市 民

森永ヒ素ミルク中毒事件は、昭和30年(1955年)に日本で発生した、森永乳業の粉ミルクによる乳幼児の大量死亡・被害事件です。 森永は、猛毒のヒ素が混入した産業廃棄物由来の第二燐酸ソーダを、製品が新鮮であるように偽装する目的で赤ちゃん用粉ミルクに添加したため、1万2千名以上の膨大な被害者を生み出し、1年以内に131人の赤ん坊が死亡するという世界最大の食品公害となりました。未だに多くの被害者が理不尽な扱いに苦しみ続けています。

2014年03月

クリミア半島をロシアが併合したことに関して、別の視点を提供したい。
両方の言い分を聞かないとフェアではないだろう。

新生ウクライナ1 ヨーロッパの報道 ロシアTV European media's
https://www.youtube.com/watch?v=RWlcoRL3qMM
2014年2月27日 ロシア第一放送 私見ですが、新生ウクライナは、極右運動家のステパン・バンデラを英雄と崇める西ウク­ライナの国粋主義者らが、デモで、正統な選挙で選ばれたヤヌコビッチ大統領を追い出し­て成立。2004年のオレンジ革命も、同じ国粋主義者デモが、大統領選挙に不服でやり­直し選挙を強要した事件です。

新生ウクライナ2 政府高官がテロリストに支援要請 ロシアTV 
Ukraine asked Chechen guerilla for support  
https://www.youtube.com/watch?v=nUX0AMNiGXA
マイダンのデモで活躍して、新生ウクライナの国家安全保障・国防会議次官に就任した、­ウクライナ極右団体「右派」代表ドミトリイ・ヤロシュは、アルカイダと関係のあるチェ­チェン武装ゲリラに協力を要請しました。2014年3月2日 ロシア第一放送

新生ウクライナ3 まるで無政府時代 1 ロシアTV 
Ukraine as if in period of interregnum 1
https://www.youtube.com/watch?v=6ld-8c-gtlo
キエフは今?在ウクライナ日本国大使館さえバリケードで接近不能。デモ隊が国家占領。­ウクライナは無政府時代の権力争い Ukraine battle for power during the interregnum 2014年3月2日 ロシア第一放送

新生ウクライナ4 まるで無政府時代 2 ロシアTV 
Ukraine as if in period of interregnum 2
https://www.youtube.com/watch?v=7nfWzUgdiCU
ウクライナは無政府時代の権力争い 続き Ukraine battle for power during the interregnum part 2 2014年3月2日 ロシア第一放送  革命前は、ウクライナへの郵便物は必ず届きました。革命中は、小包は、半分中身がすり­替えられて、半分だけ届き、今は、全く届きません。日本在住の奥さんイリーナと二人の­友人のウクライナ女性。一人は、リヴォフなので新生ウクライナ。もう一人は、クリミア­なので、もうすぐロシア人。イリーナは、東ウクライナで、先行き不透明。半年前に、ウ­クライナのパスポートをやっと更新したのに、ロシア併合なら、またパスポートを作るの­かと心配。ウクライナでパスポート更新は5万円。実際には、現地に行って出来上がるま­で2ヶ月は待つから、往復の旅費と生活費で50万円はかかる。

新生ウクライナ5 革命直前の市街戦 1 ロシアTV 
Kiev's street fighting just before revolution 1 
https://www.youtube.com/watch?v=r-qfBJxtZak
ウクライナ革命の4日まえのキエフの戦い 前編 2014年2月18日 ロシア第一放送

新生ウクライナ6 革命直前の市街戦 2 ロシアTV 
Kiev's street fighting just before revolution 2
https://www.youtube.com/watch?v=XcegFA6o8es
新生ウクライナ、2月22日のマイダン革命の4日前は、キエフで市街戦 (後編) Kiev's street fighting four days before the Maidan revolution part 2  2014年2月18日 ロシア第一放送


森永ヒ素ミルク中毒事件資料館は、2011年3月に発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故直後に、今後の脱原発運動において以下のような言説や政治勢力の存在が大きな障害物となるだろうとの危機感から、2011年4月9日段階で以下の見解を提示している。

http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-kakujiko01.htm#2011.4.9
【疑問】産業公害における責任回避の常套的「科学論(?)」を通じて原発事故の真因と責任を曖昧化か? 2011.4.9 中部大学 武田邦彦教授(元・原子力安全委員会 専門委員)の言説…
 (同氏は)「公害事件に関していつも原因企業が主張するところの「予見不可能」の主張を、一見「謙虚」に見える独特の科学論から演繹的に「是」としている。これは悪質な原因企業の責任を軽減する言説に容易に転換しうるものだ。今回の福島の事故例のように、国家的大事故で、予見が既知の事実と化し、国民的批判が定着した後に、今後の放射能被害の危険性を「予見不可能性」で説明すれば、国民の生命擁護に気を配っているように見える。
 だが、一方で、「安全な原発は推進してもいいが、危険な原発には反対する」を声高に叫ぶのならば、氏自身が主張されるところの「予見不可能性」との自己矛盾である。最近は、「あと出しじゃんけん」で華々しく登場するのが得意な人が実に多い。
 一部メディアが精査もせず、あるいは、それと知っていてか、面白半分に取り上げるので、本人もその気になり調子付く。それまで危険容認の立場で動いていても、世論の動向やトレンドに合せて変わり身が早く、しかも、俺が俺がと表に登場し、そのくせ、巧妙に利害関係を維持して広告塔で動く人もだ。」(中略)

… ちなみに、類似例として、もうひとつの仮面も指摘しておく。民主集中制もロジックとしては似たような折衷的言説を嗜好する。最近はなりをひそめているが、かつて主張していた「正しいやり方の原発ならいい」、(森永事件では)「正しいやり方で行われるよう官製検診に参加する」という姿勢にもだぶって見える。一見「手法を正す」との改善提案を行っているように見えて、現実にはカネと権力と社会システムを総動員して強行される悪しき国策に、正面から異議を唱える科学者や技術者、住民運動の前に煙幕をはる効果になる。党利党略からか、権力に媚びる意図から来ているのかは、諸説あるが、結局、抵抗する住民の邪魔をしてきたことには違いない。

---- 原発が爆発すれば「御用学者」を批判しメディアで跳梁するが
        実は「御用にもっとも近い住民」。タレントさんもご注意。
              最近の世論操作は “お笑い” も取り込んでいくから、手が込んでいる----

小保方論文騒動に武田邦彦が仰天見解
http://www.j-cast.com/2014/03/14199294.html
「写真違っていたなら『眠たかったから』と言えばいい」
2014/3/14 19:45  
 新型万能細胞「STAP細胞」の論文に複数の不正が指摘されて以降、筆頭著者の小保方晴子・研究ユニットリーダー(30)は厳しい追及に晒されている。大学院時代の博士論文についてもコピー&ペースト(コピペ)疑惑が浮上し、研究者としての立場が揺らいでいる。
 そうした中、東大出身の工学博士、武田邦彦氏(70)が2014年3月13日放送のテレビ番組の中で、画像が間違っていたのなら「眠たかったからと言えばいい」、海外論文の流用は「日本人が下手な訳で書くよりいい」などと独自の持論を展開し、インターネット上で賛否両論を呼んでいる。
写真転用は「目が霞んでいたんですよ」
 武田氏は13日、CBC(中部日本放送)の情報番組「ゴゴスマ-GO GO!Smile!-」で、小保方氏の論文騒動を解説した。その中で、STAP細胞論文の画像転用問題について聞かれると、昔と今の研究者の生活環境の違いを説明し始めた。
 武田氏によると、昔の研究者は裕福な家庭環境で育った人が多く、時間的、金銭的にも余裕があったが、今の研究者、特に女性は家事や子育てなどで余裕のない生活を送っている。そのため、「どうしても昔みたいにちゃんと(論文を)書けないんですよ」というのだ。石井亮次アナウンサーに「忙しいということ?」と聞かれると、「忙しいし、色々ある。審査官があれこれ言ってくる。『ここ変えて、次写真ここ入れ替えろ』って一生懸命やっているうちに、だいたい間違えるんです」と語った。
 これに納得しない石井アナが「いやいや、論文に載せる写真ってめちゃくちゃ大事でしょう!」と反論すると、「目が霞んでいたんですよ」と驚きの回答。出演者陣はどっと笑ったが、あながち冗談ではないようで「目が霞んでいていいんです。そんなところを厳密にしたら日本の若い人が論文を出せなくなる。国際的にものすごく遅れる」と訴えた。欧米では新発見や学問的な進歩があれば論文が不十分でも評価される傾向にあるといい、そういった観点から武田氏は今回の画像転用をさほど問題視していないようだ。
 「20ページはだれが書いても同じ文章になる」
 さらに武田氏は、小保方氏が早稲田大学に提出した博士論文で20ページにわたる「コピペ」が指摘されている件についても「全然いいんですよ。第一そんなやつ持ち出すなと。人間は過去までほじくり返したら、色んなことがある」と全く意に介さない。「コピペ」とみられているのは、幹細胞の基礎知識を説明する部分であり、武田氏は「これ著作権がないんですよ。(科学の)事実は誰が書いても同じなんです。だから、彼女の20ページは世界中のだれが書いても同じ文章になる」とする。
 科学者の目的は金や利権ではなく「自然現象を明らかにすること」である以上、こうした文章は「人類共通の財産」であるため、引用を示す必要もないというのが、その理由だ。むしろ「アメリカ人が書いたやつを持ってきたほうが、日本人が下手な訳で書くよりいいんです」と、コピペを歓迎する発言まであった。
 再現実験については「長い目で見るべき」と話し、論文撤回についても「著者本人が判断すべきで、(周囲が)圧力をかけてはいけない」と主張する。最後に小保方氏が今やるべきことを問われると、「もし写真が間違っていたら、『眠たかったから』と言えばいいんです。小保方さんは、出てこないほうがいいと思いますよ。これだけ誤解がある以上、一般的には『なんだお前は!』ってなるから。『眠たい』なんて言ったってね」と笑いを誘った。
出演者陣は納得していたようだが…
 最初は驚いてばかりいた出演者陣も最終的には概ね同意したようだった。だが、リアルタイムで放送を見た人や書き起こしを読んだ人たちからは賛否両論があがっている。
 インターネット上では「新たな観点から問題を捉えることができた」「俺は同意出来る部分が多いけどな~」「論文には論文の常識があるってことなんだなたぶん」と理解を示す声がある一方、「明日にも職を追われていいレベルの失言を越えた失言じゃね…」「武田邦彦氏も眠たかったからこういう発言したんですよね?」「そんな無茶苦茶な論理で騙されるのは、アホなタレントだけ」「デタラメな奴がデタラメを擁護している」と厳しい意見もあがっている。
 なお、理化学研究所は3月14日、一部画像が小保方氏の博士論文から流用されたものだと断定。また、小保方氏ら共同著者は同日、論文の取り下げを検討していることを明らかにした。
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現実認識からして間逆。武田邦彦氏は、テレビに出る暇があれば、以下のブログも先に読むべきだった。
所属する中部大学のイメージも地に堕ちた感がある。
小保方晴子の不正事件が問うもの - 格差社会の分配と秩序と倫理
http://critic20.exblog.jp/21843312
横溢する小保方擁護論の諸相 - 無責任と脱倫理が栄えて沈む国
http://critic20.exblog.jp/21849227/

