【中国共産党中央政府の自浄能力の無さ~統治の本質】
香港デモの要求は断固拒絶 中国政府が方針決定
http://www.huffingtonpost.jp/2014/10/14/hongkong-demo-china_n_5986424.html?utm_hp_ref=japan
2014年10月15日 11時53分 JST
香港デモの要求を中国政府が拒絶(ハフィントン・ポスト ロイター)中国中央政府は当分、共産党ごっこを続け「大人にはならない」と決めたようだ。しかし威勢よく言っても、それが続く保証があるわけではない。世の中は変化していくものなのだ。変化しないものなどない。いずれ、わかるときが来るだろう。習政権が実行する汚職追放キャンペーンでも、共産党の腐敗政治は変わることはない。政権交代を許されない社会は、内部的なけん制能力を持ち得ないからだ。いま行われているのは、「ソビエト防衛」という大義名分から導き出された、かつてのスターリン粛清と類似の現象でしかない。共産党独裁国家の統治・延命の都合から、粛清という名の恐怖政治が実行されているに過ぎない。もちろん、それは運が良ければ短期的統治に効果を発揮するし、直接投資をしている国との利害絡みで、しばらくの間、延命が可能な場合もある。だが、人民にとっての政治的自由は依然として存在しえない社会だ。統治を根底から脅かす矛盾が今後一層激化するが、「歴史主義」におかされたマルクス主義者にはその意味が理解できない。もちろん、日本社会も、「似たような別の形の全体主義」に退行する可能性は十分ありうる。既に、そこここの「閉じた部分領域」では実際に観察される。一時的に人民に力を貸した歴史をもって、永久支配権の口実にする。マルクス主義者に限らず、自らの行為に必要以上の見返りを求める人間のサガがよく現れている。

【自分たちの未来のために、立ち上がる香港学生】
9日付朝日新聞朝刊11面に香港で、中国側が示した行政長官選挙の改革案に反対して座り込みを続ける18歳の若者へのインタビューが掲載されていた。

…(前略)…路面電車の軌道上に制服姿で座り込んでいたのは、中学5年(高校生に相当)のマビス・ユーさん(18)…(中略)…ユーさんは「住民や店の人に迷惑をかけているのは、申し訳ないと思っている。でも、政府が市民の声にきちんと向き合えば、こんなに長引かなかったはず。責任は政府にもある」と話した。「選挙制度改革は、自分たちの未来にも関係すること。若くたって自分の考えは示したい」…(後略)…

これが民主主義と市民の本来の関係だ。共産党一党独裁にひきずられる香港社会をみて、危機感をもっている。民主主義は選挙で投票することとイコールではない。日本でも選挙制度改革をめぐって議論が闘わされたが、将来の選挙民である若手の意見を取り入れるような試みはなかった。
「与えられた選挙制度に従って時々選挙に行けばいい。それが政治参加というもの。投票は国民の義務です」
社会がそんな考えで納得していれば、イデオロギーに関係なく腐敗していく政党政治をみて当然「若者の政治離れ」がおきる。腐敗政党も権力を握るために、短絡的で先鋭的な主張をはじめる。ちなみに「積極的平和主義」はまだ「第三帝国」ほどのレベルには到達していないが、その最初の予兆として歴史の年表に刻まれることになるだろう。

一方、「若者の政治離れ」に悩む日本は、この香港学生の訴えを、横目で、見てみぬふりをしている。
香港では、若者が真剣に国の将来を見据えて問題提起をし、多くの市民が共感を寄せている。他方「早く終わらないかな」と横目でみている大人の香港市民もいる。日本には後者のタイプが多そうだ。記事では、香港の後者に相当する大人が  “現状は変わりそうも無い”  と「にわか評論家」として登場し、若者がせっかく問題提起した未来へのテーマをせっせと摘み取っていく姿を、淡々と伝えている。問題はこの大人と若者との関係に見える。この関係を若者が乗り越えるには何が必要か?...永遠の課題だ。

日本の若手も、このテーマを真剣に考えないと、加速度的に進む高齢化社会の犠牲者にされていく。

【参考資料】香港のデモ長期化、「一国二制度」の正念場  東洋経済ONLINE
http://toyokeizai.net/articles/-/50898