市 民

森永ヒ素ミルク中毒事件は、昭和30年(1955年)に日本で発生した、森永乳業の粉ミルクによる乳幼児の大量死亡・被害事件です。 森永は、猛毒のヒ素が混入した産業廃棄物由来の第二燐酸ソーダを、製品が新鮮であるように偽装する目的で赤ちゃん用粉ミルクに添加したため、1万2千名以上の膨大な被害者を生み出し、1年以内に131人の赤ん坊が死亡するという世界最大の食品公害となりました。未だに多くの被害者が理不尽な扱いに苦しみ続けています。

2014年12月

現実の政党(政治)に理想主義を求めると手痛い裏切りと政治への嫌悪感という長期間にわたって有権者を苦しめるトラウマをもたらすことが多い。

権力の交替可能なシステムをほとんど経験していない日本では、政権交代のサイクルを確立することが優先順位の高い選択肢だろう。

こと腐敗した政党政治では、有権者が、政治を間接的に管理・コントロールできる状況をどうやって形成するか?という「次善の策」を懸命に考える必要がある。そのためには、ある程度、割り切った選択が必要になる。秘密投票の原則もそれを補完する機能がある。

他方で、空想主義に陥りやすいインテリや政治的不満層は、狡猾でこずるい全体主義的イデオロギーに依拠する一部「政党」のプロパガンダ「教宣」に、肝心な時に酔いしれる癖がある。

こういった作風で、政党政治に理想を追い求め、特定政党の理想を語って溜飲を下げている間は、リアルな現実では、権力がほくそ笑み一党支配が続くパターンが多い。

日本で民主国家といいながら半世紀にわたり事実上の一党独裁が継続したことによる弊害とそれを間接的に支えた様々な背景理由を、もっと真剣に考えてみるべきだろう。

「あの時代はあれでそれなりに機能していた」という老人の安易な回顧趣味こそが、今の政治の現状を生み出している元凶だ。

「ウソ」にまみれた “与野党対決“ という「表向きの体制批判の猿芝居」。その本質と背景は一体何であったのか、ということを、これからの世代はもう一度、視点を替えてえぐりだす必要があろう。

もともと、不正と腐敗が横行している政党政治の場で、歯の浮くような理想を語る政治家ほど、危険なデマゴーグだと認識したほうがいい。

現実政治は、現実に存在する利害を主に反映しており理想では動いていない。理想で動いたためしもない。そして理想主義を売り物に安易に政権を獲得すると、揺り戻しが激しくなる。

理想を希求する精神はとても大切であり、だがしかし、市民が自らの持ち場で、長期間にわたって汗を流すことでしか政治に反映させることはできない。

政治は、政党政治だけではない。口先だけの評論、個別政党を美化してそこに頼れ!という掛け声では現実の何ものをも、変えることはできない。(市井の市民の努力の果実を掠め取って、「我が党の成果」なるプロパガンダにすり替え、生業を続ける政党はいくつかあるが)

選挙のときにだけ、政党政治に理想を期待すべきだとする論調・風潮は、例外なく腐敗している諸政党の「しもべ」の位置に市民を位置づけることを強制する場合が多い。

そういう「上から目線の政治・政策論」への巷の本能的反発が、回りまわって投票率の低下となって現れることに、もっと言論人や知識人は思いをはせるべきではないか。

絶対主義は絶対的に腐敗する。

かつていくつもの国で支配権力を握った全体主義(ナチやマルクス主義、ほか)は既存政党政治の腐敗を奇貨として合法的に政権を獲得し、不正なプロパガンダにためらいをもたず情報統制をもって社会全体を統制し次の選択の可能性を封殺した。

一方、確かに政党政治は有権者の諦観や思考停止傾向に比して相対的に腐敗する。

だが民主主義は自由な選択の余地を制度として保障する。

すなわち民主主義を基盤におく政党政治は、腐敗した政党政治を蔓延させるが、次善の策を選択することを全く妨げない。いくらでも「改善・改革」が可能な政体だ。

だが、民主主義は、自由の承認というその特性から、全体主義政党の活動をも許容する。

したがって、バランス感覚を喪失し、次善の策を懸命に考えず極論に走る選択肢を採用した民主主義は、その考えない民意に比例して、合法的に全体主義へ逆行する。

そして、全体主義への移行は不可逆的であり、民主政体への復帰は不可能である。

これは人類が未だに克服できていない「自由と民主主義」のもとでの「考えない」怠惰の発生がもたらすきわめて大きな現実的危機である。


12月8日、内閣府はGDPの二次速報値をホームページ上で発表した。

【御用エコノミストも真っ青、まさかのマイナス3ポイント下方修正】
http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/sokuhou/files/2014/toukei_2014.html
概要報告書http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/sokuhou/files/2014/qe143_2/pdf/gaiyou1432.pdf