1月にこのブログで、「科学者はそんなにえらいのか」
http://morinaga-hiso.blog.jp/archives/2339161.html
と書き記した直後にコレだ。呆れてしまう。
 

 浦和レッズの一部サポーターが、会場前で「JAPANESE ONLY」(日本人以外お断り)という横断幕を掲げた問題で、チーム側が「無観客試合」などの厳しい制裁を受けた。
 「○○○○○ ONLY」は米国での黒人差別の際にも多用された典型的差別表現だ。外国人サポーターは「差別主義者だ!」と憤慨しており、大変不愉快な横断幕である。
 この横断幕を掲げた数名の愚かなサポーターは、「ゴール裏は聖地、そこに外国人が入ると、応援の統制がとれなくなるから」と、外国人排除の明確な意図を認めている。Jリーグ側は、チームマネジメントと警備会社などの杜撰を指摘した。だがこれを横目で見ながら、「またやってらあ」と「見てみぬふりをした」者も多いことだろう。数名のサポーターの責任に帰していいとは思われない。差別やイジメはサイレントマジョリティを前提に横行するものだ。

 浦和レッズの淵田社長は「差別がなくなるよう断固として取り組んで参ります」と謝罪した。厳密には人間社会から「差別がなくなる」ことはない。差別は絶えず醸成され発現してくるものであり、だからこそ、それと不断に闘う努力こそが大切だ。社長の言葉は、そういう決意表明と期待したい。だが、今後、いたるところで差別排外主義の行為は増えるだろう。わが国のトップがその先陣をきっているからである。

「差別主義の国」とのイメージが広がる日本
不満を外に向けてウサを晴らさせ、ナショナリズムで格差を誤魔化すこの国のトップ
 最近東京あたりで頻発している在日外国人(特に在日韓国人)への尾篭なヘイトスピーチも、国際機関から疑義を提示されるレベルとなっている。
 サッカーでの一部サポーターの薄っぺらいナショナリズムごっこといい、最近の日本の風潮は、歴史意識と国際感覚の大幅後退ともいえる愚かさを見せ付けている。
 これらの代表選手が、安部晋三氏の靖国神社への、政治的利害絡み&年末駆け込みドサクサ紛れの打算的参拝行為であろう。それ以前から石原慎太郎氏の「第三国人」発言でも、差別意識の顕在化が端的であった。
 これが、現政権の目指す「美しい国」なのだろう。それはナチスが目指した「純潔の第三帝国」なる理想に重なって見える。

日本の差別排外主義の背景にあるもの
 日本株を一時的に上げて、含み損を回復した子株主のご機嫌をとってみせたつもりだろうが、そのほとんどは米国の金融緩和の最後の冒険にささえられたものだ。そして見せかけだけのファンダメンタルの変化の一方で、国民の財布に一服感はないどころか、歯止めをはずされそうな消費税増税で気分は冷え込んでいる。
 隣国中国の軍備増強に警戒感を煽るのも結構だが、その一方で、「世界第二の経済大国」の座を隣国に奪われたという挫折感を募らせるあまり、嫌中、嫌韓の見出しが躍っている。
 これまで貧しかった中国や韓国への日本人による差別意識が顕在化しているだけであろう。戦後、戦争責任への自覚が希薄なまま、米国の軍事力に頼りながら商売に専念し、それを「成功」と勘違いして、産業公害などを長期にわたって放置してきたし、未だに放置したままだ。
 経済成長のツケを押し付けた自国民の犠牲さえ見てみぬふりをしながら、一方で、隣国の貧しさを、上から目線で小馬鹿にしてきたことのツケが回って来ているだけである。人間、馬鹿にされれば、「なにくそ精神」で巨大な成り上がりパワーを発揮するのだ。当たり前の構造だ。それはかつての日本人も全く同じだ。中国の問題点はほとんどすべて日本が経験してきたことだ。他国に追い越されかけていることに狼狽し、その主な原因である若い世代を育てることに手を抜いてきたこの30年の自国自身の責任を棚に上げ、自分たちの歴史すら正視できないで、他国へ八つ当たりしている情けない国になりかけている。
 こんな状況では憂さ晴らしの排外主義に拍車がかかり、日本の品格は落ち込む一方になるだろう。

NHK出版編集長を懲戒免職 校正業務の架空発注などで  
msn産経ニュース 2014.3.6
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140306/crm14030614110015-n1.htm
 NHK子会社のNHK出版は6日、架空の校正業務の発注やカラ出張などで計約1350万円をだまし取ったとして、放送・学芸図書編集部の河野逸人編集長(52)を同日付で懲戒免職にしたと発表した。  NHKの子会社をめぐっては、5日にも別会社で不適切な経理処理が発覚。籾井勝人NHK会長は6日の定例記者会見で、NHK出版への調査を行うとともに、会長直属の調査委員会で関連団体も含めた経理の適正化に取り組む方針を示した。
  NHK出版によると、河野編集長は2003年1月から13年12月にかけて、大河ドラマなどの編集で架空の校正業務を発注したり、不必要な校正を親族に行わせたりして、計約900万円を同社に支払わせた。また、私的な飲食費やカラ出張の経費の請求により、約450万円を受け取った。
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以下は、かつて、安倍晋三氏によるNHKへの介入が取りざたされた時期、
そして上記編集長の汚職が開始された時期に発生した問題である。
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中坊氏の手柄にするために
           歴史的事実を歪曲してもいいのか

 ~「加害者に感謝する被害者」なる恐るべきプロパガンダに先鞭をつけたNHK出版~
フリーライター:能瀬英太郎 2004年記
政界に野心あり過ぎの森永と安部政権
 岡山市の南部にある児島湖は、諫早湾締切堤防工事の未来像として格好のモデルである。このまま締切り工事を続行すれば、現在の児島湖は未来の諫早湾の姿である。そのうち湖沼の水質汚染度の上位にランクされ、児島湖と首位を競うことになるであろう。

 児島湖の海底には十メートルあまりの汚泥が堆積して、その除去工事に莫大な費用をつぎこんでいる。しかし除去するあとから汚泥は堆積してくるので、終りはない。淡水化した水を農業用水に使うという当初の目的は、今では汚染が激しく野菜の栽培に使用するには不適当と、農家は敬遠しているという。

 淡水化以前は多彩な魚介類が生息していた児島湾は、現在では汚染されて捕獲される魚類を地元の人は口にはしない。

 そんな児島湖で捕獲されたアメリカ・ザリガニが、東京のある高級レストランで料理として出されている様子をNHKテレビが放映した。岡山支局のアナウンサーがおいしそうに食べている画面をみて、私は驚いた。いまから十数年前のことだが、児島湖では汚染によって骨が曲がったり、体に潰瘍ができたフナがたくさん発見され問題になっていた。

 児島湖には倉敷川、加茂川、笹が瀬川が流れこんでいる。その中でも笹が瀬川の米倉港は、冬になるとへらブナ釣りのポイントとして有名だということだ。釣り上げたフナは「琵琶湖産」になって、関西方面へ出荷されるという。

 「大寒」になると毎年必ずNHK岡山放送局は、米倉港でフナを釣る人を放映した。カメラマンは「大寒の風物詩」として写し、アナウンサーは情緒的な解説をいれる。釣人の回りは流れついた発砲スチロールで埋まっていようと、水が汚染されていようと、切り取られた画面とは無関係なのである。

 もしNHKが報道機関なら、汚れた児島湖で捕れたザリガニを食用にしていることを問題にすべきだと思う。寒ブナをつる人を風物詩として写すより、汚染された川から釣り上げられたフナが「琵琶湖産」に化けていることを訴えるべきだ。

 私がNHK岡山放送局へ電話してそのように抗議をすると、翌年からは「寒ブナ釣り」の画面は写さなくなった。それだけでお終いで、汚染のことを問題にするわけではなかった。まことにNHK的問題処理のしかたであると腹がたった。

 これらの出来事を思い出したのは、先日私とNHKとの間であった「やりとり」と関係がある。

 今では「中坊ブーム」も下火になったが、二三年前までは彼の人気は大したものだった。テレビ出演にあるいは新聞の見出しに、出版される本の広告にと彼の名前を聞かぬ日はないくらいだった。彼が「自分が変わる転機になった」として、いつも取り上げるのが「森永ヒ素ミルク中毒事件」とのかかわりである。

