【ナチス礼賛、反省無き企業のDNA】
 森永乳業の親会社は森永製菓である。事件当時からの親子関係だ。
 菓子屋、牛乳屋と過少評価するなかれ。
 親会社は創業当初から軍部に取り入る営業を展開している。

 そのDNAを、森永が自ら示す、分厚い本がある。『森永五十五年史』だ。

 森永製菓は、戦時中何をしていたか? 
 森永は、自社チョコレートのパッケージに「ナチス」のシンボルマーク=ハーケンクロイツ(カギ十字)を印刷し、全国の子どもに販売していた。森永製菓は、「日独伊三国同盟」礼賛のポスターを日本全国の児童に描かせ、「絵画コンクール」を開催した。その会場は、中心にナチのカギ十字が印刷された旗が、会場中央に3枚吊り下げられた。明らかに「ナチ党大会」を模したものだ。軍国主義の時代、多くの企業が似たり寄ったりのことをしていた。

 だが、目を疑うのは、その数々のプロパガンダ写真を、戦後10年も経とうという時に発行した社史『森永五十五年史』332頁(昭和29年-1954年-12月発行)に堂々と掲げ、自画自賛していることだ。この本は、
各地の大学図書館にも納入されている。一度、目を通されることをお勧めする。
 ナチを礼賛し、日本では軍国「少国民」を量産して戦場へ送り出し悲惨な死に至らしめた事、森永がもっぱら菓子販売の金儲けの動機からこのプロパガンダに進んで手を貸した事。この社史からは、そんなことへの反省などカケラも見当たらない。軍国主義への組織的加担をためらいもなく自画自賛している。
 チョコレートの包装紙におお描きされた「カギ十字」のインパクトは、学校で習う軍国教育より数倍する児童への洗脳効果があったであろうことは、疑う余地のない事実だ。

 さて、このナチ礼賛に続く、333頁には何があるだろう? 

【皇室利用し毒ミルクを製造・宣伝】
 332頁の「三国同盟礼賛」の後に続くのは、皇室利用だ。
 皇室の工場見学を「光栄の記録」と続け、そこに「感激 森永ミルク 森永ドライミルク」の広告が登場する。これは何か? 皇室が森永の三島工場の見学に来たことを世に宣伝するため、自分から打った新聞広告だ。まさに自画自賛。
 ナチを持ち上げ、その次には皇室を利用して自社を持ち上げ、その真ん中に、「森永ドライミルク」の新聞広告を配置した。
 では、卑しくも皇室を利用しつつ大宣伝した「森永ドライミルク」は、「御献上の品」に値する程度に真面目に生産していたのか?

  否。

【くさった原料を偽装するため産廃由来の物質をこっそり添加】
 粉ミルクの原料は牛乳である。森永はシェア奪回を目指し、能力を越えた製造を敢行し、遠距離輸送で腐った原乳をひそかに使っていた。腐った原乳の使用を隠蔽するため、劇物の殺菌剤・過酸化水素水を密かに違法に投入していた。腐った原乳でも乾燥させて粉にすれば、一応ごまかせる。だが、湯に混ぜた時うまく溶けず、結局、不良品質がバレる。そのため森永は、更なる偽装行為として「第二燐酸ソーダ」なるものを投入して「中和」という化学反応を仕込んだ。
 見た目はまったく異常が見えない白い粉ミルク。まんまと母親をだませた。しかし中和剤として投入したのは、成分保証のある薬でなく、産業廃棄物由来の、強力洗剤や殺虫剤として出回っていたシロモノ。表向き脱色精製で結晶化されているが、中身はゴミのような化学物質だ。多くの不純物が混入している。要するに産廃由来の薬剤には成分保証がないのだ。毒物混入のリスクが限りなく高いものだ。それが産廃由来の薬剤というものだ。(これは当時の「国鉄」に強力洗剤として納入されたが、洗剤の品質検査をしていた国鉄から、砒素含有量が多いので洗剤としても使えないと、つき返された代物だ)
 森永は、これを薬剤の卸問屋には敢えて「使途」を告げずに納入させ、粉ミルクの中に密かに投入していた。 
(事件発生後、森永は「我が社は、薬問屋にだまされた被害者だ」と本末転倒の主張をし、検察の訴訟構成の不備を衝いて、一審で一時的に「無罪」となった。ちなみに、この森永側の巧妙な作為が「ネット百科事典」なるものにも、いたるところに混ぜ込まれ、まに受けると偽造歴史観に誘導される。)
 その後、森永社員が事件発生後から徳島市内の薬局を夜な夜な走り回り、正式な規格品の「第二燐酸ソーダ」をかき集めていた事がバレた。森永のこの偽装行為は岡大医学部小児科・浜本英次氏の「指導」にもヒントを得ていた。これは、重大な証拠隠滅行為として、検察側に捕捉され、後の有罪判決への有力な証拠となった。(出典:国連大学『技術と産業公害』Ⅲ砒素ミルク中毒事件と森永乳業の対応 (1)奇病発生から砒素検出まで 他)

