朝日新聞デジタル “プレミアムA” で「ノモンハン事件」の大型企画 
by 虎頭要塞日本側研究センター / 2020年8月1日

 今年は1939年に始まった第二次世界大戦の終結から75周年となる。本日、朝日新聞が、記事と連携したWebマルチメディア大型企画 “プレミアムA” で「ノモンハン事件」の特集を開始した。
2019年ノモンハン事件戦場調査
 2018年の終戦記念日に拡大枠で放映された、NHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」でも再度この戦争が多くの国民に知られるようになった。
 「やられたらやり返す」…。1939年に、モンゴルの辺境で、一見「普通の国」のような論理で、関東軍と、ソ連・モンゴル同盟軍との間で戦端が開かれた。第二次世界大戦の先取りともいえる激戦。戦車・装甲車・自動車を中心とする高速で動く両軍の機械化部隊が一望千里の大草原で激突した。
 だが、戦略も情報も軽視する日本軍の無責任な戦争遂行が泥縄的に進んだ。結果、おびただしい将兵が犠牲となり、ソ蒙側が主張する国境線で決着し、日本側の敗北が決定した。 ※写真:虎頭要塞日本側研究センターが取り組むノモンハン事件国際共同学術調査の風景(遠方に見えるのがハルハ河)

今、そこにある「ノモンハン」
 しかし、日本陸軍の最高指導部は、その結果から逃亡し責任を取らないどころか、その後にもっとひどい状況を生み出した。両国合わせて4万人以上もの死傷者を出した辺境の大戦争。だが、政府はメディアを操作して「勝ち戦」を演出した。ノモンハン事件をきかっけに「生きて虜囚の辱めを受けることなかれ」と「玉砕」を強いる「戦陣訓」がつくられ、大本営発表的なプロパガンダの先駆けともなった。その後の太平洋戦争への悪しきモデルがここで作られた。
 その隠されてきた事実の数々に驚き、“部下に責任転嫁して真の責任者が逃亡するとは…今もこの国のいたるところに同じ現実があるじゃないか”と気づいた国民が多いに違いない。

 朝日新聞は戦後一貫してこの事件の解明に取り組み、この10年は定期的に同事件の特集を組んできた。このたび満を持してマルチメディア連動企画 “プレミアムA” で、その取材成果を紹介する。
朝日新聞デジタル プレミアムA ノモンハンPV


       







“プレミアムA” に連動のPVとデジタル配信記事
PC版の初期設定は無音なので、左下スピーカーマークをオンに。

“プレミアムA” インタラクティブコンテンツ の「第一章」の骨子は無料で見ることができる。

「ノモンハン 大戦の起点と終止符」
 今回、新たに「世界大戦のスイッチ」としてのノモンハン事件、という視点が加わる。
 近年、世界的な歴史家・戦史家をして「ノモンハン事件は、第二次世界大戦の端緒」と言わしめている。欧州と東アジアを結合させて1939年9月1日に世界大戦を勃発させた重要なパズルのピースとして、「従来は戦争としての知名度は低いものの」、“これを語らずしては第二次世界大戦の始まりの説明がつかなくなる”、として特別な光が当てられ始めている。
 日本人は島国的発想から目先の衝突にヒートアップして世界を見失いがちである。他方、当時の欧州の独裁者たちは、ノモンハン事件を奇禍として、東アジアを制圧しながら世界分割の野望に突き進んだ。ノモンハン事件をもたらした日本の短兵急で感情支配型の政治は、同年に独ソ不可侵条約(ナチスドイツとソビエトという二つの全体主義国家によるポーランド共同分割[侵略])を速やかに実現するテコとなり、第二次世界大戦の火ぶたが切って落とされた。

日本の “無責任体質” の起源

 そしてまた、日本側においては、トップが敗戦の責任から逃亡し、現場で勇猛果敢に戦った部下に責任をなすりつけて生き延び、その後もあい変わらず愚かな戦争指導を続けた。そういう腐敗した幹部が重層的に重なり合い相互に補完しあう構図も露わである。
 当時の日本政府も、軍部に負けず劣らずで、国際情勢を理解する力をもたず、事件終結後に内閣は自ら瓦解するという醜態を演じた。その感覚は戦後も一貫していて、最近まで、この事件を世界的に位置づける視点は不足していた。