 被害者救済機関として「財団法人ひかり協会」が誕生したのが約三十年前で、それ以後森永ヒ素ミルク中毒事件に関する報道はほとんどされなくなっていた。これで「一件落着」とばかり、マスコミの関心はこの事件から離れていった。それが中坊氏が有名になると同時に、彼の口を通してこの事件のことが語られるようになった。ひかり協会の設立当時、被害者たちは損害賠償を求めて民事裁判を大阪、岡山、高松で起こして、彼はその弁護団長だった。

 私が『野戦の指揮官・中坊公平』を読むことになったのは、古本屋の百円均一コーナーで見付けたからだ。どのようなことが書かれているのか、ちょっと読んでみるのには手頃な値段だと思って買った。他のところはともかくとして、森永ヒ素ミルク中毒事件についての部分をだけを読んだ。それは「第二章中坊公平の遅すぎた青春」の中に収められていた。 第二章は六十六から百四ページまでで約四十ページを費やされいるが、読んでいて驚いたのは間違いの多いことだった。それも基本的な事実について、資料も調べずに書いているのではないかと思うほどだった。

 著者は、NHK社会情報番組部チーフ・プロデューサーという立派な肩書きをもった、今井彰氏だ。「あとがき」の最後には「そしてこの最初の本の出版後、中坊氏に関するさまざまな書籍が出た。(略)人間・中坊公平を描いた本物の一冊だと信じている」と自慢している。私が買ったのは「NHKライブラリー」という文庫(二〇〇一年一月二十五日発行)で、「本書は当社単行本NHKスペシャル セレクション『野戦の指揮官・中坊公平』(一九九七年十一月三十日発行)をNHKライブラリーに収載したのものです。」ということわりがきがあった。もとの本も読んでみたが内容は勿論同じだった。

 この本を読んで事実と違うと私が思った箇所を次に列挙してみる。

  六八ページ「MF缶と呼ばれる人工粉乳に、ヒ素が含まれていたことが発覚した」

  六九ページ「死者には一律五十万円、その他は症状に応じての賠償も行われていた。」

  六九ページ「この調査は『十四年目の訪問』として、一冊にまとめられた。また、この調査結果を知った医師らの働きで、学会でも報告され、マスコミの注目を集めることになる。」

  六九ページ「依頼してきたのは、昭和四十四年から被害者救済にあたっていた青年法律家協会に所属する弁護士だった。」

  八一ページ「国の責任は、厚生省がそれまで使用禁止にされていた第二燐酸ソーダという化学合成品を、いったん使用可能にしたこと。」 
  八二ページ「そして中坊は、法廷戦術と平行して、法廷外戦術も駆使することにした。それは、森永製品の不買運動である。不買運動が効を奏せば、企業にとって致命的になる。まして、問題が問題である。社会の同情は原告に傾いていた。不買運動の効果は大きい。」

  九六ページ「中坊は何度も厚生省を尋ねた。被害者たちとの対面を渋る国と森永を引っ張り出すために水面下で動き続けていた。」

  九六ページ「中坊は、この三者会談に賭けていた。民事上の損害賠償の除斥期間は二十年、因果関係を立証する時間にも限りがある。なによりも、裁判の中だけで埋め合わせることのできない事態であることが十分すぎるほど中坊にはわかっていた。」

  九八ページ「被害者の成長と事情に合わせて事業を拡大し、充実させている。」

 10 九八ページ「三者会談の結果、永久的な救済施設として、一九七四(昭和四十九年)年、財団法人ひかり協会が設立された。」

 上記の十項目が事実とは違っている。 

2. NHK出版への申し入れ

 私はニ〇〇三年 (※1)七月二十二日著者宛てに出版元へファックスを送り訂正を求めた。これに対して翌二十三日(株)日本放送出版協会編集部第二図書出版部部長長岡信孝氏から次のようなファックスが届いた。要点だけ記す。
「さて、このたびは弊社から出版されましたNHKライブラリー『野戦の指揮官・中坊公平』(今井彰・首藤圭子共著、二〇〇一年一月二五日発行)の記載中の内容につきまして、一部事実誤認の箇所がある旨を7/22(火)付けのFAXにて拝見しました。内容に関することなので、著者、今井・首藤両氏がご指摘の箇所について至急取り調べのうえ、文書にてご報告させていただきます。なにとぞ御了承ください。」

 私は前記1から9までを三回にわけて指摘した。というのは読むたびにこれはおかしいと思い、七月二八日と八月四日に追加として送った。

 それでは私が事実とは違うと思う根拠を順番に述べていきたい。

 1の「人工粉乳」というものはない。人工の牛乳で製造すればそう言えるが、まだ聞いたことはない。事件発生からこれまで使用されてきたのは「粉乳」「粉ミルク」あるいは「ドライミルク」などの名称である。粉乳、粉ミルク、ドライミルクは意味は同じで水分を蒸発させて作ったものだ。それに対して「練乳」というのがあり、これらは製法上の分類である。

 粉乳のなかには「脱脂粉乳」、「全脂粉乳」、「調整粉乳」などがあり脂肪のある無し、または栄養素の添加などでそれらの分類がある。「人工粉乳」の意味を本文では「いわゆる粉ミルク、赤ん坊に飲ませるものだ。」と述べている。それならなぜ今まで使用されてきた名称を使わず「人工粉乳」なとどいう奇妙で意味不明な造語を使用するのか。

 2は「死者には二十五万円、その他は一律一万円」が正確な補償金額であり、このような基本的な事実を資料によらないで述べる意図がわからない。この金額は一九五五年十月二十一日に森永の要請で厚生省が有識者に依頼して結成された「五人委員会」が作成した「森永粉乳中毒事件の補償等に関する意見書」によるものだ。この委員会はこの後に発生する公害事件の解決に活用される「第三者委員会」の悪しき原形となる。公正な第三者のような顔をした、いわゆる有識者が公害発生企業を弁護する仕組みが森永ヒ素ミルク中毒事件で最初に登場することになった。

 3の「十四年目の訪問」についての記述は、片面的である。大阪の養護学校教諭が調査した結果が公衆衛生学会で発表され、それだけで新聞発表されセンセーションを巻き起こしたように書かれている。しかし、その裏付けとして岡山の被害者が社会から無視されながらも地道な活動で、自主検診を重ねそのデータの蓄積があったことを抜かしている。「十四年目の訪問」はいわば聞き書きであり、臨床検診のデータという裏付けがあって初めて有効性をもつ。新聞発表される前日に、岡山の守る会事務局長岡崎哲夫氏と面接して記者はそのデータを見ている。この自主検診での証明があったから発表することができ、両者は表裏一体の関係にあるのだ。

 4は「昭和四十四年から被害者救済……」に問題がある。同年十月十八日に「十四年目の訪問」が発表され、その後被害者を支援する「大阪府森永ミルク中毒対策会議」が結成されたのが昭和四十六年十二月十三日となっている。この中のメンバーに青年法律家協会も入っているのだから、どうみても四十四年からすでに被害者救済をしていたとは眉唾ものだ。

 5は「第二燐酸ソーダという化学合成品を……」というのは間違いである。「第二燐酸ソーダ」のみ使用が緩和されたわけではない。「などの化学合成品」と書かないと、正確ではない。多くの化学合成品のなかの一つに、この薬品も含まれていたのだ。

 6についてはデタラメもいいとこである。この著者は不買運動をすることになった状況を調べもせずに書いている。「十四年目の訪問」を契機として、被害者の組織である森永ミルク中毒のこどもを守る会(以下、守る会)に参加する会員が急速に増加した。守る会は組織としては不買運動に踏み切らないが支援者がするのは「ご勝手に」という方針だった。私が参加していた森永告発は、設立時から不買運動の拡大を主要な運動方針にしていた。各地の大学生協などにも、不買運動を呼び掛けていた。私たちは岡山の繁華街において、毎週不買運動を市民に訴えるためにビラ撒きをしていた。その他不買ステッカー、シールなどを作製して販売していた。

 昭和四十五年十二月を第一回として守る会と森永との間において、本部交渉が始まった。主な議題は被害者の救済についてであった。守る会は企業責任を認めた上での救済を要求したが、森永はそれを否認して救済のお手伝いという姿勢に終始した。交渉は第一五回目で決裂した。

 昭和四十七年十二月三日森永社長が出席することになっていた第一五回本部交渉に、森永側は約束を破って社長が欠席し、一方的に交渉を打ち切って退席した。そこで守る会は急遽第二回全国集会に切り替えて、民事訴訟提訴と森永製品の不買運動を決議した。

 ここで初めて守る会は組織として不買運動に取り組んだのである。それまでなぜ不買運動に慎重だったかといえば、事件当時に交渉の道具として不買運動を提唱して失敗した経験があるからだ。だが、守る会が国民に不買運動を呼び掛けた時期には、すでに多くの大学生や大学生協は実行していた。それを知ろうと思えば守る会の当時の機関紙「ひかり」を見ればいい。不買運動に参加を表明した組織の名前が掲載されている。

 不買運動と個人のかかわりについては、それは個々人の良心の問題でありはっきり把握はできない。無名の人が誰にも告げずに森永製品不買の行動をとり、その集積が森永の経営に反映したといえる。これら多くの人の無言の行動を「駆使」することなど不可能である。それに中坊氏が弁護団に加わったのは、翌年の一月とご本人が述べている(『中坊公平・私の事件簿』九三ページ)のだから、その時すでに不買運動は始まっていた。
    ※1)今回不正が発覚した河野編集長は、まさに2003年1月から2013年12月にかけて
                カネを騙し取っていた。

3. ウソにウソを重ねる


 7も6に劣らないウソであり、それもより悪質なものである。

 ここに書かれている当時の状況は、交渉が決裂し守る会が不買運動と民事訴訟に踏み切った時期のことである。守る会が大阪を第一波として提訴したのは昭和四十八年四月十日である。八月二十四日には第二波として岡山で、十一月二十四日には高松で第三波として提訴した。

