市 民

森永ヒ素ミルク中毒事件は、昭和30年(1955年)に日本で発生した、森永乳業の粉ミルクによる乳幼児の大量死亡・被害事件です。 森永は、猛毒のヒ素が混入した産業廃棄物由来の第二燐酸ソーダを、製品が新鮮であるように偽装する目的で赤ちゃん用粉ミルクに添加したため、1万2千名以上の膨大な被害者を生み出し、1年以内に131人の赤ん坊が死亡するという世界最大の食品公害となりました。未だに多くの被害者が理不尽な扱いに苦しみ続けています。

2014年01月

脱原発一本化を拒否した共産党に対する鎌田慧氏の批判の衝撃

http://bylines.news.yahoo.co.jp/amakinaoto/20140129-00032088/

そもそも、かつて共産党が多様な民主主義を尊重したことがあったのか?とか…コミンテルンでのディミトロフ演説の位置づけをどう見るか?とか…、そんなことはこの際どうでもいい。要は、鎌田慧氏が共産党のDNAとも言えるセクト主義をわかりやすく衝いたことに関しての、とても興味深いオピニオン。
  (セクト主義に見えて要所では自民をアシストしている行為は既にバレている→http://takuki.com/dsk/015.htm )
市民運動の新しい層が共産党の本質を再認識し始めたのは大変結構なことだ。

共産党の、百年以上変わらぬ思考回路と作風

共産主義イデオロギーの要点を簡潔にまとめると、「共産主義はすでにマルクス様が法則的に決定しているとおっしゃった人類の最高にして最終的な到達点であり、共産党は、そこへ無知な民衆を導く領導主(自称:前衛)である」と自己規定をし、自己暗示をかけ続けるイデオロギーである。

20世紀後半からは、この自己暗示システムだけがこの党の組織支配原理として残存し、共産主義を実際に実現しようなどと大まじめに考えている構成員はもはや存在しないだろう。だが、これでは党名との整合性が取れないので、党側は、共産主義の定義そのものを原典から変えてしまい「共産党が議会で第一党になる事がまず共産主義への手始め」と規定しているから、「共産主義を目指している」と自称しても矛盾を感じなくさせている。ひたすら「党勢拡大の宣伝活動」をすることが「日本革命の崇高な使命」だと思い込めば、自省能力の成長は抑制され続ける。ただ、理屈的にはどうひっくり返っても、共産主義を口にしている限り最終段階では共産党一党支配(独裁)が登場するはずなのに、それは口にチャックしつつ、その論理構造が引き出す独善性にはしっかり影響を受けている。曰く、「われこそは唯一無二の平和と民主主義の党」「自分たちだけが正しい」...。事実にも反するこんな唯我独尊をクチにするから、幅広い視野をもつ人には?マークがいっぱいつくことになる。

実態は、美辞麗句で糊塗しただけの拝金主義な世俗政党

自らを「人類の理想へ導く前衛党」と “唯物論的、歴史主義的に” 規定することで、この組織は自らを、「人間社会の上位に立つ超越的かつ神格化された存在」にしてしまう。この一神教的世界観こそが、この党が、「支援という旗」を振りかざしながら近寄って行く先の団体へ介入や乗っ取りを画策し、そのためには言論弾圧、査問、政治的抹殺といったありとあらゆる不当な行為にためらいがなくなる思想的基礎をなしている。が、党員たちにはその自覚がほとんど無い。自党の根城を拡大することは理想郷に近づく重要な組織化活動と考えるからだ。実際には、拝金主義に基づく党生活者の利権確保と、それを美しく糊塗するためのプロパガンダを代行する盲従諸団体の生成・育成が目的にすぎない。

問題は、その「ここぞという時の」やり方が、普段から党内で慣れ親しんだ民主集中制の手法で、手段を選ばず偽装潜入とプロパガンダに狂奔し、正面から批判されようものなら徹底的に「反共主義者め!」わめき散らし、噛みつきまわり、誹謗中傷、恫喝、組織動員による威圧、政治謀略など見境のない手段を選ぶことである。乗っ取る際には、対象組織内部の市民的リテラシーに欠如したゴリ押しタイプの人間を橋頭堡に使い、用済みになればお得意の美辞麗句を持ち出し切り捨てるといった事にも躊躇いはない。徹底的な党利党略優先で突進する習性。これで乗り切ってきた「成功体験」が忘れらない。それを下支えするのが「民主集中制」という、民主主義を深く考えた事がある人にとっては笑止かつ幼稚で形式主義的な思考回路。“この統制原理を維持する限り組織は安泰”...これこそが、腐っても「共産党」の看板を降ろせない本当の理由だ。

