歴史の歪曲は、人間の尊厳を脅かす蛮行。

http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-propaganda02.htm

事件後半世紀もたって、森永乳業顧問(2002年時点)の菊池孝夫氏が
「ヒ素中毒による後遺症は中間管理職が握りつぶしていたから、上部の者は知らなかった」
などと受け取れる発言を大手雑誌で流布した。
 このあまりに大きなウソは、森永ヒ素ミルク中毒事件の事件史全体を捻じ曲げる重大な歴史偽造の試みである。その後、本人は訂正もしていないようだ。被害者圧殺の暴虐の歴史を少しでも知る人、歴史を重んずる人が問題視するのは当然だ。未だにこのような不正なデマがごく最近になって原因企業幹部によって公に流され続けていることには驚きを隠せない。加えて、この企業の中間管理職が、このような公然たる責任転嫁を受けていても、黙って口を閉ざして現状は、情けないにもほどがあるし、「管理者としての矜持」を見せる度量もないとは、全く時代遅れの企業風土だ。
 しかし、森永は大量の乳児を殺害しておきながら、なぜ未だにこのような傲慢な態度を続けられるのだろうか。その背景に、創業当時から軍部に取り入り、産業報国の旗を振り、青少年にチョコレートなどの菓子を通じて軍国主義の刷り込みを率先しておこない、政界と癒着し続けてきた企業グループの姿勢からくる傲慢さを指摘する人もいる。だが、理由は何であれ、このような歴史偽造は許されない。このような「もみ手ごますり」で企業トップにオベンチャラを使い、トップの責任を隠蔽し、自社のもっとも恥ずべき犯罪の本質を曖昧にする「感情支配型」の経営姿勢に猛省を求めたい。政界に野心あり過ぎの森永と安部政権

左右は利権が絡むと見事に癒着する。
【参考資料】森永事件解説ポスター 民医連なるもの 弁護士の言説  弁護団内部の売名主義への批判  被害者団体の本末転倒 森永ヒ素ミルク中毒事件50年目のレポート 貧困ビジネスの実態 被害者団体のあり方を批判する市民を恫喝した民主集中制が裁判で有罪判決 歴史の偽造を企む職業的プロパガンダ  民主集中制という麻薬的党派性向
意見の異なる会員の言論弾圧をして何が悪い!と公式に開き直る民主集中制

「弁護士」との対談で登場した巨大な嘘
ヒ素中毒による後遺症は中間管理職が握りつぶしていたから、
上部の者は知らなかった???

(森永乳業顧問-2002年-の菊池孝生氏が、テレビや、弁護士・中坊公平氏─当時─との対談で発言していること。)
 中坊・菊地対談は2002年の『諸君』5月号に掲載されています。その時の菊地氏の肩書は「森永乳業顧問」とあります。ですから、個人としての発言ではないと認識しています。その中で問題となる個所を再録します。
 162頁下段で「菊地 (略)『韓非子』に「知の難きに非ず、知に処するは則ち難し」とありますが、知恵はいくらでも出てくる。それをどう運用するかがいちばん難しいんです。現場を知りたいという社長の真意を、中間管理職がどれだけ汲み取れるか。不祥事があった場合、もちろん社長も悪いけど、社長の耳に心地よい話だけを上げてくる中間管理職がいちばん悪いと思います。実は森永の場合、昭和30年に事件がおきてから裁判になるまで、14年間にダンボール三箱分の苦情が届いていたんですよ。つまり、事件は「14年目の訪問」で再燃したのではなく、ずっと続いていたんです。それを中間管理職が、社内の思惑で止めていた。」
  ────────────────────────────
以下に、このウソを証明する一次文書と資料類を17項目に亘り掲載します。
余りに深刻な公害の責任を最も深く自覚すべき幹部が、いまどき、こんな見え透いた「嘘」を雑誌で公然と流布して良いのでしょうか? しかも事件発生後1年以内に131人の乳児を死に至らしめておいて、未だに「上場企業」ですぞ。その傲慢さから来るのかどうか、なにか大きな勘違いをしている(現在に至るまでの認定被害者の死者は最低でも1,170名 -2013.10現在-)

1.
最初から、被害者組織の解散を求め、深く関与していた森永重役陣

No.849 菊地孝生森永顧問の話は「大ウソ」─

 森永特使・梅原睦氏は守る会結成後に、守る会の今後を危険視して森永から派遣されて岡山へ度々やってきて、解散などをもとめていました。彼から某氏に送られた手紙です。

…一昨日も上京しましたが、矢張り重役陣の中にも一応石橋をたたいているものもないではありません。これと言うのもジックリ膝を交えて話せる機会もなし、過去の歴史を辿っても疑念を抱かれるのも当然のこと。そうした方ともこの際、理解を求めるためにも小生も思っているままを話して了解できるかどうかわかりませんが来たつもりです。(以下略)─昭和32年9月18日─