 不買運動と民事訴訟に踏み切って以来、森永と守る会の接触は無くなっていたが、五月二十二日に岡崎事務局長に森永社員が提案をもって接触してきた。この案に対して守る会は六月八日に検討の価値がないとして拒否の回答をした。七月になって当時の山口敏夫厚生政務次官から、話し合いのテーブルにつかないかという非公式の打診が守る会の幹部にたいしてなされた。その後、厚生大臣の意向をうけた山口氏は、森永側の約束もとりつけた上で話し合いのテーブルにつくよう守る会へ要請してきた。

 『森永砒素ミルク闘争二十年史』によれば守る会事務局長岡崎哲夫氏は「森永の大野社長からも守る会に対し、貴会の恒久対策案を包括的に認めて誠意をつくさせていただくことを厚生省にもご確約申し上げましたので、何とぞ宜しくご配慮を賜るようお願い申し上げます。との書簡が届けられた」と書いている。これは九月二十六日のことであった。

 九月三十日の守る会第三十四回全国理事会で検討した結果、守る会・厚生省・森永の三者会談に臨むことを正式に決定したのである。だから「被害者たちとの対面を渋る国と森永を引っ張り出す」必要はなかったのである。むしろ国と森永の方が接触を希望し、守る会がそれほど乗り気ではなかったといえる。だから著者はまったく正反対のことを書いている。

 さらに『金ではなく鉄として』中坊公平著、岩波書店二〇〇二年二月二十五日発行によれば

 七三年(昭和四十八年)も押し詰まった十二月二十三日になってよもやの事態が起きた。

「森永ミルク中毒のこどもを守る会」、森永乳業、厚生省の代表によるこの日の第五回三者会談で、「確認書」が作られ、即日、守る会理事長、森永乳業社長、厚生大臣が調印したというのだ。そして守る会執行部は、提訴取下げの方針を原告団に通告してきた。

 もとより、この訴訟の実質的な原告は守る会であり、原告団のメンバーは多くの被害者の代表として立てられていたのだが、それにしても、前面で行動してきた彼らにも、私たち弁護団にとっても、寝耳に水の急展開だった。(二一〇ページ)

 とあり、いろいろな資料を比較検討すると、どれも『野戦の指揮官・中坊公平』に書かれていることとは反対のことばかりである。

 8は7の内容を受けている。7には三者会談とは書いてないが、次の行にある「中坊は、この三者会談に賭けていた」の「この」は7に書いた事柄、即ち三者会談をさしていることは明白である。だから、7がウソであるのだから、8もあり得ないことは納得してもらえると思う。民事裁判が進行中でありながら、それを否定するかのような三者会談に「賭ける」とは弁護団を裏切ることである。常識的に考えても、弁護団長がやるはずはないのである。

 また『森永ミルク中毒事件と裁判』森永ミルク中毒被害者弁護団編、ミネルバ書房刊(昭和五〇年一二月二〇日発行)の中にある「座談会ー訴訟の終結と被害者の今後の救済をめぐってー」に出席していた守る会の幹部の発言でも、国と森永がしきりに会談をもとめてきたことを証言している。この座談会には中坊氏も出席して、三者会談について発言しているので、ちょっと長くなるが引用する。


  「中坊 多くの弁護士の方から三者会談をめぐって弁護団と守る会との緊密な関係が欠けていたという指摘がありましたが、かろうじて公式のものではなくても非公式であっても、例えば私自身が全国理事会に出席する等、何らかの形で弁護団とはそれなりの意思連絡はとっていたと思います。私たちも三者会談のあり方について、当時から意見をいい、守る会の御意向を承わっていたわけです。

 しかしそこで何らかの誤解が生じた、守る会の一部の方からは弁護団は一つの主義主張のために裁判をやっているのであって、救済のためではないという疑いを抱かれたんですね。それが緊密さを保てない一つの根底にあったようです。しかし私は弁護団の責任者としてこの際はっきり申し上げたいと思うんですが、私たちはすべて弁護団会議で報告検討して行動していたわけですが、私たちとして決してそんなことを未だかって考えたことはないわけであり、三者会談に対しては批判的な意見を持ちつつも、それを原告や守る会の底辺の人たちに直接訴えることはやはり避けるべきである、絶対にしてはならないという一線を守って守る会のそれなりの組織の中で決定されたことに対しては、私たちとして従うべきであるということは、終始一貫して守ってきた。(以下略)」

 ここで本人が述べているように「三者会談に対して批判的な意見を持つ」人が何故それに「賭け」たり「水面下で動き続け」たりするのか、著者の考えがわからない。それにしても三者会談について、同一人物のとった行動が著書によっては正反対に分かれて記述されているのが不思議である。
 9については、何をもって「事業を拡大し、充実させている」といっているのか不明である。予算はひかり協会発足当時と現在を比較すると約三倍に拡大しているが、それが内容の充実とは結び付いていない。救済の憲法ともいえる恒久対策案からは後退に次ぐ後退であり、現状を検討せずに無責任なことを書いているとしか言いようがない。

 10については、直接NHK出版には訂正を申し入れはしなかった。しかし正確な表現ではない。この文章はひかり協会について述べているが、協会は財団法人の組織であり「救済施設」ではない。施設という場合普通は建築物などの設備などを意味する。ひかり協会には恒久対策案で建設するとされた、被害者の収容施設も病院もない。「救済施設」と呼べるものはなにもないのに、この名前はなにを意味しているのか分からない。

 私の申し入れにたいして「至急取り調べのうえ」と言いながら、回答が来たのは約二週間後の八月七日のことだった。

 「お問い合わせの件、大変遅くなりましたこと、誠に申し訳ございません。 本書は番組『NHKスペシャル 史上最大の不良債権回収』、そして『ETV特集 シリーズ弁護士・中坊公平』をベースに、新たな取材を加えて記したものです。執筆にあたりましては、中坊公平氏自身に取材し、証言をいただき、さらに内容に関しても目を通していただきました。また、併行して関係各位に取材をし、助言や資料のご提供をいただきました。

 今回、能瀬様から頂いた貴重なアドバイスの内容につきまして、そのうち「死者には一律五〇万円、その他は症状に応じての賠償も行われてきた」の記述については、ご指摘通り、「死者には二五万円、その他の被害者は一律一万円となっている」が正しい内容でした。ご指摘、まことにありがとうございました。次回、重版の際に訂正させて頂きます。その他の点につきましては、内容をいま一度精査のうえ、明らかな事実誤認がある場合には訂正いたします所存でございます。(以下略)」

 私の指摘にたいして一か所の誤りを認めただけで、その後に返事がないということは、それ以外は訂正するつもりは無いのであろう。しかも、「次回重版の際には…」と但し書きをつけているとは、どういうことだろうか。
  私は、このような書籍の重版など望まないが、要するに誤った事実を大量に垂れ流し、その修正は「事実上出来ませんよ」と慇懃無礼に述べているだけにしか思えない。
 それにしても、二度のファックスはいずれも第二出版部長である長岡信孝氏からのものであった。私は著者である今井彰・首藤圭子氏宛てに出しているのに、両氏からは何の返答もないのはどういうことであろうか。私の手紙に異論があれば、堂々と反論すればいいのに、黙殺しているのは失礼な対応である。権威者、権力者には卑屈になって事実でも歪曲するが、無名のものにはその裏返しの態度を平気でとるとしか思えない。    

 手紙の中で私は資料として書名を挙げて、それらを見れば正確な事実がわかると書いた。また三者会談について中坊氏がもし守る会の要請で「水面下」で行動していたなら、故岡崎哲夫氏が遺した資料を調査すればすぐ分かると書いた。しかし夫人の岡崎幸子さんに尋ねてみるとNHK出版からは何の問い合わせもないとのことであった。

 それらのことから判断すると、事実が判明すると『野戦の指揮官・中坊公平』という題名は不適当になる。著者が描くこの本の構図は、不買運動も三者会談も中坊氏が指揮したことにしなくてはならないのだ。

4. NHK本の悪い影響

 著者は中坊氏に関する最初の本を出版したと自慢げだが、それより不正確な記述が後々まで影響していることを恥じるべきである。中坊氏の偉大な人格に「傾斜」するのもいいが、それによってジャーナリストとしての目まで曇ってしまってはなさけない。事実まで歪曲しても平気なのだから、もともとこの著者にそんな目を要求するほうが無理かもしれない。 

  その後に出版された中坊氏に関する他の本を読んでみると、私がこの本であげたのと同じ箇所に間違いが多いのに気がつく。「中坊公平著」となっていても、聞き書きを編集者が文章化したのがほとんどのようだ。なにしろ約五年間に三十冊もの「中坊本」が出ているのだから、本人が書いていては間に合わないだろう。多くの出版社が「中坊ブーム」に乗り遅れまいと、聞き書きをすぐ本にするという、安直な金儲けのやり方を競った。
 森永ヒ素ミルク中毒事件に関しては言えば、二十数年前の中坊氏の経験である。その記憶が絶対に正確で信用に足るかと言えば、中坊氏の卓越した能力をもってしてもそうとは言い切れない。そのいい例が対談にあらわれている。二人の発言をそのまま本にしたと思われる『裁かれるのは誰か』(東洋経済新報社刊 一九九八、一、一発行)にも多くの誤りが見られる。この本については、あとからその箇所を指摘するつもりだ。

 「NHK本」と同じ誤りをおかしているのが『中坊公平・私の事件簿』中坊公平著・集英社新書(二〇〇〇、二、二二第一刷発行)である。

 「そして中坊は、法廷戦術と並行して、法廷外戦術も駆使することにした。それは、森永製品の不買運動である」(NHK出版本)

 「中坊は何度も厚生省を尋ねた。被害者たちとの対面を渋る国と森永を引っ張り出すために水面下で動き続けていた」(NHK出版本)