結果はマイナス1.9%(年率換算)だ。
11月に発表され、解散の契機となった一次速報値のマイナス1.6%より、さらに下方修正された。
事前の市場エコノミストの予測では、上方修正されるだろうとの政治的期待感が先行していた。だが、大変残念な結果となった。企業の設備投資と公共投資が下押しした。企業の設備投資がまったく振るわず、5兆円超の公共投資も効果をもたらしていないことはすでに織り込み済みだったはずだが、エコノミストも株式投資ブームに便乗し市場の乱高下に一役買うべくプロパガンダの片棒を担ぐ昨今だ。だが、数字だけが冷徹に語るという滑稽な構図となった。
分析はロイター電が比較的詳しいhttp://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0JL0ZB20141208

【世界経済の回復基調にちょっと足をかけただけのアベノミクス】
アベノミクスが世界経済とりわけ米国経済回復の波に便乗したQEの猿真似であり、かつ米国とは違った状況で適用する論理性を欠いた迷信でしかないことは、当ブログでも年初からやんわりと指摘してきた。政策の成功や失敗とは独裁政権が無制限の締め切りで煙にまく話ではない。
アベノミクスは現状では大失敗だ。だが選挙で勝った末に調子に乗り、仮に今後も継続し、それでもって仮にファンダメンタルズが少しばかり好転する局面があったとしても、それは複雑に絡みついたグローバル経済が結果的にもたらしたマクロ諸数値への影響というくらいの意味しかなくなっている。つまり「誰がやっても同じ程度のことにしかならない」ということだ。株高ブームを沸かせてサプライズ&幻惑させ、票をかっさらう手法にためらいがない所には、さすが安部氏の政治的価値観が反映されていると言える。
問題はアベノミクスの核心的思想である、「資産効果→好循環」説が、「金持ちが貧乏人に金を恵んでくれる」という神話まがいの「トリクルダウン」説に基づいていることだ。経済構造の把握云々以前に、経済そのものへの基本思想を欠落させており、成長エンジンのオイル切れ運転を加速させ、オーバーヒートさせる危険性がある。加えて、派遣労働の増加、投資ブームの蔓延、教育への威圧的統制、歴史的事実へのジャイアンまがいの歪曲、メディア言論への統制による画一的情報管理と陰険な恫喝行為。それらは、じわじわと、「よい子」であるべき、との脅迫観念にさいなまれる人間を生み出し、一方的命令タイプの人間か或いは異質なものとのコミュニケーション能力を欠く人間の増加につながる。富を生み出す源泉である人材の長期的損耗と毀損につながることばかりだ。株高を大喜びする風潮は個人的破産と詐欺、悪質商法をも増加させる。

「怖いもの見たさ」から、横目で猿真似の日本経済を観察していたEUはもう、アベノミクスを参考にしないだろう。すでに日本国債の格付けも揺らぎ始めている。

【アベノミクスの失敗を嗤う資格のない視野狭窄の野党】
しかし問題は野党政治家の退廃だ。野党は、アベノミクスのできの悪さを笑う資格はなくなっている。この間の野党共闘の無策の実態は、野党が政権批判を強めながら、実際には政権担当の気構えもなく、準備さえしておらず、現実的な対抗策さえもっていないことを自己暴露している。まさに、「批判だけの共産党的空想」を唱えるだけの「ガス抜き野党」に成り下がっていることを猛省しなければならない。国民のため世界ための政治を具体的にどうするか、という発想ではなく、目先の自党の票の上積みしか考えない卑屈な党利党略は全政党に蔓延している。つまりは、「安倍政権は反感を買っている。だから大した努力をせずとも、抽象的批判をしておれば、批判票が自動的に回ってくる。ラッキー!」という性根だ。まさに “政党政治は腐敗する” という姿だ。
もちろん、このフレーズはアンチテーゼとしてある。だが、この傾向を怠惰に放置すれば、中間市民層の穏健で理知的な考え方を「論破」「唾棄すべき」ものとして捉え、強力な中央集権支配に陶酔する「全体主義政党」が勢いづくだろう。全体主義「政党」もまた内部の権力欲や腐敗度に関しては御他聞にもれないが、その内部実態を国民の目から「美辞麗句を並べたプロパガンダ」で隠蔽する。平然と嘘をつき、中間層の温和な政治的良識を破壊して自党の極大化をはかる無限の運動をあきらめない。今後に警戒が必要となる政党である。