 ちなみに、この「森永ドライミルク」は、皇室にも献上されたのだろうか? 気になるところではある…

【事件発生直後から親衛隊を育成し「企業防衛」】
 このナチ礼賛「森永製菓の社史」が出回る頃には、すでに企業犯罪は進行していた。全国から散発的に中毒症状が報告されていた。ミルクをつき返す地方の良心的医師に「営業妨害になるぞ」と脅しを加えていた。1955年6月頃から被害が散発的に出始め、その2ヶ月後には、もはや全国民から隠せなくなった。
 1955年8月、被害が爆発した。森永乳業が日本全国をパニックにおとし入れた。森永ヒ素ミルク中毒事件の発生=乳児大量殺戮(1年以内の死亡乳児に限っても131人)。そして、MF缶だけでも1万2千人をゆうに越す未曾有の被害者の発生である。

 ユダヤ人600万人をガス室送りにして人類史上最悪のジェノサイドを実行したナチスを礼賛する企業が、人類史上最悪・未曾有といわれる乳児大量虐殺を実行した。これは偶然の一致なのだろうか?

 だが、2千名を越す最大の被害者をうみ出した岡山県には、既にカネの力で森永の手先と化した者たちがメディア・行政・大学医学部の要所に巣食っていた(配置されていた)。それらが誰であるかは、森永製菓と電通常務(元森永製菓社員)の対談で、森永自身が、慇懃無礼にもてなすかのように実名をあげつらっている。だがその実、金でどうにでもなる操り人形として内心見下している企業の姿が、行間から読み取れる。その中の番頭クラスであり、すでに十分に森永寄りとなっていた岡大小児科の浜本英次教授は、事件発表をズルズルと遅らせ、医師の義務である食中毒通報さえせず、犠牲者の増加に加担した。(※1)

【食中毒通報さえサボった岡大・浜本英次教授】
 だがもはや隠蔽できるわけがない。急性ヒ素中毒症状で乳児が高熱と嘔吐と内臓肥大、皮膚が真っ黒になり続々と大量死している。敢えて「森永」の名を伏せた「人工栄養児に奇病」の地元紙による偽装報道(「森永」を明記した黒住記者は後日、デスクの見出し書き換え行為を内部告発)で、明治や和光堂の飲用者までが総合病院に殺到し、大パニックとなった。遅れに遅れて、8月24日の岡山県衛生部の記者会見となった。
 ところが、ここで一転、浜本英次氏は「砒素中毒第一発見者の英雄」とされ、厚生省から表彰された。食中毒通報の義務も果たさなかったにも関わらずである。一部の医師らは「第一発見」の手柄争奪に色めきたった。そして、浜本英次氏は事件直後から後遺症を無きものにするための不正な診断基準を作成する「西沢委員会」(6人委員会)(筆頭:阪大医学部・西沢義人教授)に合流した。名実ともに森永と国の「御用学者」となり、被害児圧殺に公然と加担した。表社会を堂々と歩く「御用学者」…その戦後初の登場シーンだ。(出典:国連大学『技術と産業公害』Ⅲ砒素ミルク中毒事件と森永乳業の対応 (1)奇病発生から砒素検出まで 他)

