事件発生60周年で演出された
森永乳業と現・被害者団体の白々しい「円満」。
その裏で、決して報道されないコト…


以下のコメントが寄せられた。
http://morinaga-hiso.blog.jp/archives/1033260039.html#comments
「51. 守らん会会員  2015年12月01日 10:41

 チョツトご無沙汰しとるうちに、またまた問題発覚かい。森永ヒ素ミルク事件は、どこまでいっても底なし沼というとこかい。おそれいりやの鬼子母神てわけだ。

  おいらはひかり協会会報『ふれあい』11月号からの報告を、ちょくらやるぜ。問題とするのは8ページにある、守る会からのお知らせ「事件60周年記念式典、合同慰霊祭」のなかの記事だ。「各団体代表挨拶」のなかの◎桑田理事長の発言は要旨だけだろうが「今までに亡くなられた1266名の御霊にこころからのご冥福を祈り、二度とこのようないたましい事件を起こさせないことをお誓いする」とある。

  これを見て当ホームページの扉にある、2013年厚労省発表の1170人とくらべてみろよ。2年間の間に96人もの被害者が亡くなっとるぜ。ひかり協会と連絡を希望するのは、全被害者1万2千人のうち約6千人弱というじゃあねえか。ということたあ6000人のうちから、これくれえの死者がでたということになるのじゃねえのかい。こりゃたいへんなことだよ。

  加害企業と癒着して、甘い蜜すうとるくせに「二度とこのようないたましい事件をおこさせない」とは聞いてあきれるぜ。」
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半世紀にわたる「公害」さえ未だに克服できないこの国
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 直近2年間で96名もの被害者が死亡したという恐るべき事実。しかも認定被害者の半数としか連絡が取れていない制約のなかでしか把握できていない死亡者数であることさえ説明をしない。(大手紙の一部記事も同様)
 この事実を「森永との合同慰霊祭」なる、メディアまで動員した「協調」キャンペーンの中でさりげなくツブやいてオシマイにしてしまう無神経には、もはや言葉が見当たらない。「葬式パフォーマンス」の名がふさわしい。「被害者の “名札” を見せびらかしながら、拠出金に群がって “森永乳業のポチ”に成り下がり、人として当然の批判を行う被害者家族を平然と弾圧する」との幾多の被害者家族・市民らの厳しい批判のゆえんだ。
 党派的影響力で支配された団体が、企業犯罪による被害者の苦しみを、企業の代理人となって糊塗するという、恥ずべき犯罪の「教宣」モデルが完成されつつある。
 しかも当該党派が自身を神聖視させるために日頃常套句としている「商業新聞(昔呼称“ブルジョア新聞”」の一部不良記者(各社共通なのは権威へのゴマスリ系記者)を抱きこんでの合作キャンペーンが今年全国各地で計画的に展開された。日本社会の無節操さを象徴する好事例だ。
 しかし、あまたの自称左翼勢力も、更にはマスコミも、大所高所を気取り、政局云々を口にするなら、足元の仕事のガサツさを反省し、自らの襟を正すことが先決だろう。
 表向きの左右が半世紀にわたって談合してきた結果、社会の深層には、看板で政権批判を売りにしながら、裏で金と権力に群がることを当然視する腐敗した思考習慣がうず高く、ヘドロのように溜まっている。このようなことに見て見ぬフリが決め込めるようなら、どれだけ「高邁なる政治」を語ろうとも、所詮、根無し草のデマゴーグでしかない。
 このような風潮は、「ヒラメ権威主義」と同根の「貧困ビジネス党派」の党利党略に拍車をかけるだけだ。人間をもてあそぶことで、国民と社会が疲弊し、結果的にすさんだ新タイプの「両極化現象」をもたらすだけだろう。各種の悲劇的事態の招来をもたらすのは、ひとりひとりの人間の価値より、政治的イデオロギーを優先させる全体主義的思考方法だ。
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被害者家族を弾圧しながら平然と「慰霊祭」を宣伝してきた森永乳業
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 なお、「教宣」にコントロール“されている側の”当事者は露も知らないのだろうが、森永乳業という企業は、事件発生後から被害者救済運動を14年以上にわたって抹殺している「さなか」に、同時並行で、「“森永に事件の責任は一切ない” を大前提とした“慰霊祭”」を目くらましのプロパガンダとして実行してきた企業だ。歴史が証明するところの、この企業の確信的で強烈な「二面性」と「プロパガンダ」愛好主義は、今現在も歴史を歪曲したがっている同社の言動をみるにつけ、未だに、変化なしと見える。
 以前と唯一異なるのは、今は森永はコマーシャルの拡大に腐心し、森永の裏稼業だった被害者に対する分断支配は、党派代理人に任せていることだけ。本質は変わらず、むしろ、両者が一体となって進める歴史の偽造と被害者の尊厳への毀損は、それ自体が延々と続く、企業犯罪の継続に他ならない。
<以上>