全体主義イデオロギーを貫く「閉じた循環的な論理構造」

論理的・学術的に誠実たろうとする人々には理解に苦しむ循環理論を振り回す党であるが、一方、当事者はそ知らぬ顔を決め込んで、“資本主義の本格的変革の段階は数百年先“ みたいな発想で合理化するか、或いは、公の場での自党の終局目標についての議論からは逃げ出すという戯画的なものとなる。「共産党」を自称しながら、選挙演説などで「共産主義社会の実現を一刻も早く目指しましょう」の一言さえ聴くことが無いのはそのためだ。(マルクスの労働価値説を世界観の拠り所にし、経営者を階級敵と規定するなら、ブラック企業に限定することなく「生産手段を所有する経営者や農民から工場や土地を奪取する」本来の「カクメイ運動」に果敢に邁進すればいいものを、彼らが介入する対象は、もっぱら、市民運動や、住民運動、温和な労働組合運動ばかりだ。これを「数百年先かもしれない共産主義社会への準備」と思い込むのは勝手だが、「取らぬ狸の皮算用」を口実に、市民運動を引っ掻き回す事なかれ、である。)

国民からの批判に基づいて自己のイデオロギーの根幹を不断に見直すという思考様式は理解できないようだ。修正があるとすれば、いつも、自党の「党勢拡大」「プロパガンダ」の都合からだけである。
(ちなみに、「教宣」なんて言葉は正式な日本語でもないし、この言葉を安易に口にする人はプロパガンダに片足を突っ込始めているとの自戒が必要だ)

そもそも、この思想の基礎をなす唯物弁証法的歴史観には、「開かれた改善サイクル」を可能にする修正回路が埋め込まれていない。(「人類の終局目標である共産主義体制」という看板を修正すれば、そもそも共産党の存在理由がなくなるのではないか、という自己暗示型の循環理論の罠)このような意味で、獲得した党員を精神的にがんじがらめに拘束する強烈な機能を有しているのも事実。いわゆる「官僚の無謬性神話」もたちが悪いが、外部からの批判に耳を貸す必要性を認識できないという点では、カルト宗教的イデオロギーに酷似している。
これは、自己完結型理論がもたらす大きな罠であり、ポパーや、アーレントが明確に指摘した「無限の世征服運動に突き進む全体主義運動」の核心的論理構造である。

それゆえ虜になった人間はカルト宗教団体やマルチ商法の信者よろしく、思考停止のまま、実によく党のために働く。これも党幹部が「共産党」の看板を降ろせない蜜の味の源だ。


マルクス・レーニン主義的思考回路は市民主義的資質とは無縁

末端党員は、組織中枢の腐敗構造を直に見る機会でも無い限り、自党の問題点に気づくチャンスはほとんど無い。機関紙を読まされ続けることで、“「前衛党」の下働きをすることが社会変革への最短の道”  という、市民的資質の欠落した思考方法と特有の独善的(前衛党無謬論 的)思考方法が不断に植えつけられる。

組織内でマスターベーションをしている間は、自由と民主社会の寛容証明書への寄生虫みたいなもの。
だが、この「一枚岩的」民主集中制の統制権力の機能を知り尽くしている国家権力は、最悪の公害事件などに際して住民・市民運動が激発したときには、運動への骨抜き工作代わりに代行利用をはじめる。そのあざといやり口は、深い傷となって半世紀を経てもなお国民の記憶の中に刻みこまれている。それは以下の事例にも端的にあらわれている。


