アメフト事件に関してはいまさら解説は不要だが、5月22日の加害者側選手の記者会見で明らかとなった犯罪指示の構図は、大いに既視感ありだ。1955年の森永ヒ素ミルク中毒事件、そしてその事件史を2000年に入ってさらに歪曲しようとした同社幹部の菊池某氏の詭弁を思い出す。
組織犯罪の常道(「直接指示」と「ほのめかし」)
同選手もまた、一種、そんたくさせられて、犯罪の実行に及んだ。「そんたく」は日本特有のものではない。証拠を限りなくゼロにすることを目指す、完全犯罪を目標とした組織犯罪システムである。
彼は、自分の責任を痛切に自覚している。少なくとも彼自身の言葉でそれを明確に語っている。だから監督やコーチへの恨みぶしもない。記者からそのあたりをいかにつつかれても、やはり自分は、自分の問題を語るべきだ、という確固とした方針で臨んでいる。二十歳になったばかりの彼が、会見に臨むにあたり、想像を絶する決断が必要であったに違いない。だが、私はこれを「勇気」とは呼ばないし、敢えて彼を英雄視はしない。彼自身、「勇気」は違法命令を拒否するところで発揮されるべきだったと自覚している。だが、彼の会見は、今の日本の社会状況の中で、極めて重要な、ある種、歴史的ともいえる役割を果たした。
その要点は、
1.【姿勢】
自分が万難を排して会見し事実を明らかにしても、それをもって決して英雄視されてはならないし、安易な許しはありえないと自覚している。すべては被害者への謝罪の視点が貫かれねばならない。組織犯罪の実行命令をいかに理不尽な遣り方で受けたとしても、それをやったからには、一人の人間としての罪からは逃れられない。
2.【語らない覚悟】
彼は語っていないが、記者からの質問で、「監督やコーチからの理不尽で違法な指示を、あなたは、なぜ拒否できなかったか」に関して、それは単純に言えば「自分を再度登用してもらいたい」という自己保身意識であり、それを絶えず再生産させるシステムがあったと言うことだろう。だが彼にそれを言わせてはならない。彼がそれを言うことは、己の責任をシステムや外部環境に転嫁させることであり、自己の責任からの逃避である。彼が、時系列で事実を明らかにしたことがもっとも意味がある。それを安易に口にしなかったのは、加害者の謝罪姿勢としておおむね妥当だ。
3.【事実】
人身傷害行為の実行命令は、監督がコーチに指示されたと思われ、そして、コーチはあらゆる方面から同選手に「 “つぶす” というのは、単に威勢よくぶつかる、という意味ではなく、アメフトで絶対的に守るべきポジショニング(アライン)を逸脱しても、何をしても、手段を選ばす、とにかく相手を負傷させよ」と認識させる各種の「ほのめかし」を念入りに行い、ロボットのごとく操縦した事実。「相手チームが怪我をしたら有利だろう」といった言い方で相手選手を「負傷」させることを指示している。もう、こうなると「そんたく」といった曖昧なレベルではなく、明確な命令。
ということが明らかになったことだ。
同大アメフト部は、犯罪行為の実行後に「お前は成長した」
あるメディアの記者は、日大アメフト部の幹部が加害選手に命令実行後にかけた「成長」という言葉に、さすがに声を詰まらせ、「まるで犯罪組織じゃないか」といったが、まさにそうである。マフィアの手法である。
だが、これは、森永ヒ素ミルク中毒事件にも当てはまる構図であり、さらに事件発生から45年以上たって、「被害者に “これだけ” 金銭を支払い続けている」と偉そうにマスコミを利用して喧伝してきた同社が、調子にのって、自社犯罪の正当化を再度始めようとしたとき、利用した手法と同じだ。
大量殺害の責任を、再度、現場社員になすりつけ始めた森永乳業
いわく、「事件の情報は中間管理職にとめられていて、社長はしらなかった」、同社幹部の菊池某が、中坊公平氏との対談で公言した、たわけた言い草である。天下周知の大量殺害事件で、障害に今も苦しむ被害者が莫大にいる中で、反省もなく軽口を叩き始めた。事件後、半世紀もたって、再び、幹部の再免罪を実行し、その責任を平然と部下に擦り付けて、「安全性に気を遣う優秀な企業」と自画自賛した。恥知らずな組織犯罪の構図である。(実際の同社は、死亡事故、横領、窃盗など、不正の温床であることが最近の相次ぐ不祥事報道で、バレてしまっているが。)
日大アメフト部幹部の「指示の解釈の乖離」(選手の会見後の同大公式見解でも繰り返す)という、目を覆いたくなるほどの組織の腐敗という病巣は、あの不正に満ちた戦争のあと73年たった現在に至るまで、再生産され続けている。
過ちに手をそめたものの、自己内省で後悔の念にもがき苦しみ号泣したあの二十歳の選手と同じくらいのモラルをもった社員が1955年の森永に一人でもいれば、事件は20年間も放置されなかった。また、今の森永乳業にも一人でもいれば、菊池某の妄言もありえなかっただろう。(陰に隠れて甘い汁を吸い、加害企業の継続的な組織腐敗状況に加担する党派勢力の構図は省略。ちなみに、前述の「そんたく」は、古代からあり、資本主義にも、更には共産主義など全体主義には、極限に拡大されて発生する。)
日本は組織犯罪に甘い。そして、日本政府は食品で大量死が起こっても、個別企業の責任問題として対処する国策を貫いている。関西テレビが放映した大きな嘘、「森永事件の被害者へは行政が主たる補償」を行うことは今も、この先もありえない。さあ、この有様をどうするつもりだろうか?
次の大量死へのカウントダウンはすでに始まっている。