【事件から61年目にして、犠牲者の御霊を冒涜する面々】
 この浜本英次氏を岡山の一部メディアは、「日本の名医」と報道した過去記事を麗々しくネットへ掲載しその拡散を続ける。おびただしい犠牲者を出した惨劇の歴史と歴史の真実を平然と捻じ曲げ、犠牲者の御霊を冒涜して憚らない行為だ。
 また、浜本氏のおかげで出世を果たした弟子たちが歴史風化の陰に隠れ「先輩は、砒素中毒の第一発見者で多くの子どもを救った」なる同様の嘘を追加で垂れ流し続けている。更に、岡山・民医連も「浜本英次氏賛美」にさりげなく手を貸している。岡山では今も森永ヒ素ミルク中毒事件への認識も反省もなく、「先輩:浜本英次氏」の復権を目指す医療関係の弟子たちが跋扈している。彼らが再びメディアをたぶらかし、地域の「恥の上塗り」ともいえる行いを繰り広げている。彼らが関与する大型障がい者施設関係者に、マルクス・レーニン主義がすすんで媚を売る姿だ。この関係性をみるだけでも日本社会の病的退行は著しい。

【グループ・代理人の総力で国・医学界・メディア囲い込み】
 森永は、全く悪びれることなく、製菓をはじめグループ関係者(当時の電通常務-元森永製菓社員含む)の総力をあげ、国・厚生省を抱き込んで、西沢委員会(阪大・西沢義人)を結成し、後遺症を否定する不正な診断基準を作成して全国の医師を縛った。加えて不正な第三者委員会「5人委員会」を突然メディアに登場させ、「後遺症はない」と宣言。もっぱら子どもの予後と長い将来への後遺症の影響を心配する親を、無慈悲に叩き潰すため、「補償額」を一方的に決定して新聞発表し、患者を金銭解決に誘導し、分裂を仕掛けた。国民世論には、「被害者の親は金目当て」とデマ宣伝をし、メディアを切り離し、速やかに患者を国民から切り離した。他方、廃棄すると新聞発表したはずの砒素ミルク缶を東京に集め、ひな鳥用の飼料に混ぜて再販売した(東京都衛生部が関与)。森永は、役所とつるんで手にした「闇の売上げ金」を元手に、大学に研究費をばら撒く「森永奉仕会」を強行設立(厚生省認可)し、国・厚生省・医学界の御用学者を抱き込んで、後遺症追跡の封殺と、被害者救済運動の抹殺に狂奔した。(「森永奉仕会」は今も活動を続けている。)

【親は何を望んでいたか?】
 「森永奉仕会」の設立経過はこうだ。森永ミルク被災者同盟全国協議会(全協)に集う多くの親は(一部、訴訟解決へと分かれる親もいた)、金などに関心を示さず、被害児童の予後の見守りをひたすら心配し、「精密検診」の継続と後遺症追跡の「保健機関」の設立を要求し続けていた。それは単なる親の願望ではない。それは、乳児期に大規模な健康被害を受けた子どもたちに、科学では証明が難しい不測の後遺症や多くの体調不良の高進という人生の不安に悩む被害者に生涯にわたり光をあて続けようという人道主義の基本精神に基づく崇高な理念だ。
 森永は被害者組織(全協)の解散と交換条件に、それを設立すると約した。親は森永の尊大きわまる姿勢に疑いを持ちながらも、「それなら」と、屈辱的な解散を受け入れ、約束を履行した。ところが、森永は履行しなかった。森永はその「保健機関」の約束をあっという間に反故にし、逆に全国の大学医学部を買収する機関に正邪逆転させたのだ。今に続く森永の姿勢である。親たちが必死に要請して実現した全国一斉精密検診は、森永と国との合作による出来レースにすり替えられ、「全員治癒」ありきの「官製検診」と化し、被害のほうが葬られた。