水俣病闘争の現場に立った渡辺京二氏は、石牟礼道子さんの書籍で以下のように看破する。

「日共水俣市委員会は…ビラを織り込んだ。これは、…チッソの責任追及など申し訳にすぎず、彼ら (※日共) の水俣病問題に対する基本的認識が〝水俣病と安賃争議のために水俣はさびれた、これをなんとかしなくてはならぬ″  という、チッソが陰に陽に流し続けた、患者と水俣工場第一労組の労働者を圧殺するためのイデオロギーの完全なとりこになっていることを、白日の下にさらすものであった。…日共の数々の愚行はいまさら問題にするのも沙汰の限りではあるが、この声明は愚行などという生易しいしろものではなく、決死の闘いに立った十八家族への背後からの一刀であり、政治的犯罪の極北を示すものである。」
                       出典:石牟礼道子編「水俣病闘争 わが死民」

容赦ない厳しい憤りに満ちた筆致だ。それほど日本共産党が犯罪的な立ち回りをしたからだ。当時の水俣病患者の情念を共有した人間だけがわかる、腐敗した民主集中制党派への怒りのツブテといえるだろう。


■歴史ドキュメント/TVシリーズ【ソビエト社会主義共和国連邦の歴史的大罪】
 【スターリン主義の本質はマルクス主義の「歴史の法則的発展観」に既に内在している】
 民主集中制の本質が「視える化」された状態に過ぎない

 ■スターリン恐怖政治 「公開裁判」「粛清」「見世物裁判」
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「チェーカー」 ウラジーミル・レーニン直属秘密警察組織
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共産党暗黒白書、「二千万人大虐殺」
 ■ソビエト強制収容所
 ■スターリン恐怖政治 強力な個人崇拝とプロパガンダ
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ソ連邦の統制でスターリン崇拝を強要されたバルト三国の悲劇
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家族を密告した「少女オーリャ」
 ■キリスト教會弾圧「宗教は阿片なり」

市民運動のなかでも、自己中心的な価値観からの運動は多くみられますから、どこからの批判であっても真摯に耳を傾ける必要があると思います。
批判の中身を吟味し、十二分に公開された場で、公に公開された情報を共有しながら、フェアな討議をおこなっていくことこそが必要です。

たとえば、原発などのような施設を、長年、日本の貧しい地域に押し付けておいて、数千億円もの交付金で、一種のシャブ漬けにしながら、耐久年数いっぱいいっぱいまで稼働させた結果の電気をじゃぶじゃぶ使ってきた、我々日本人の壮年層以上の人間が、これまで自らの生活や事なかれ主義で生きてきた生活様式と人生に深刻な反省もなく、原発が破裂したとたん、思いついたように反原発を唱え始める姿。
多くの人は「原発が危険だなんて知らなかった」といいます。そうでしょうか?原発が貧しい地域に巨額の交付金と引き換えに設置されていったこと、反対運動が各地であることを、本当に、そういう方々は一切知らなかったのか? 急に善人ぶるのはやめにしたほうがいい、という意見もあります。

変化は大変結構なこと。そして、もちろん気づいた人が変わっていくのはいいことですが、依然として、電気をじゃぶじゃぶ使いながら、文明生活を甘受し、たとえば、その施設の出す核のゴミなどの処分場の設置などが自分の地域に来ることに関しては問答無用、死んでもゴメンだという考え方が市民の発想の中に当然のようにあるとしたら、それこそ本質的なエゴにつながる話ではないか? 多かれ少なかれ、原発を「迷惑施設」と知っていながら、自らに火の粉が降りかからないうちは、「三原則をまもって安全運転してくれればいいのに…」というまさに長年の共産党的な折衷論的言い訳を頭の隅に維持しながら、多くの日本人が、見て見ぬふりをしてきたのでしょう。この折衷論は、市民のなかにもある怠惰な思考に取り入り、それを加速させる負のアクセルを演じてきたといえるでしょう。

そして、それが、福島県民をまとめて棄民にしたり、福島の製品をじゅっぱひとからげで排斥したりする発想になっているとしたら、それは、いかがかと思います。風評被害といいますが、壮年層以上の人間は道義的意味で安全が確認された関東以東の製品を購入すべきだし、(子供、青少年、青年層は例外)、そのうえで、しっかりとした責任意識(ある意味、緩やかに自分の命をかけて)をもって原発の存続に意見を提示すべきとの意見も、市民は真剣に議論すべきでしょう。