「血管が破裂する」と吐露した司馬遼太郎
 当時、満洲国にいた司馬遼太郎が、戦後、「ノモンハン事件を書くと自分の血管は(憤りで)破裂する」と述べたのは有名な話である。大作家でさえ、この事件の腐敗した関係者への怒りが抑えられず、冷静な描写ができない内面の苦しみから逃れられなかった。現代の村上春樹氏も『辺境・近境』で書くように、日本人の心性にへばりついて離れない象徴化された戦争ともいえる。
 いまだに乗り越えられないこの国の「無責任体質」。特に日本は、人々を傷つけ弱い者をいじめる組織犯罪で、トップの責任を免罪する傾向が強い。組織は害悪を垂れ流しても、閉じた「日本的ムラ意識」で内外からの批判を封じ込めていく。この「現代の病」のルーツがここに凝集されている。

1939年、東アジアと欧州を結合させた「ノモンハン事件」
 「プレミアムA」では、ノモンハン事件を、従来の「苛烈な日ソ国境紛争」というボトムアップ型の視点だけではなく、世界史的視点から俯瞰的にとらえなおしている。同社は本企画に向けてグローバルな取材を実施。米国と英国の世界的な戦史家や歴史家にも独占インタビューした。今後、定期的にコンテンツを追加していく。当センターによるモンゴル大草原への5回にわたる現地調査の成果と最新の知見も公開される予定だ。 

稀少映像の数々を公開
 ノモンハン事件の戦場は、モンゴルの首都ウランバートルから東に1,200㎞の辺境。現在のモンゴル・中国(内モンゴル)の国境線にある。強化仕様のランドクルーザーでもトラブルを繰り返しながら到達に3日かかる。全行程が砂漠・半砂漠地帯で、位置を見失えば彷徨する。
 旧戦域は、非常にセンシティブなエリアだ。モンゴル軍・国境警備隊の許可がなければ立ち入れない。今回特例で実施された国境でのドローン空撮映像もふんだんに紹介される。従来あまり見る機会のない両軍の兵器も紹介し、戦争の無謀さにビジュアルで迫る予定だ。戦況図も簡略化して挿入され、時間の流れにそってコンテンツが連動する。ゆっくりと画面をスクロールするのがコツだ。

世界史のダイナミズムに迫る
 通常、複雑にからみつく歴史のダイナミズムを文章だけで理解するのは骨の折れることだ。
 だが今回は、ビジュアル優先でどこからでも好きなところから見ることができる。これはWEBコンテンツのメリットかもしれない。
 世界はどのように大戦の大量殺戮に突入していったのか? 1939年の激動のさなかに発生した東アジアの大規模国境紛争を探り続けると、世界と日本が一つにつながる。75年の歳月を経て、ようやく人類はこのテーマを手にした。

【追記】朝日新聞本紙 8月15日終戦記念日特集 
「草原連なる世界戦の足跡」ノモンハン事件 1面+2面全面カラー特集

https://digital.asahi.com/articles/DA3S14587633.html


虎頭要塞日本側研究センター
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/kotou-top.htm

記事ウェブ連動マルチ

【このテーマでの、過去の主な参考情報】
1.朝日新聞デジタル
「モンゴルの原野 対日侵攻の拠点に迫る」 
2.NHKスペシャル
「ノモンハン責任なき戦い」 当ブログ紹介記事
3.ABC朝日放送ドキュメンタリー『満洲崩壊はここから始まった』
2017年米国・国際映像祭ダブル受賞作品
The Fall of Manchuria Began Here
~Undiscovered Secret Soviet Bases of the Mongorian plain~
US International Film & Video Festival Award Winners

NEWYORK FESTIVALS TV&FILM AWARDS
4. 3.関連 虎頭要塞日本側研究センター
2016年ロシア調査報告 及び 2015年モンゴル調査報告