【社会的圧殺と親たちの不屈の闘い
 親たちは同盟解散後速やかに「岡山県森永ミルク中毒の子供を守る会」を結成し、闘いを継続した。だがメディアは「親として当然の基本理念」をついに理解しようとせず、森永と国が仕組んだ「金目当ての親」とのデマ・誹謗中傷、それに加えての森永の自己礼賛のプロパガンダの仕組みを見破れなかった。(単に広告で買収されたメディアは問題外だが…)
 メディアは一切の黙殺を開始した。その後のあらゆる被害救済に大きな教訓を与えるこの14年間の意味は、今もなお、自身の歴史的罪への内省と精算ができない多くの勢力の思惑から、黙殺され続けている。

 赤ん坊の大量殺戮から半世紀以上を経た今日、膨大な被害者が、苦しみつつ生きながらえている中でも、未だに事件史を歪曲し続け、当時の幹部の免罪をはかる言説を雑誌などで垂れ流す現・森永。真摯な反省が見受けられない特異な企業体質だ。不祥事発生源にありがちなこういう体質を「感情支配型企業」と呼ぶ人もいる。

【政府・政治への介入癖は依然、治らず】
 その習性からかどうか、彼らが、昔も今も、時々の内閣にすり寄り添っていることは周知の事実だ。その目的が何かは、前述の事実をみれば、いわずもがな。権力に近寄るためには手段を選ばず。
無節操には驚くほか無い。これらの浅ましい業界勢力と古手の「左翼業界」の談合もすでに著しいが、それを精算できない社会の中で、既にそのツケはすでに多くの災厄となって国民の頭上に降りかかっている。(
※2 「旧55年体制」に続く「新55年体制」もそれを示すアイロニーだ。

【親衛隊を操り、陰に隠れてうごめくクセも健在】
 森永は、コミューンとの付き合いが得意なようだ。今は「赤い貴族」の親衛隊に守られ、それを防波堤にしつつ、被害者・親・親族・遺族からの怒りの矛先をかわし(主な矛先が仮に被害者団体へ向かえば、内輪もめ感が演出でき、ごく一部の愚かなマスコミ関係者を利用できれば、世間の「冷淡」に誘導できる。事件当時からのやり口だ)安心して利益をむさぼっている。税引き前利益からの資金拠出は、ていのいい「節税」だ。
 一方「親衛隊」に関しては、歴代の総理は…、というよりも、与党の地方議員でさえも、森永の “代理人“ と化した党派勢力の体質を知っている。利権にありつくチャンスさえあれば、表向きの看板など振り捨てて、コソコソと色々なものに擦り寄っていく体質だ…。(例:大阪での与党への擦り寄りなども、相手が嫌がるほどであったらしい)

【61年前から、自社への “感謝” を被害者へ要求し続ける】
 軍国主義礼賛のDNAをぬぐいきれない企業とマルキストの見事な連携。第二次世界大戦にあたり世界の人々が驚いたナチとソ連の見事な連携を想起させる。ヒトラーとスターリンの合作による「ポーランド分割(共同侵略)」の姿だ。利害関係が一致すると、どんな勢力とも手を組めるのが大昔からのマルクス・レーニン主義らしい。各種の全体主義イデオロギーは、その表紙は違えども、本質的な回路は「似たもの同士」ということか。これらは、市民的批判精神とは似て非なるもので、明らかに対極に位置する。一神教的イデオロギー 信奉者のなせる業だ。(これらを区別する賢明さがなければ、市民は混乱した政治状況の中で期待感と失望感に振り回され、両極でお互いを刺激しあう全体主義の勃興が加速されるだけだ。)