 「私は裁判と並行して不買(売)運動を進めたりしながら、国(厚生省)森永、被害者の三者会談を重ねるという策をとりました」(集英新書) 
 集英社新書は中坊公平著となっているが、読んでみれば聞き書きであることはすぐ分かる。文章化の時にNHK本を参考にしたものと思われる。要するに、NHK本のとばっちりを受けた格好となっており、当時の「中坊ブーム」の熱狂に巻き込まれた感がある。
 その他にも中坊氏に弁護団長を依頼してきた青年法律家協会員が
 「七三年一月、その伊多波さんが、私のところへ来られたのです。四年間自分たちでやって来た……」(五三ページ)は第一章のあやまりの4で指摘したことであり、年号を西暦にしただけである。

 その他「同年(六九年=能瀬注)一〇月一九日の朝日新聞で報じられたことが契機となり、「森永ミルク中毒の子供を守る会」が結成され、森永乳業と交渉が重ねられるようになった。」(五二ページ)も誤りである。 守る会が結成されたのは事件の翌年五六年(昭和三一年六月)であり、その後も解散せず少数の会員ながら活動を継続してきた。その基盤があったから「十四年目の訪問」報道の際に、自主検診データが裏付けになったことは既に述べたとおりである。いってみれば、守る会が岡山だけででも活動をしていなかったら、「十四年目の訪問」は生れなかったといえる。 さらに「結局、私は、三者会談で決まったいくつかの対策の内容や被害の因果関係を、口頭弁論において国や森永に一つ一つ認めさせ、裁判所の公式記録にとどめました。そして、そのうえで提訴を取り下げました。同時に森永製品の組織的な不買運動も収束させました」(五八ページ)も正確ではない。

 裁判の主体は守る会であり、中坊氏は弁護士として依頼をうけてやっているのである。提訴も取下げも決定するのは守る会であり、弁護士ではない。森永製品の不買運動を呼び掛けたのは、被害者の親でつくる守る会である。昭和四九年五月二四日「不買運動終結声明」を出して収束させたのも守る会である。このように本来「守る会」と書くべきところを、「私」あるいは「中坊」と書いているからすべて中坊氏の行為と誤解されることになる。著者あるいは聞き書きをした人は、有名になった頃の中坊氏のイメージでもって勝手にそう理解したのかも知れない。

 当時の中坊氏でもって、過去の彼を都合よく推測している。ほとんどの著書の中で中坊氏は、森永ヒ素ミルク中毒事件の弁護をしたことで生き方が変わったと書いている。そのことを忘れて「中坊=指揮官」と書くことで、守る会の主体性を無視して、中坊氏に引き回された印象をあたえる。それまで中坊氏は大衆運動とは無関係で、父親に進められて弁護を引受けたと述べている。この本で急に被害者運動の指揮官にでっち上げられた。 そのためそそかっしい評論家には、つぎの新聞記事のような読まれかたにもなり、事実に反することが広がる。これは二〇〇一年一月二一日の朝日新聞読書欄、「ベストセラー快読」に載った記事である。

 「ヒーローは一夜で生れず」との三段見出しで「裁判の目的は被害者救済と企業と国に加害責任を認めさせること。それを勝ち取るために裁判だけでなく不買(売)運動を組織し、さらに国と森永と被害者の三者会談を重ねるという方法をとった。」とまるで中坊氏が対森永闘争の全指揮をとったような読まれかたになっている。

 前にも引用した『金ではなく鉄として』と『中坊公平・私の事件簿』はどちらも「中坊公平著」となっている。しかし三者会談については全く逆のことが書いてある。『金ではなく鉄として』では三者会談が弁護団にとっては「寝耳に水」であったことなのに、『中坊公平・私の事件簿』では中坊氏がそういう「策をとった」ことになってしまっている。

 さらに『中坊公平・私の事件簿』ではすぐ三行あとには「自殺まで考えた」という見出しがある。なんのことかと読んでみると、三者会談や裁判を巡って守る会との間に溝ができ弁護団全員の解任を考えていると、守る会幹部にいわれたとある。それにショックを受けた中坊氏は自殺まで考えたというのである。

 それほど弁護団にたいする不信感があるのに、守る会が中坊氏に指揮を任すわけはないのである。この本の一ページほどのあいだにもこのような矛盾したことが書かれていて、中坊氏の「策」で守る会が動いていたわけではないことが分かる。それでもそのすぐ次ぎのページでは「私は……そして、そのうえで提訴を取り下げました。同時に森永製品の組織的な不買運動も収束させました。」と書くのだから、支離滅裂である。

 どうしてこのような事実に基づかないことが書かれるのかといえば、中坊氏の記憶が正確ではないことによる。文章化するに際して、話された内容を点検して資料と比較してみる作業を怠っているからだと、私は推測する。その責任は著者としての中坊氏と聞き書きをした編集者にあるのは勿論である。このような不良品を読者に紹介するにために、内容を正確に読まずに提灯記事を書いた批評家も責められる。

 なぜ私が中坊氏の記憶が正確ではないかと言えば、次にあげる対談集での彼の発言に誤りが多いからである。この本も彼の発言を検証もしないでそのまま文章化したのであろう。対談だからといって、発言内容が不正確なままでは許されない。

5. 「中坊ブーム」に便乗して

 私は今年の八月一四日に東洋経済新報社編集部へつぎのようなファックスを送った。その全文を次に紹介する。

「 前略 貴社発行の『裁かれるのは誰か』(一九九八、一、一発行)を拝見しました。その中で森永ヒ素ミルク中毒事件に関する中坊氏の発言に多くの事実誤認を発見し、是非事実関係を調査され訂正されることを望み拙文をしたためた次第です。中坊氏の発言とはいえ、間違いは間違いであり、そのまま放置しておかれますれば、以後この著書内容を真実として通用することをおそれます。

 第一は八〇ページの「昭和三〇年八月二五日のことでした。岡山大学法医学教室がその事実を発見する」です。正しくは八月二三日です。

 第二は同ページの「そのときすでに、厚生省の調査によっても、一万二〇〇〇人余りの人がすでに砒素中毒にかかっておって、百二十何名の赤ちゃんが死亡……」は誤りです。その年の一二月九日現在で厚生省が確認している数字は死者が一一三人、患者一一八九一人です。

 第三は八一ページの「そこで砒素中毒の診断基準、治療基準というものをつくる。そして砒素中毒に効くというバル注射などを勧めた」は誤り。ただしくはバルは砒素中毒ということが判明した八月二三日ごろから、岡大医学部の浜本教授が治療法として勧めたのです。

 第四は同ページ「死者で二〇万円ぐらい」は正しくは二五万円です。

 第五は八二ページ「昭和四四年に堺の保健婦さんが自分が管理している、いわゆる精神薄弱児の中に」は「昭和四三年ころ大阪の養護学校教諭が自分の勤務している学校の中に」です。

 第六は「厚生省は名簿は絶対見せない」は誤り、この時は名簿を請求してはいない。名簿はもっていたので、べつのこととかんちがい。

 第七は「三六人の子」は「五〇人」

 第八は一〇〇ページの「ある女性の厚生大臣の自宅へ行った。ところが逆に川本さんと同じように、これも捕まえられるんですわ」は誤り。厚生大臣に面会して直接陳情したが、その後に何等の対策も講じられなかった。 以上の誤りは次の著書で正確な事実が分かる。『岡山県における粉乳砒素中毒症発生記録』岡山県(一九五七、一〇、一発行)『森永ミルク中毒事件と裁判』ミネルバ書房(一九七五、一二、二〇)『砒素ミルク1』森永告発(1971、六、一〇)など。            草々」

 この本で中坊氏の対談の相手をしているのは錦織淳氏である。対談上手が相手の場合、文章として書かれたものとは、また別の面白さが引き出されることはよくある。話し放しのようでも意外と事実関係の検証や校正に、時間を掛けていることを「あとがき」で知って驚くこともある。対談と言えども、通常、それくらい発言の正確さを期することに神経を使っているものだ。

 ところが、『裁かれるのは誰か』の場合、中坊氏には残念ながらそのかけらも感じられない。ご自身が弁護団長を務めた裁判での証言くらい、正確に調べて言ってもらいたいものだ。裁判後に出版された『森永ミルク中毒事件と裁判』は弁護団の編集だから、持っていないことはない筈だ。私が指摘した誤りの五、六、七はこの本に養護教諭の証言として掲載されている。それについては次の『中坊公平の闘い』で取り上げるのでここでは省略する。 その他の誤りのうち事実関係を補足して記述すれば、第二の「そのときすでに」の「そのとき」とは八月二四日のことで、森永ミルクの中からヒ素が検出されたと発表された日のことである。混乱をきわめていた状況では、被害者の実数把握は不可能であり、この数字も誤りである。     第三については事件発生の年の一〇月九日、西沢阪大小児科教授を会頭にした委員会「六人委員会」で決定された。発表された「治癒判定基準」」でほとんどの患者が治癒と判定される大雑把な基準であった。これによってほとんどの患者が退院し、治療費は自己負担になった。

 それと同時に発表された「治療指針」には「今回の中毒患者については、患者は夫々適切と思われる治療により殆ど治癒している。然ながらその治療法は極めて多岐で而も各自に理論的根拠によって処理せられたものと解せられるので本委員会において、結論を出すことは、非常に困難である」(『岡山県における粉乳砒素中毒症発生記録』二九六ページ)とあり「バル注射……」を勧めることは発表されてない。

 バルについては次のように書かれている。「BALは第二次大戦勃発とともに発泡性の砒素性毒ガスの解毒剤に関する強力な研究が主に英国で進められた結果、この目的に最も有効なものとして発見された化合物である。多量の金属が永く蓄積する慢性毒中毒症の場合における効果は急性中毒の場合にくらべ不顕著である。」(前掲書二四二ページ)