【全体主義イデオロギーの跋扈に警戒し、コントロール可能な政治状況の確立が必要】
社会が混乱して方向性を見いだせない時期に、異様に喜びを表面化させ、自党だけが体制に反対しているというカビの生えた自画自賛宣伝を続ける党派にも要注意である。もちろん、現在の日本は、国民の多数がそれに飛びつくほどの状況ではないが、政治的過渡期に、市民的思考を停止させる時代遅れの負の効果だけは継続的に発揮し続ける。資本主義の次に共産主義は来ない。「来るべき共産主義」を叫びながら革命後にやって来たのは、例外なく、独裁と飢餓と大量虐殺と民族文化抹殺と資本主義への回帰、そして野獣的貴族政治が跋扈する「国家資本主義」だけだ。その歴史の痛みに全く学ばず、未だに「資本主義 対 共産主義」或は 「反米帝愛国主義を唱える共産党的民族主義」(コミンテルン支部的イデオロギーとしては変化なし)を念仏のように唱えている。このトボケた冷戦時代の残滓イデオロギーは、田母神氏などのモチベーション向上に貢献するだけであり、社会改善へのあたらしい理念を生み出す努力に立ちふさがる。
1930年代以降、共産党は革命を唱えつつ資本主義への反感を吸収してソビエト体制に有利な形になる民族主義を同時に鼓吹し、ソビエト国家防衛というコミンテルンのご都合主義の忠実なしもべとして活動してきた。同時に、マルクス主義の歴史発展観という独特の宗教的歴史観の影響から、自党の拡大だけに関心を払う事に躊躇いをもたない一種のカルト政治思想政党として自己浄化能力を喪失したまま、延々と、上から目線で国民を「指導したがり屋」の党生活を続けている。(「指導部」という言い方には警戒感が必要だ。中国や北朝鮮のニュースで頻繁に登場する共産党特有のカルト用語に無意識のうちに洗脳されないようにしよう)

【現・政治状況で問題にされるべきこと】
安倍政権の解散手法の問題は、政権の利益のためだけに、政権を放り出し、それどころか、国民に踏絵を踏ませるという、有権者にとって「恩をあだで返す」政治的作風を公然と採用しているところである。民主主義の決定システムの問題点を拡大させるという意味で共産党的民主集中制思想と似通っている。まさに「自共対決」は、政治イデオロギー的には周回遅れで自民党と同じ位置にいる共産党にとってふさわしいスローガンだ。共産党も安倍政権のような「踏絵を踏ませる」陰険な手法が大好きだ。
安倍晋三氏の政治家個人の資質は問題だらけだ。だが、それを招いているのは野党の現況でもある。
民主制の制約条件を利用拡大し、自己の政治的理念のためには手段を選ばず権力を乱用する安倍政権の問題点はいくらでも指摘できる。だが、この国が終戦以来、ほとんど政権交代を機能させずにきた事の責任は有権者にもある。それがもっとも不幸な「戦後レジーム」かもしれない。
(東京都知事の舛添氏が、“日本には二大政党制は根付きません。どれもこれも小さい政党ばかりで、どれもこれも多弱ではありませんか…でも、我が党も小さいですが…、我が党を宜しく“ …おおよそこんな意味不明発言が都知事の口から飛び出す所が、政権交代をめぐる日本政治の混迷状況を端的に示している。)
今回、このような政治的混迷が白日のもとになったからこそ、野党政治勢力の問題点が、国民の中で、今後、容赦なく、声高に議論・指摘されなくてはならない。
野党が機能しない現状は、中国共産党は言うに及ばず、ロシア・プーチン体制や、かつてのナチス登場まえのワイマール体制の政治状況と似ており(単純にイコールではないが)それで狂喜乱舞するのは、ネオナチや、民主集中性に陶酔するマルクス主義者(原理・非原理問わず)などカルト的な左右の全体主義者だけである。


【以下、安部政権関連記事】

















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