【 “舛添” の“足の裏”なみの…外道の説教】
 被害者の症状が悪化しても、「赤い代理人」と、その取り巻きの「民主団体関係者」は “それは後遺症ではない、加齢だ” と言い放つらしい。西沢義人・浜本英次コンビのお仲間になったつもりか? はたまた、森永に長年飼いならされて「成長」した結果か?
 重症者の受ける検診は、すでに放棄した被害者への後遺症追跡や救済ではなく、「来世」の「貴重なデータ」にするため、と被害者を納得させているらしい。カルト宗教のマインドコントロールだ。

 毎年、何十人という被害者が、苦しみ、もがきながら死んでいく。しかも、「キミィ、今は “対森永”の時代じゃないんだよ」「カネを出す森永への感謝が必要な時代なんだよ」などという「ゲスの極みの説教」を延々と聞かされながら…。(※3)
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【脚注】
(※1 浜本英次教授
    本人は自身の退職記念の冊子で正反対のことを書いている
    この天下周知の事実も、時間がたち、歴史継承の力が弱まると
    ─森永事件の場合は風化ではなく計画的封殺と歪曲だが─、
    正邪が見事に逆転する。
    
    参考文献は無料で読める。
    『砒素ミルク1─森永と共犯者たちによる被害者抹殺の16年─』
         前編 後編 森永告発刊)
    『森永ミルク事件史』=『砒素ミルク2』
        前編 後編  岡崎哲夫著  再刊:森永告発
    『森永ヒ素ミルク中毒事件 発生から50年』 (能瀬英太郎
      デジタルアーカイブコーナー
      学術論文コーナー 各種学術論文
      国連大学発行『技術と産業公害』(東海林 吉郎/菅井 益郎 著/ 宇井純 編)
      事件解説ポスター

(※2 国政へ陰に陽にすりよる企業
    現在は「陽」。森永製菓→電通OL→電通紹介→首相と御成婚…らしい。
    まるで森永事件のプロパガンダの裏面史をなぞっているかのようだ。
    関与している先は、安部政権だけではないことも付記しておく)

(※3 森永による「森永へ感謝せよ」との白々しい説教。

「さてこの事件に特有な第5の問題点は,ひかり協会が「森永ミルク中毒のこどもを守る会」(1983<昭和58>年6月に「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」と名称変更)の指導権の下にあるといっても,ひかり協会はあくまでも第三者機関なのであって,森永乳業側からみれば,それは守る会や被害者との唯一の公式の接点であり,したがってまた被害者工作のための橋頭堡としても位置付けられるものである.つまりひかり協会は被害者救済機関であると同時に,守る会と森永乳業双方の攻めぎ合いの場なのである.」(国連大学出版『技術と産業公害』第3章:砒素ミルク中毒事件 東海林 吉郎 、菅井 益郎 著  /宇井純 編) 
 「言いえて妙」とはこのことだ。今では、「守る会」の役員が「橋頭堡」へも股がけし、団子になってせめぎあいも無くなり、「双方」から「森永への感謝」が被害者へ要求される現状だ。(下記)

(※3補足
【 “大体の人が森永に感謝している” “一部の人だけが事件に怒っている” とのトンでも言説は、森永が事件発生時以来、被害者運動の抹殺に使ってきた常套手段】