 急性のヒ素中毒にバルを使用したが、それから一か月以上経過して問題はヒ素中毒の後遺症が心配されている時期にバルを勧めるわけはない。

 その他第四は既述のとおりで、第八は対談者の錦織氏が水俣病の川本さんが逮捕されたことを述べ、中坊氏がそれに関連して発言したものだ。
 事件が決着後、岡山県のみで守る会が組織され、細々と活動してきた。この事件は以後マスコミから意図的に無視され、社会に訴える手段を失った。その中で唯一つ、毎年開催される「日本母親大会」が発言の場であった。 昭和三五年の大会は東京で開催され、守る会からは吉房亀子さんら二人が参加して後遺症の存在を訴えた。私は吉房さんの日記を『砒素ミルク1』に掲載させていただいた。その中から八月二三、二四日を一部引用する。

「東京駅に行くと十時過ぎで今から行く所もなく四人は四千何百円も出して泊まることはできないので目黒警察署に一泊保護してもらい、八月二四日の午前五時に警察署を出て等々力町の大野勇(森永社長、能瀬注)さん方に行く。大野夫人に会って一言話し、お茶代わりに森永牛乳を一本ずつ戴いて八時にこの家を出て田町の本社に行くも面接できず正午ごろやっと社長代理に中須さん、池谷さん、松本さんが来て私と浅野さんは久方ぶりに米食をした。(中略)二四日に森永社長は面接してくれないので、私達は高田なほ子先生(参議院議員、能瀬注)の取次にて厚生大臣に直接陳情に行った所すぐ面会して私の話すことをよく聞いてくださいました。」

 この日記は『砒素ミルク1』以外では公表されてはいない。中坊氏はこれを読んで、記憶に残っていたのではないだろうか。それにしても事実を確かめもせずに、よく自分に都合のいいようにくっつけたものである。


6.「被害者は加害企業に感謝している」?…
                   公害被害者の尊厳を踏みにじる凶悪な嘘 
  2014年追記


 『野戦の指揮官・中坊公平』(文庫本)(平成1年1月25日発行)の103ページでは「森永裁判当時の森永乳業社長が亡くなったとき、被害者の親たちは、遺された夫人に社長あての感謝状を送る。」とある。

 しかし、他方、『諸君』(2002年5月号)での菊地孝生との対談157Pでは「ひかり協会が主催して大野社長に感謝する会を開いたんです」とある。


 NHK出版の中坊本では、これが彼の驚くべき個人的主張であるところの 「被害者は今では加害企業に感謝している」を補強する「証拠」のように配置されている。彼は、その後もこの「行事」について、しつこく雑誌で触れている。ところが、同一人物・中坊氏が語る「行事」の内容が、媒体ごとに別物になっているのだ。

 そもそもこのような「行事」がオフィシャルに実施された事実はあるのだろうか?ちなみに、「森永裁判当時の森永乳業社長」の逝去は昭和59年(1984年)だ。不思議なことに、この「公式行事」は、ひかり協会の「10年のあゆみ」「30年のあゆみ」にも記載されていない。「守る会」の公文書にも存在しない。つまりこの「行事」は、少なくとも公文書からは確認されない。

 一体、この信じ難い「被害者合意のもとに公式に行われたとする行事」とはどこに存在するのだろうか?被害者とその遺族が、当時、こんな公式行事の開催を知っていたら、おそらく憤慨した事だろう。
 もちろん、このような言説を流布することで利益を得る者は誰か?は、押して知るべしだ。

 NHK出版は、「加害企業に被害者は感謝している」などという言説流布の先陣をはった事に関して、死亡乳児131人(事件発生後1年以内)、1万2159人の被害者、そして、2013年までに、もがき苦しみながら死亡したであろう認定被害者1170名の御霊とその声なき声に対して、きちんと答える責任があろう。


【了】 

不見識の極みというべき中坊公平氏 週刊金曜日19991001



一日の始まりっていう明るい感じの戦時中…どうなの?

最近のNHKの朝ドラ、戦時中の生活を楽しく能天気に描きすぎてないだろうか?
国民服着せて質素な雰囲気だけは演出してるけど、大昔から変わらぬ和気あいあいの、なぁ~んにも実感のないホンワカムード…。空襲警報だけに、いきなり慌てる人々。
あんな、のんびりした銃後って、どこにあったのかしら? そりゃのんびりしてた人も一定数いただろうよ。それに、空襲を除いては戦場の苛烈さとは現象面では比較にならんだろう。だが、少なくとも私のおふくろは、勤労学徒動員で、全身氷になるような凍てついた体育館で、風船爆弾や軍用無線機を、軍人のきびしい監督下で強制労働のように働かせられながら作らされ、ついに体を壊して手術する羽目になった。
追い討ちの空襲では、死線をさまよいながらも辛くも生き残ったが、ひどい栄養失調で、「やむなく可愛がっていたウサギを締め殺して、泣きながら食べたことが一生忘れられない」と、しんみり話していた。
粗末でいい加減な手術の後遺症は、「その後の生活に一生重荷で付きまとう事になった」と、戦争を深く恨んでいた。

凄惨な日常
おふくろをはじめとした勤労学徒の女生徒は、背中に大きく重い軍用無線機を背負い、列車に乗って運搬していたらしい。(なぜ生徒に運ばせたりしたのか?は聞きそびれた…)
運搬途中、列車が鉄橋にさしかかると、米軍機から機銃掃射を受けて、列車が炎上した。炎に包まれ、鉄橋から友人の女学生が次々に川に落ちていく修羅場を体験している。
まあ、こんなシーンを朝ドラで見せると、吐き気をもよおすだろうという理由で、なかったことにするのだろうが、中途半端なシーンで戦争の痛みを低く見積もらせてもいいのかな? 
まさか、あの会長のふりまく「ネジ締めなおしてやる」発言むんむんの雰囲気から、ヒラメ的に自主規制して戦争の残酷さの過少評価を意図的に盛り込んだりする制作者が現れて来るんじゃないか、なんて思いたく無いところだが…。
でも、あの会長の取り巻きのカルトな面々をみると、「隠れた意図」なんていう陰謀めいたことを、ちっぽけな庶民の一人としては、思わず心配しまうんですが…。これ、神経質にすぎる?…
当時の庶民は、アメリカ敵機も嫌だが、勉強したい盛りの学徒を日常的に児童労働に狩り出して強制労働させる軍部の姿はもっと嫌、というより恐怖だったろう。
だが、朝ドラでは、そんなシーンはほとんど出てこない。別に、見せたからって、朝の活力をすぎますかねえ?    見せない理由にしているだけではないかな? 

「カーネーション」などは、大好きなストーリーだったが、こと戦時中の描き方に関しては同じ程度だったような。
敵を米軍機だけに絞ったりしているからA級戦犯持ち上げたくなるんじゃないの? 考えすぎでしょうか?
でも戦前、戦時中にメディアが果たした役割は絶大ですぞ。自らの仕事に民間企業並の警戒心があるかな?

朝ドラがおわって、大好きな有働アナがアサイチで、「戦争って嫌よね」、とはおしゃるが、「どの程度嫌なの?」「安部さんが嫌がる程度にいやなの?」とかが、結構重要ではないでしょうか。

投稿者 :元日本軍兵士の遺族  2013年12月27日(金) 10:35   
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-oyahukoumono-blog-version2.htm
 昨年、年末押し迫って、国民が大忙しの最中ならドサクサ紛れに参拝してもリアクションが少ないだろう、という政治屋の発想丸出しの靖国参拝。
 これに関して、旧軍兵士の遺族として何度でも言わせてもらう。あなたを歓迎している亡き兵士、その御霊は貴方の前には居ない、と。
 こういう参拝の仕方そのものに、過去の戦没者の気持ちを汲みとろうという気持ちが見られない。
 現世の利害に直結したイデオロギーむき出しの人間集団との利害関係から、事を進めたことがよく見て取れる。すでに安部氏はそのような談話を恥ずかしげもなく出しているらしい。
 戦没者が果たして、こんな政治屋の発想そのものをありがたく思うだろうか? そもそも戦没者は靖国だけにいるのではない。ほとんどの戦没者は、靖国だけを愛好する歴代内閣が全く努力しなかった結果、或いは遺骨収集に取り組む人々を「軍国主義者」と罵倒してきた左翼の共同作業のおかげで、遺骨として海外の戦地に野ざらしにされたまま放置されている。わが親の所属する“靖国を奉る”戦友会が、老体にムチ打って海外に放置された戦友たちの遺骨収集の署名を集め、厚生省へ提出した時、官僚は何を言ったか?「相手国の心情の手前、回収できない」だ。
 なんたる詭弁、なんたる怠惰。さすれば、「相手国の心情をまとめて逆なでする」安倍首相の行動は、遺骨回収という難事業を懸命に遠ざけて仕事を減らしたい官僚の期待?にもしっかり応えることになる。
 少しでも戦没者や遺族関係者への「心」を云々するなら、このような矛盾した現実への説明責任をきっちり果たすべきだろう。

 戦没者への追悼の念とは、戦没者の気持ちを想像する心である。
 では戦没者の気持ちとはなにか?それこそ千差万別であろうが、それを良く考えたことがない事だけは良くわかる。遺族会は、あたかも戦没者の代表・総意のように「歓迎」を表明するが、靖国を奉りつつも歴代首相の靖国参拝に憤りを持つ戦友会もある。現代の政治家に「心がない」こと、靖国を自己都合で政治利用している事は、特に、戦地を訪れて、被侵略国との交流を懸命に続けてきた戦友会・遺族会にとっては「見ればわかる」事だからだ。

 国のために殉じた英霊というカテゴリーなど関係なく、戦没者には私も頭を下げる。だが同時に、侵略した相手国の犠牲者、闘った相手国の犠牲になった兵士にも頭を下げる。これはすべて戦争という痛みを想像する中での追悼であり、くどくど説明する必要もない、当たり前の礼儀だ。
 こんな礼儀も実行できない想像力の欠落した駆け引き政治屋がパフォーマンスで靖国で頭を下げても、その先で「何かを語る死者」は居ないというべきであろう。
 こんな礼儀知らずの靖国参拝を「美しい国・日本」というのなら、それは日本語という民族の文化の基本を無意味化する暴挙でもあり、言語で理念を語るべき政治家にあるまじき姿だ。