そして福島県民の中にも「浜通りの人間が金欲しさに原発を誘致して、俺らは大迷惑だ」という差別意識に基づく思考があるとすれば、それも同列に批判されるべきでしょう。

電気をじゃぶじゃぶ使って「先進国の住民」を気取ってきたという事実は多くの日本人にあります。その事実をどう受け止めるかについて、ヒトとしての反省がなくば、それは、真の意味で道義的かつフェアな問題提起となならないでしょう。

しみんうんどう【市民運動】 

自由で平等な市民社会と平和で健康な市民生活を実現するため,それを妨げるさまざまな力に対して,連帯して抵抗し,市民的自由の拡大と市民生活の擁護を図ろうとする運動。歴史的には,17,18世紀,イギリス,フランス,アメリカで都市ブルジョアジーが王政や植民地支配に反抗し,市民的自由を獲得していった市民革命の経験に,古典的な市民運動の原型が求められる。 現代の市民運動は,すでに手にした市民的自由を武器に,核兵器反対,人種・性別など差別の撤廃,人権擁護,軍事基地撤去,公共開発事業の阻止,公害反対,自然保護,情報公開法の要求,公選制の拡大,嫌煙権の要求など,市民の自由権と社会(生存)権を守る多様な目標を掲げ,国際,国内,地域社会で自発的な運動を展開している。

kotobank.jp/

市民運動でググルと4番目に、市民運動の在り方を論じる以下のような意見もある。
http://agora-web.jp/archives/1476540.html
“「典型的」な日本の悪しき市民運動の道” という表現も刺激的だ。

でも、読んでみると、なんだか、おかしい。かっこよさげなホームページで、もったいぶった意見がたいそう陳列されているが、ここに欠けているのは何だろう。
市民運動の在り方を形式論で論じているようで、こういう批判は、物分りの良い運動スタイルの強要により安易な政治的妥協に誘導するレトリックとなり得るのではないか。ここのサイトでは、原子力推進の主張が積極的に展開されているようだ。それは、それで一つの意見として傾聴するに値する。だが、忘れられたかのように論じられていないのは、痛みを受けた人々と共感しあい、人間の尊厳を守ろうとする心をベースとした、「市民的資質」ではないか。


森永乳業株式会社は、1955年に自らが引き起こした世にもおぞましい乳児大量殺戮犯罪の隠蔽のために厚生省を動員して、戦後日本初となる御用学者による「第三者委員会制度」をつくりだした。

「5人委員会」 「西沢委員会」 「森永奉仕会」。 

弁護士、医師、メディア…と世の中でもっとも信頼性を期待されていた業界の中から最悪の人物を選抜し、殺人企業の免罪と、事件要因の隠蔽、被害者を誹謗して国民と分断する悪魔のような仕事をやらせた。 (※1)
   
                


森永の期待通り、医師、メディア、法曹界は見事に事件隠蔽の道具とされ、とりわけメディアは被害者に「黙殺」という無言の牙をむき出した。この手法はその後の14年間の長きにわたり世論を欺く絶大な効果を発揮した。

最初の半年で、この大事件を幕引きできた大成功に味をしめ、国はその後、水俣病患者の圧殺にも応用するに到った。だが、わずか4家族の被害者家族が、闘いの灯火を守り続けた。事件は一時的な決着をみたが、再度巻き返しに遭遇した。反撃を試みたものは、被害者組織・基金組織に絡む利権を手中におさめた政治勢力から粛清追放された。結果、この30年間にわたり、被害者運動の苦難の歴史を再度、歪曲・隠蔽する努力を続けている「御用な者たち」が跋扈するに到っている。戦後初の御用学者 出典:森永ヒ素ミルク中毒事件資料館

その仕組みはすでに ポスター(p.7右図は初期のシステム→) や、デジタル文献【砒素ミルク1.2.3.】  或いは レポート『森永ヒ素ミルク中毒事件 発生から50年』 、 近年発表が相次ぐ学術論文シリーズ でも詳しく知ることができる。(が研究書となると未だにほとんど見るべきものがない)