  1970年、まだ健全だった「森永ミルク中毒のこどもを守る会」機関紙「ひかり」は次のように主張し、森永乳業のプロパガンダ攻勢へ警戒を呼びかけていた。
 現被害者団体幹部は、親にあたる「守る会」創設者及び、機関紙「ひかり」創刊者を、謀略の罠にかけて追放し、森永の求めるプロパガンダを代行している。物言えぬ多くの重症被害者への冷遇策を批判し始めた創設者を排除することは、「国民の福祉」「平和と民主主義」を隠れ蓑に弱者に食いつき「貧困ビジネス」に精を出すマルキストの根城確保には必須のプロセスだったということだろう。
------------中略-----------
 「森永事件以後、同じような事件が次々と起きています。私達が十五年前に、もっと徹底的に森永を糾弾していたならば、カネミ油症事件は起きなかったし、もし起きたとしても、もっと正しく処理されていたはずです。
  こう考えてくると『自分の子供は大して悪くないから』という理由で黙っていることは、結果的には森永に加担したことになります。
  事実、森永は十五年前にも、そのような人を利用して、事件をヤミに葬る手段に使いました。曰く『森永の処置に十分満足している』『森永に感謝している人が沢山いる』『騒いでいるのは一部の人たちだけである』と。
  今、森永はふたたび、この使い古した手を使って、こどもを守る親の悲痛な声をおしつぶし、社会正義のためにたたかう国民の努力を圧し殺そうとしています。
  被害を受けた人たちが、どのようにされても感謝するはずはないし、こどもを元に返して貰ったからと言って、森永の犯した罪が許されてよいはずはありません。」
------------後略-----------
 文中の「15年前」とは1955年、すなわち事件発生時のことである。
 
つまり、この「森永への感謝」という表現は、被害者を分断支配するとき、森永乳業自身が繰り返し巻き返し使ってきた常套手段であるということである。このプロパガンダを1969年、事件が再度、表社会に露見したことにあわせて、森永もまた再度復活させていることに注意喚起をしている。14年間暗黒の時代を闘いぬいた、今はなきものにされている、まともな親たちや市民からの血のにじむような警鐘だ。暗黒の14年の継続性がなければ、「14年目」もなかった。カネが絡めば、プロパガンダにも磨きと拍車がかかる。人間らしい自由な生き方を開拓するための道筋は、目前のカネの力で抹殺された歴史を学ばねば、何も見えないだろう。森永にとって既に許容できる範囲の人物を「救世主」と信仰させ、いろんな理由をつけて、親がどれほど熾烈な戦いを継続し、森永がとんな悪辣かつ巧妙な手口でそれを亡きものにしたか、の歴史は知らせない。歴史的無知で飼いならされた人間は操り人形としてもってこいだ。なにしろ「自覚」なく、恥ずべきことができるのだから。もちろん、企業は大満足だろう。

 幸い、今は事件史の全過程を意識的に、かつ、ニュートラルに学ぶ市民の見識のほうが高い。プロパガンダすれば世間全般はだませる。「恒久救済で合意」などと御立派に表現しても、異論を許さない体制化で大半が骨抜きにされている現状は明白だ。ところが、これさえもメディアをいいように利用すれば隠せる。むしろ、森永と合意させられた被害者の「自己責任」に転嫁することさえ可能だろう。だが、背後にいるのは明らかに加害企業であり、拝金主義になびく歴代の赤い代理人たちである。これが日本政府の政策に忠実に沿った権道の姿だ。国家権力の不正で怠惰な姿勢に追従という汚名を残し、他の公害の理不尽な取り扱いの先例となり、それに免罪符を与えている。
 だが、自覚ある市民をだますことはできない。すでに実態を見抜いた市民が大勢いる。これが日本社会の未来への唯一の希望である。


参照 http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/bengosi-igi.htm
   http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/okazakitetsuoryakureki.htm
   http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-morinagakokuhatsu-no-tatakai.htm
   http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/bookmotomeruyuusi.htm

今年の報道記事
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【報道 山陽新聞 1面 「滴一滴」2016年8月27日付】
山陽新聞 滴一滴20160827











昨年の報道記事
【読売新聞 2015年8月25日】
読売新聞記事20150825






















【読売新聞 2015年8月27日】
中国新聞記事20150910




















【山陽新聞 2015年8月23-24日付】
山陽新聞20150824