【参考記事】
仲井真弘多にリコールを - 12/27のNHKの異様な奉祝報道 

12/27の夜、仲井真弘多が辺野古埋め立てを容認した記者会見の報道があった。テレビではNHKしか番組がなく、7時のニュースとNW9を見るしかなかった。年末で冬休みのため、報ステとNEWS23を見ることができない。NW9と報ステでは、かなり論調が違ったはずで、視点と立場が異なり、流す映像が違っただろうと思うが、それを確認するころができなかった。知事公邸の会見で仲井真弘多に噛みついていたのは、TBSの金平茂紀だ。NEWS23の放送があれば、岸井成格が仲井真弘多を一刀両断するコメントを吐いただろう。安倍晋三は周到に、政府に批判的な報道番組が仕事納めをした機を狙い、辺野古埋め立て容認に政治をセットし、靖国参拝を強行している。国民の間に批判が広がって、支持率下落に繋がる影響が最小限になるよう、狡猾にタイミングを選んでいる。NHKの画面の前で歯噛みしていたが、ふと、なるほど、数年後はこうなるのかという考えが頭をかすめた。安倍晋三にとっては、この報道環境が理想であり、あるべきマスコミと国民の姿なのである。政府に不満や批判を言う放送局が皆無で、安倍晋三を礼賛する報道と演出ばかりで埋められ、国民が安倍晋三の政治に満足し、政府の政策に納得し、番組キャスターを媒介して安倍晋三と国民が常に一体化するような、そのような共同体の図が理想なのだ。つまり、北朝鮮と同じ政治社会である。朝鮮中央放送しかない環境だ。

東電の犯罪・福島の悲劇に加担した事への無反省。

共産党は最近まで原発推進のくせに支持しない人を攻撃するのやめて

平たく言うと、彼らにとっての都知事選の位置づけは、こういう核への汚れた歴史の隠蔽とロンダリングか?

過去の政策判断を都民の前で正式に謝罪した小泉氏のほうがよっぽどマシという市民の意見もスジが通っている。

少なくとも原発問題では、「自共対決」など存在しなかった。むしろ協調。(こういう「予定調和」でどれだけ「おいしい」関係が築けて来たのか?...大半の党員が三猿主義を決め込んでいる個別事情を山ほど知っている一般市民。市民だけが嗅ぎ分けることが可能な、イカガワシイ世界…)

左掲写真は、原発が破裂した後の2011年6月になっても街頭に貼り続けられていたポスターらしい。

日本共産党への幻想がゼロの人間にとっては、彼らが原発にどんなパフォーマンスをとろうが、「所詮底がしれている」という受け止め方だ。だがそれにしても、なんにも一貫してスジを通していない党派が、都知事選で、一般市民に対して、こんな傲慢な言動と態度をとっていたとは…改めて驚きだ…。これが事実なら、かつてのオウム真理教の信者なみ。

東日本大震災で東電福島第一の使用済み核燃料棒の高濃度放射性物質(広島型原爆の死の灰の数百発分…詳細は『原発震災という視点』 ) が東日本一帯を覆わなかったのは、燃料棒冷却プールの水がかろうじて抜けなかったという、「たまたまの偶然」でしかない。にも関わらず、原子力行政を基本的に容認し続けておいて、反省もなく、風見鶏で世渡りする党派が「わが党だけは」コールを繰り返し、懸命に一本化を呼びかける市民に毒ついていたようだ。

宇都宮氏は敗戦候補のトップになって一体、何がうれしいのだろうか?このポスターへの一抹の反省でもあれば、「細川候補に勝った、達成感がある」などと、とてもとても…喜べないはずだ。

市民が「おかしい」と感じるのは当たり前。巧妙な嘘を見抜く、失ってはいけない大切な感覚だ。

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ブログ「世に倦む日日」のコメントは最新の市民の世論を見る上で参考になる。(世論といっても、ここでは共社になびくような層は対象にしない)

Commented by 33 at 2014-02-28 00:49

ご無沙汰しております.本当に今回の都知事選での社共にはガッカリしたというか,かれらは“脱原発〟が目的ではなく,手段である脱原発運動を続けることが目的になっている気がします.たいてい目的と手段があべこべになるとロクなことはないし,そもそも30年かけて目的を達成する手段なんてどう考えても間違えてるのが分からないんですかね…… 健康のためにカラダを鍛えはじめたのに,そのうちカラダを鍛えるのが目的になった人みたいなもんですからね…… 官邸前の運動も毎回通うと経済的にも身体的にキツすぎて,既にブラック運動と化している気がしますし.二度言いますが,今回の千載一遇のチャンスを潰した社共にはガッカリです……

Commented by やより at 2014-02-28 12:05

30年前から「東京に原発を」という標語がありました。今や、「千駄ヶ谷(共産)と永田町(社民)に、とりあえず原発を」となりそうな気配…。共産党はあい変わらずHPで「自共対決くっきり」などと自画自賛しているが、そうなるほど、ナショナリズムが高進するでしょう。そもそも、なぜ自共の二大対決になるのか?単純タカ派政党と化した自民党と共産党が対決する日本社会のイメージ自体がもう一触即発の戦争状態でしょう。彼らの「自党だけが正しい」という傲慢な一神教的でカルトな価値観と 「わが党以外は自民党の亜流」  と十年一日露骨に叫んできた姿勢に疑問を持てず陶酔している人々には心底同情する。この特異な政治イデオロギーを克服することは重要課題であるだろうし、今回、急な出馬で、市民の票をあれだけ結集できたことは、その力がみなぎっているということです。それこそを左翼は怖れているから、「細川に勝った」というフレーズが出るのです。公益などおかまいなし。左翼の壊死と市民の登場、これが今後のテーマでしょう。

Commented by haku at 2014-02-28 22:17

いろんなプロジェクトを見ていると、5年もやっていると疲れて、もう区切りを付けようよ、という気分になっているようです。これが長期でも一つの目安でしょう。30年とは笑止です。宇都宮氏も志位氏も自分達の目が黒いうちに脱原発を実現したくないんでしょうかね。そんなのどうでもいいよ、と告白しているようなものです。やや旧聞になりますが、プロ野球の縮小問題で、一方のリーダーたる古田氏はまさか30年続けようとは思わなかったし、5年でも御免だったでしょう。おそらくシーズンが終わるまでに決着を付けられなければ負けだと思っていたはず。永久追放さえ覚悟していたそうです。だからこそ集中して取り組むことができ、その必死さにファンや多くの国民が共感して圧倒的な支持を取り付けることができた。自称「運動界」の人々はこの胸のすくような運動から何も学ばなかったのでしょうか。

Commented by pm3.1 at 2014-03-01 01:25

○○な脱原発はダメだ!というように、都知事選で左翼陣営にそういう楔を打ち込まれてしまったような気がしますよね。増税賛成の脱原発はニセモノ、平和主義じゃない脱原発はニセモノ、新自由主義の脱原発はニセモノ・・という具合に、何でもかんでもすべてのテーマについて反対じゃないとダメだというような。これじゃあ永久に話がまとまるわけもないですよ。あれこれ不毛な論争をやってるうちに浜岡がやられるかもしれません。ビデオニュース・ドットコムで宮台氏が仰っていた「左翼の居場所問題」と言いますか、社会問題の継続を願う勢力にとっては願ったりかなったりの状況かもしれませんが、大変困ったことになってきました。大切なのは社会問題の解決であり、社会運動を続けることじゃないんですよね。


《日経も嘲笑気味… 「自共対決くっきり」 になってない “一人お祭り騒ぎ” …》 出典

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1003N_Q4A210C1PP8000/

《 下2行、市民運動を主敵にする、党利党略&セクト主義のあからさまな発言

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核への汚れた態度のロンダリングが主目的の都知事選?

「知的退廃」に開き直る「業界左翼」

まさに「業界左翼」にとっては、「問題の解決は“飯の食い上げ”」であるから、簡単に解決しないほうがいいのだろう。もちろん元々は簡単に解決できる問題ではないが、「飯の種にする」長年のルーチンワークの習慣は、ここぞという解決のチャンスをも見逃してしまう。それが哀しいサガだ。

そして、自分たちとは無関係に、問題が解決されたら、されたで、その後に発生する利権に食らいつくことも忘れない。  森永事件解説ポスターpdf


そもそも、共産党など、ソビエト政権の核兵器と原発を「正義と進歩の技術」として異様に賛美し、その成れの果てからか、わが国の原子力政策に対しても「自主・民主・公開で」という折衷的な十年一日のスローガンで、御用学者の跳梁に間接的に手を貸してきた。

森永事件でも同様の手口で、後遺症なしの結論先にありきの「官製検診」にもぐりこみ、被害者の反対を押し切って権力側に情報を流し、あわよくば御用学者に取り入ろうとした民主集中制だ。

そういう作風でやって来ておきながら、東電の原発が破裂したとたん、しばらく様子を伺いつつ、党勢拡大に有利と判断できるやいなや、表向きの姿勢を変えてみせた。

だが、大手新聞の仕組んだ社民との対談では「数百年先の原子力技術の可能性」まで依然として口にする始末だった。

自党のドグマへの真摯な反省もなく、のらりくらりと美辞麗句を口にしつつ原発推進世論の事実上の下支えをしておきながら、舌の根も乾かぬうちに、自らを「脱原発の旗手」のように演出する舞台として今回の都知事選に臨んだ。過去の政治的二枚舌という犯罪のロンダリングの道具として、立ち枯れた社民を使い倒し、お得意のプロパガンダで過去を清算したつもりになって涼しい顔をしている。
東京都民は候補一本化を要請した。要するに党派は市民の後を歩け、脱原発を実現するために協力せよ、ということだ。党派は、市民の後を歩くなどもってのほかだと考えた。なぜなら、党は民衆を導く領導者ということで「権威」なるものを維持してきたと思い込んでいるからだ。