だが、これは決して過去のことではない。

現在の東京電力福島第一原子力発電所の事故に至る原子力行政でも、そして、その後の事故処理でも同じように御用学者が繰り返し出現する。
科学者というのは、本来、科学的検証のサイクルによって得られた、その時点での知見を公正に表明してこそ本来の職務をまっとうできるものだと思うが、金と権力が絡んだとき、科学者と言われる人々の世界にも大混乱が発生し、いったい科学的といわれるものがどこまで信憑性があるのか、市民には理解不能となってしまう。
一方、市民が科学に関して口を開くと、素人主義と揶揄され、最近もメディアは右へ習えで、科学者と専門家のコメントばかりをあさっている。
最近では、古典的御用学者が使いものにならなくなった場合、原因企業は「(自称)民主的医療組織」というものと手を組み直し、被害者集団を再度抑圧支配することにもためらいが無い。

市民は科学者に従わざるをえない「しもべ」なのか、それとも、市民と科学の対等な結節点はあるのか?

 ※1)「5人委員会」は不当に低い一律補償額と、ほとんどの被害者を因果関係不明として切り捨てる声明を突如として新聞発表し、それに憤る被害者団体を、「子どもを使ってカネを要求する金取り団体」であるかのように描き出し、その下地の上にメディアに圧力をかけて事件を封殺した。当時まだ全体的に貧しい日本社会の風潮に対して、このプロパガンダは絶大な効果があった。この手法は今も生きている。現在は、被害者同士を分断するプロパガンダとして活用されている。

近年ごたまぜ感満載の「ウイキペディア」にはとりあえず以下のようにあります。(抜粋)
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…(前略)1920年に開かれたコミンテルン第二回大会は「プロレタリア革命における共産党の役割に関するテーゼ」を採択し、その中で「民主主義的中央集権制の基礎的原則は、党の上級団体が下級団体によって選挙され、党の上級団体の指令一切が絶対的に、かつ必然的に下級団体を拘束し、大会と大会との間の期間、一切の指導的な党の同志が一般にかつ無条件にその権威を認める、強い党の中心が存在すべきことである」と規定した。軍隊的な上意下達に基づいた党規律を民主主義的要素よりも優先し強調したこのような民主主義的中央集権制がコミンテルンを通じて各国の共産党に広がっていった。

さらに1921年の第10回党大会で採択された決議「党の統一について」は党内において分派を形成することを禁止した。それでも1920年代には党内にトロツキー派やブハーリン派などの反対派が存在したが、スターリン派によって一掃され、1930年代の大粛清において次々に処刑された。共産党は指導部に対する批判をいっさい許さない組織へと変わった。このスターリン時代の党組織原則を民主主義的中央集権主義と区別して一枚岩主義と呼ぶ見解もある。

しかし共産党自身は自らの組織原則を民主主義的中央集権制と呼びつづけた。1934年に改正された党規約第18条も「党の組織構成の指導的原理は民主主義的中央集権制」と規定しており、その内容として以下の四つの項目が挙げられている。(1) 党の上から下までのすべての指導機関の選挙制 (2) 党組織にたいする党機関の定期的報告制 (3) 厳格な党規律、ならびに多数者への少数者の服従 (4) 下級機関および全党員にとっての上級機関の決定の無条件的な拘束性。

1977年に採択されたソ連憲法は国家の原則として民主主義的中央集権制を採用し、第3条で「ソビエト国家の組織と活動は、民主主義的中央集権制の原則、すなわち、下から上までのすべての国家権力機関は選挙によって構成され、これらの機関は人民に対して報告義務を負い、上級機関の決定は下級機関にとって拘束力をもつという原則、にしたがってうち立てられる」とした。

中国共産党における民主集中制

中国共産党の党規約では、「総綱(前文)」において「民主集中制を堅持すること」を党の原則として掲げている。 さらに第十条に民主集中制の具体的な内容を明記している。(以下省略)

