得策だ。香港が中国と違う政体に到達したところで、中国国民は共産主義のマインドコントロールの呪縛からは簡単に逃れられない。

だが、中国が将来、香港をめざして普通選挙権を施行し、複数政党制で政権交替の出来る国になることは、内政的にも外交的にもメリットがある。中国は日本と米国をいつも意識して生きている。米国は今や世界的に軍事的・政治的失敗を重ね、内政の混乱につながりかねない萌芽を抱えている。日本といえば、政権の関係者が何人も人種差別主義グループやネオナチ団体とも懇意であり、選挙までナチに見習ってやっていたことがばれている。
日本は、民主政体としてはアジアの中ではマシなクラスだが、世界の先進国では後塵を拝している。そして、アジア侵略戦争への反省が全く欠如した国だ。日本がいくら「平和国家」といっても、「ほら被害国の気持ちもくみ取ろうとしないし、集団的自衛権で米国の片棒かついで、別にほかの国と同じレベルじゃないの。“普通の国になりたい”って、首相からして自分でいってるし。オマケに政権にネオナチ信奉者が何人もいるって、信じられないな。」となっていく。9条の精神とか、広島・長崎の願いを世界に届けるというソフトパワーは、政党政治が陥る必然的劣化により、その本来の発現方法を見失っている。
さらに日本は、中国の一部国民にとっては、許しがたい、中国を蔑視し、見下している国だ。

【中国にとっては…】
こういう状況下では、中国が政治改革を進めれば、日本をも「乗り越える」最短の道となる。
そうなれば小さな島などに関心を持つ必要はなくなる。いろいろちょっかいを出して、米国や日本の関心を引く必要もない。中国が先導してアジアの安定をもたらし、隣国との緊張を解けば、想定以上のメリットが得られる。まず中国自身の課題として、政治改革に本気で着手しないと、日本は中国の一党独裁を奇貨として「口撃」を続けることができる。一般の中国人からしたら、「中国を侵略しまくった日本だけには言われたくないわ」というのが本音だ。だが、日本は戦争など反省していなから、そんなことにはお構いない。でもその日本の姿勢を逆手にとって、中国が先に改善すればいいのだ。
軍事力なども殆ど必要ない。ロシアの中古空母などを走り回らせたりしながら軍拡競争にひきずりこまれると、ソビエト時代のときのような政体の劇的崩壊にもつながりかねない。
自由に基づく民主主義の「同意の政治」くらい一体性を発揮する政体はいまのところ見当たらない。確かに独裁政権は軍隊も強そうだ。でもそれは見かけだけ、張子の虎。
ただ、民主主義になっても、日本の安倍政権のような高慢政治をめざしてはならない。全体主義と独裁は左右どちらのイデオロギーでも発生することを人類は何度も体験してきた。全体主義にならない国を早く作った側が本当の尊敬をうける国となる。

中国が、経済成長だけに頼らず政治的に成長し、人民の自由を承認する政体に移行すること、それがアジア世界の中で名誉ある地位を占める最短コースだ。