今回の都知事選は、共産があたかも「大昔から一貫してスジを通して原発に反対してきた」かのような印象を、社民のふんどしを借りて世間に印象づける役割を果たしたという意味で「大成功」であろう。

自党の「原子力に対する汚れた過去」を反省もなく隠蔽するという党利党略から生まれた目標設定から考えると、「細川に勝ってよかった」という彼らの素直な感情の吐露は、確かに「スジが通る」。
そして、もともと上昇志向の強い資質と比較的単純な哲学で動いている安部晋三氏をタマとして、世論操作と政界操縦に長けたブレーンがイメージとして形成する安部政権は、対抗勢力のいびつ化、分散化を奇禍として勢いづく。
「禍根は内にあり」という典型的パターンだ。


「生産力発展至上主義」という1800年代世界観がもたらす「技術社会」への無節操

彼らの歴史観を規定しているマルクス主義の「生産力発展至上主義」は、実はきわめて資本主義的な発想だ。

唯物史観は、人類の歴史発展の下部構造に「生産力の上昇」があると規定し、「人類の歴史は生産力の発展の歴史である」と一面的に規定する。

そして、資本主義はその生産力を「過剰生産恐慌」で定期的にチャンスロスするから、それをなくせば生産力は完全解放され、人類は無限の生産力上昇を獲得するに到ると主張する。そのためには生産手段を資本家や農民から奪取し、生産手段の社会化が必要だ、とする。

そして、共産主義は、生活に対するなんのストレスも存在しない理想社会となる。これがマルクス主義の歴史観の底流に存在する。
だが、「生産手段の社会化」といっても、国民全員がモザイク的に生産手段を所有するなんてことは有り得ない。社会化という「社会」とは、「抽象的な概念としての社会」などではなく、彼らが言うところの「階級社会」を代表する「国家」である。つまり、プロレタリア独裁国家という、彼らが統制関係が逆転したと言いくるめる「階級国家」である。
が、それは結局、国家支配層を牛耳った暁の一党独裁党派の官僚群にすり替わっただけであり、世界の最終目標に近づく運動が開始されたことで、反対者は人民の敵とされる。「労働者国家の代表者」を気取る赤い貴族の私的所有になることには、固く固く口をつむぐ。


「鏡の中の世界」を見て熱狂する「歴史主義信仰」の世界観
所詮、1800年代の西欧世界における科学/技術/社会観を無批判に未だに受け継いでいるに過ぎない。それをプロパガンダという手法で政治的に合理化しているだけだ。まさに、ナチズムなど過去の様々なイデオロギーの亜流が、現代にも容易に復活しうるように…。

赤い貴族の支配をいったん脇に置いたとしても、「生産力の無限の解放」が実現し、悩むことのない消費を資本主義以上に謳歌して、さて、有限資源が枯渇したら、どうするのだろう。さしずめ、超光速で飛ぶ超技術の宇宙船にでも乗って、他の太陽系にまで到達して、エイリアン同士の大戦争に勝利し、人類の幸福が実現されるというのだろう。千万年、数億年先の未来を見通す「預言者」になったつもりで自己満足できる。これがナチズム同様、「千年王国」と揶揄される彼らの「歴史主義信仰」と言われるものの実態だ。

世間知らずを叱られた事のない青二才か、もしくは一般社会とは別に、閉じた利権組織のヒエラルキーの頂点を目指す野心家にしか通用しないシロモノだ。しかも、他のカルト系組織と同じく、まず人間関係で縛りをかけ思考の枠組みを上から統制するから、知的誠実さなどとは無縁となってしまう。おどろおどろしい組織悪を目の当たりにしても、たいていは原因を別物にすり替え、連日刷り込まれる「前衛党無謬論」「全体主義的大義名分論」で合理化・正当化してしまう。彼らが「世間」と思い込む世界は、左右が逆転した鏡の中の「世間」だ。
いずれにしても、こうなると、ガンジガラメにされた人間関係をリセットする勇気をもてる人しか脱会できない。

民主集中制/共産党が人格破壊を引き起こすメカニズム

この俗物的な社会発展観は、しかし「光り輝く理想郷」として「信者」の頭脳の大部分を支配し、革命など実際にはやる気がなくても、資本主義の不正を是正する「唯一の決定的な力・理論」なのだとという思い込みで、思考を支配する。だから自分の意に従わない市民を敵視・弾圧しても、彼らの「歴史信仰」という大義名分から「免罪符」を与えられていると思い込む。

更にタチが悪いのは「前衛党の防衛」という「非常時」を党中央から宣告された場合、公序良俗や道義など真っ向無視の言論弾圧や政治謀略、人権侵害、密室政治、暴力的査問(異端審問)にためらいなく突進する。

  《参考事件:市民が告訴すれば有罪判決を食らうが…。森永ミルク中毒事件 能瀬訴訟 

日頃は表向き「比較的いい人」に見えても、突然、組織員としての別人格が現れる。「カッコつきの革命的正義」を身にまとい、国法と人道を無視した恫喝を凶暴に実行するのだ。「共産党は二重人格を作り人格を破壊する」という元幹部党員らによる指摘現象のメカニズムは、この部分に存在する。

《参考資料:能瀬訴訟 訟控訴審 準備書面 p27─報道、学者への恫喝─社会性の乏しさ全開》

科学は、人類にとって危険な技術を今後も次々に産出するだろう。これは深刻な問題であるが、この現象は何も資本主義社会に限ったことではない。すべての社会主義体制でも同じことが起こった。(ちなみに共産党が、それを「真の社会主義ではない」といえば言うほど、資本主義者も“あれはウチとは関係ない”という言い訳を開発する)

だが、技術はプロレタリア独裁国家が運営管理さえすれば、従来の矛盾は解消されバラ色の未来が訪れるなどというスターリニズム政党の流布する倒錯科学観の煙幕は、今では奇妙で意味不明のごまかしプロパガンダを開発している。「自主・民主・公開」などとは、もっとも縁遠い所に位置するスターリニズム党派が恥ずかしげもなく口にする「自主・民主・公開」(で国策容認)などというズル賢いプロパガンダであり、(※1)こんな子供だましの言い草で、真面目な市民が迷走させさられ市民が泣かされる歴史が東アジアの島国では今後も当分続くだろう。

このような社会観は、今後、何度でも、危険な技術の運用を「民主的運営」の名の下に擁護し、局面局面で党利党略の風見鶏となる。「猫の目解釈」でもって水面下で行われる国策への援護射撃の銃口は、体制を問わず技術が人類に及ぼす問題点を指摘する「非共産」の市民にも同時に向けられている。

これこそ、愚かで「非生産的」、有為な人材の消耗だ。


市民は本来の対抗者と同時に、味方を装うもっと欺瞞的な対抗者との闘いを強いられ、疲弊し、社会改善に挫折するかもしれない。そして、左右の民主集中制的で全体主義的な党派が社会を凶暴な政争と抗争に移行させ、国民の感情を扇動し、その荒廃した全体的精神構造は、他国への矛盾転嫁という国家間の抗争へと容易に転化するだろう。市民的資質を具備する市民社会の成長が未熟で、粛清に明け暮れるDNAを引き継ぐ共産党のフラクションが社会の隅々にまではびこり、党生活者が「生活をかけて」無節操で不正なオルグと粛正という「革命ごっこ」をコソコソと展開し、彼らが存亡をかけて「自共対決くっきり」に見せようと勢いづくような東アジア地域では、そのような潜在的条件が十分に存在している。

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(※1)

森永ヒ素ミルク中毒事件資料館は、事故直後に、今後の脱原発運動において民主集中制の存在が大きな障害物となるだろうとの危機感から、2011年4月9日段階で以下の見解を提示している。

http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-kakujiko01.htm#2011.4.9

【疑問】産業公害における責任回避の常套的「科学論(?)」を通じて原発事故の真因と責任を曖昧化か? 2011.4.9 中部大学 武田邦彦教授(元・原子力安全委員会 専門委員)の言説…

「公害事件に関していつも原因企業が主張するところの「予見不可能」の主張を、一見「謙虚」に見える独特の科学論から演繹的に「是」としている。これは悪質な原因企業の責任を軽減する言説に容易に転換しうるものだ。今回の福島の事故例のように、国家的大事故で、予見が既知の事実と化し、国民的批判が定着した後に、今後の放射能被害の危険性を「予見不可能性」で説明すれば、国民の生命擁護に気を配っているように見える。だが、一方で、「安全な原発は推進してもいいが、危険な原発には反対する」を声高に叫ぶのならば、氏自身が主張されるところの「予見不可能性」との自己矛盾である。
最近は、「あと出しじゃんけん」で華々しく登場するのが得意な人が実に多い。一部メディアが精査もせず、あるいは、それと知っていてか、面白半分に取り上げるので、本人もその気になり調子付く。それまで危険容認の立場で動いていても、世論の動向やトレンドに合せて変わり身が早く、しかも、俺が俺がと表に登場し、そのくせ、巧妙に利害関係を維持して広告塔で動く人もだ。」
(中略)…

ちなみに、類似例として、もうひとつの仮面も指摘しておく。民主集中制もロジックとしては似たような折衷的言説を嗜好する。最近はなりをひそめているが、かつて主張していた「正しいやり方の原発ならいい」、(森永事件では)「正しいやり方で行われるよう官製検診に参加する」という姿勢にもだぶって見える。一見「手法を正す」との改善提案を行っているように見えて、現実にはカネと権力と社会システムを総動員して強行される悪しき国策に、正面から異議を唱える科学者や技術者、住民運動の前に煙幕をはる効果になる。党利党略からか、権力に媚びる意図から来ているのかは、諸説あるが、結局、抵抗する住民の邪魔をしてきたことには違いない。



















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