1958年の日本共産党規約では以下のように記載した。

(3)日本共産党の組織原則は、民主主義的中央集権制である。党は民主主義の原則と中央集権制の原則を正しく統一する。 党内民主主義の保障、かっぱつな党内討議は、党員および党組織の積極性と創意性をたかめ、党生活を生き生きとしたものにし、自覚的な規律をつくるとともに、党内のゆたかな意見と経験を集約し、党員の認識をひろげ、個人的指導を排して集団的指導を実現し、党の指導力をたかめるためにかくことができない。 しかし、このような党内民主主義が、党の中央集権制と結合し、その基礎となって、はじめて党が全党員と全党組織の意志と行動を統一して強力な実践力を発揮し、どんな困難にもうちかち、党と人民の敵にうちかつ戦闘的組織となることができる。 決定にたいしては、少数は多数にしたがい、下級は上級にしたがい、積極的にこれを実行しなくてはならない。 こうして、党内民主主義は中央集権制のもとにおける民主主義であり、また党の集中制は、党内民主主義を基礎としてはじめて強固なものとなる。したがって、党員は党内民主主義を無視し、党員の創意性をおさえる官僚主義や保守主義とたたかうとともに、集中的指導をよわめる無原則的な自由主義や分散主義とたたかわなくてはならない。 党の指導原則は、集団的な知恵と経験にもとづく集団指導と個人責任制の結合である。(4)民主主義的中央集権制にもとづき、党員の自覚と厳格な規律による全党の統一と団結こそは、党の生命であり勝利の保障である。したがって、すべての党員は、いかなる場合にも党の統一をかたく守らなくてはならない。意見がちがうことによって組織的な排除を行なってはならない。また党規律をみだし、決定を実行せず、統一をやぶり、派閥をつくり、分派活動をおこなうことは、党を破壊する最悪の行為である。党内では、党の政治方針や組織原則をそこなうような行動はゆるされない。— 日本共産党規約(1958年)

1975年12月に『文藝春秋』で始まった連載「日本共産党の研究」において、立花隆は暴力革命・プロレタリア独裁・民主集中制をレーニン主義の三位一体の原則だと指摘した。その上で、日本共産党は暴力革命を否定し、プロレタリア独裁の意味内容を換骨奪胎したが、民主集中制は捨てていないので体質は変わっていない、と主張した。また、民主集中制の背後には大衆に対する不信とエリート主義がある、という見解を示した。日本共産党はこれを「反共攻撃」と見なし、「民主集中制は、勤労大衆に責任を負う近代政党の不可欠のメルクマールである。党内派閥を認めず、三十数万の党員が一つの路線、方針にもとづいて多彩に積極的に活動している日本共産党は、もっとも近代的、合理的で、活力ある組織政党である」などと反論した。

2001年に刊行された日本共産党の党規約解説本では、民主集中制はあくまで共産党内部の原則であり、同党が政権獲得した場合、日本社会全体が民主集中制に移行させられるという批判に対して「われわれ自身の内部規律だということを、しっかりとおさえて反論することが大事です」と述べている。

レーニンの民主集中制に対してローザ・ルクセンブルクは「プロレタリア独裁がプロレタリアートに対する独裁に転化する」として批判した。

永山博之は、まずプロレタリア独裁は「広い意味でのデモクラシーの流れの一部」だが「個人の自由の保障という考え方はない」とし、次に民主集中制は「前衛党が誤った判断を下した場合、それを是正する仕組みは存在しない」として、「プロレタリアート独裁体制が実質的に共産党独裁や共産党の頂点に立つ個人(書記長、総書記)の独裁に転化していったことは、このような制度が必然的にもたらす結果」と記した。
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例によって玉虫色の解説となっているが、コミンテルン型共産党の組織原則を象徴するものであることだけは明白である。と同時に、選挙という制度を形式的に取り入れているだけで、民主主義への理解は紙より薄そうである。

特に 「2001年に刊行された日本共産党の党規約解説本では、民主集中制はあくまで共産党内部の原則であり、同党が政権獲得した場合、日本社会全体が民主集中制に移行させられるという批判に対して「われわれ自身の内部規律だということを、しっかりとおさえて反論することが大事です」と述べている。」 という内容は、もし事実なら、ナチス政権誕生の負の教訓を忘却した御都合主義的解釈の頂点とも言えるものだ。

でも、このことに未だ疑問を感じない日本人が党員・シンパという形で結構いるらしい。さて、どうしてでしょう。

「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」と「公益財団法人ひかり協会」の「救済」事業は、
「運営が閉鎖的で、言論の自由を認めない強圧的なやり方。重症被害者は症状が重くなると支給額が減らされ、森永の支出が軽減される異常なカラクリが政府公認のもと30年以上続けられている」
と抗議する遺族や重症者の親御さん。

この親御さん達の批判の一端を掲載しているホームページ「監視塔」の掲示板に、 昨年(2013)、こんな書き逃げをした人物がいます。

「俺たち病院にかかれるだけで幸せ、それを批判する親は要らない」 

 この状況、みなさん、どう見られますか?

森永ヒ素ミルク中毒事件とは、昭和30年(1955年)に日本で発kann生した、森永乳業の粉ミルクによる乳幼児大量死亡被災事件です。 森永は、猛毒のヒ素が混入した産業廃棄物由来の第二燐酸ソーダを、製品が新鮮であるように見せかける目的で、赤ちゃん用粉ミルクに添加したため、1万2千名以上の膨大な被害者を生み出し、1年以内に131人の赤ん坊が死亡するという世界最大demo1の食品事件となりました。戦後初の御用学者による事件封殺のシステムが開発され、その後の公害被害の封殺に転用されました。被害者救済を巡っては今も深刻な疑惑が指摘されており、その背景に企業の陰があります。現在の、東京電力福島第一原発事故や、粉乳メラミン中毒事件、食品偽装事件の教訓が凝縮されていると指摘されています。


事件概要ポスター PDF  
出典:森永ヒ素ミルク中毒事件資料館ホームページ

昨年は、食品偽装の常態化が明るみとなり、morinaga-hiso-siryoukan-naibu-photo01師走の食卓を毒物が混入した冷凍食品の恐怖が襲いました。故意の犯罪も疑われてており、捜査当局の動きも見られる一方、大手食品メーカーが、出荷にあたり安全検査の徹底をサボっていた疑いも生まれています。
 森永ヒ素ミルク中毒事件とは、昭和30年(1955年)に日本で発生した、森永乳業の粉ミルクによる世界最大の乳幼児大量死亡被災事件。
 morinaga-hiso-siryoukan-gaikan猛毒のヒ素(砒素)が混入した第二燐酸ソーダ(産業廃棄物由来)を、製品が新鮮であるかのように見せかける目的で、赤ちゃん用粉ミルクに「乳質安定剤」として添加したために発生した世界史上最大の大規模砒素中毒事件です。現在の、事故米のロンダリングや、粉乳メラミン中毒事件にそのまま直結する要素をもった事件です。昨今の食の安全をめぐる公害事件、さらには科学/技術と社会との関係性、御用学者の誕生、専門家を誤用する社会の側の姿勢、それを妄信する社会やメディアの側にとっての教訓が凝縮されている事件といっても過言ではありません。
 morinaga-hiso-nose-dejital-archive-sanyo-shinbun-01森永ヒ素ミルク中毒事件資料館は、1955年の事件発生時からの貴重な一貫資料が通し番号をつけて収蔵・集中管理されており、同事件の全体像を明らかにできる我が国で唯一の資料館です。事件の発生とその背景を解明する科学的資料、被害者の親たちの血涙の証言、そして、事件発生直後から始まった加害企業による被害者家族への弾圧をしめす物証、当時の諸文献やポスター、映像・画像資料、現「被害者」団体と「救済」基金の変質化プロセスを示す資料、企業になり代わった民主集中制イデオロギーが被害者運動へ介入し政治的粛正を実行した経過など、救済運動とそれへの政治的弾圧の歴史をしめす資料もほぼ完全に揃っています。とりわけ、1955年以降、親たちの訴えを14年間にわたって封殺し続け、「国家を手中にしていたかのよう」に展開された陰謀の数々と、それに抵抗する被害者家族の長年月にわたる苦難の闘いを示す一次資料は、A4換算で30万ページ以上のボリュームとして、厳重に保管され、そのエッセンスは以下のホームページで随時公開、更新されています。

森永ヒ素ミルク中毒事件資料館
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/hiso.htm

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