…何か将来を保証する意思表示がほしいと希望することも御理解願いたい。社内重役陣も個々の考えをもっていることを考慮されたい。(略)─昭和32年9月13日─
 これ、つまり森永にとって「将来を保証する意思表示がほしい」とは「守る会」を解散することを意味している。その「意思表示」を求めている意味にとれる。
 これまでに、別の渉外部の部員が岡山で後遺症治療について、何度も守る会の会員と話をしていて、このことは梅原氏も了解ずみです。だから、重役陣と話すときには、そのことがでないはずはない。

2.森永は重役の意思で、被害者団体無視→各個撃破→ボス交渉→抹殺。
No.850 菊地孝生森永顧問の話は「大ウソ」2─

 これは岡崎哲夫氏から黒川氏に宛てられた文書「森永の謀略とそれに対する本会の行動方針について」(昭和32年7月14日)です。
 各会員からの報告を集約した結果。1.松本渉外課長の個人訪問は本会無視、団結破壊の意図。2.訪問結果「納得した」会員は皆無。3.回答期日延期し「岡山は他県並みで不可、重役と相談」後の回答は本会抹殺、各個撃破となる。七海重役が黒川氏に会談申入れは、右路線を実現せんため。組織を無視するボス交渉の意図。4.本会の任務は組織の存続発展。5.医学者の見解は砒素の影響に悲観楽観の両論、楽観論は権力機構の座にいるもの、その他は悲観論堅持。6.我々の要求は目新しくなく森永に約束の履行を要求するもの。

3.「中間管理職が握りつぶしていた」という言説は「意識的に流布」されている悪質なウソ。
No.851 菊地孝生顧問の話は「大ウソ」3
 昭和32年8月15日綱島長吉氏(事件翌年の守る会設立メンバーの一人)が某氏に宛てた手紙。
 (略)11日調印(注 守る会と森永が被害者治療について契約書を交わす)後梅原氏(注 特命大使)の意見は本社大野氏(注 社長)の意見として医師が積極的に研究に没頭と能力あれば、本社として協力を惜しまないと言う。梅原氏は本社の裁決が梅原案と磯辺・松本案(注 渉外課員)の調整において梅原発言に傾き、磯辺氏の意識的反抗を感じるので考慮してほしい。平田氏(注 訴訟派)ら旧同盟の方々に今度の協定書を話し、子供が治療されることが実際的に望ましいので、訴訟に追い込んだ罪滅ぼしとして努力したい。
 (感想)梅原氏は自分の功績を自慢しているようにもとれる。守る会が岡山県内の会員の治療費の支払いを求めて交渉しているので、本社の上層部が知らないはずがない。社長の名前も出ているのであるから、菊地氏が言っていることは「意識的なウソ」であり、悪質極まりない。

4.森永重役、「守る会は、不逞なやから」との見解。懐柔策として後遺症との関連に関して治療費を払うとの見解も。

No.853 菊地孝生顧問の話は「大ウソ」4─

 昭和32年9月3日に森永七海重役と守る会役員が会見した時のメモが見つかる。七海氏の話では「会社側には二つの意見がある。一つは新協定(注1)については柔軟に運用するというもの。二つ目は守る会は不逞な意図をもった集団で、無条件で解散するまでは信用できないというもの。これは渉外課主流の意見だという。」このような話が七海氏の口から語られた。

(注1)新協定とは、岡山県内において、任意の医師の診察を受けヒ素ミルクとの関連性について疑いがあると診定された者に限り、治療費、交通費、入院に要する実費を森永が負担するというもの。

 七海氏は守る会が後遺症の治療を求めていることを知っていたことは疑いがない。菊地氏は七海重役も「中間管理職」の中に入れているのだろうか。後遺症を上層部は知らなかった、中間管理職が握り潰したというからには、大野社長も№851では知っていたことになり、森永社員は社長も重役も中間管理職になってしまう。

5.大手マスコミに陰湿な圧力をかけ続けた森永乳業の重役

No.856 菊地孝生顧問の話は「大ウソ」5─

昭和35年11月8日付、綱島長吉氏から岡崎哲夫氏宛ての手紙

1.福祉新聞の森氏の意見了解、2.朝日の角川氏の意見求められたらいかが。①森永七海氏が三回に亘り同編集部を訪問し、手きびしい態度で接されたので掲載されるとたたかれるかも。②角川氏も七海氏を取材している。③七海氏は別方面で掲載禁止の手段は可能であったが、取材現場の空気悪化を憂慮して成り行きまかせにしたと私にはなす。赤松部長が直接吉房、浅野を訪問しているのは火消しを意味。5.磯部君が突然岡山へ来たのは朝日不掲載が連絡された母親大会事務局の態度だけが問題になり、県衛生部を通じて赤松氏へ働きかけする任務か。赤松氏を通じて吉房、浅野説得方法打診か。

(赤松部長が「火消し」に回ったというのは、森永への治療費などの要求を抑えることや、県庁で座り込みをすることなどを中止させる意味ではないかと思います。日教組の婦人部も「日本母親大会」の主催団体の一員ですが、当時は県庁も愛育委員会も保健所もみな森永の味方ですから、「要求の火の手」が上がったのを消すということでしょう。)

 福祉新聞─日本母親大会で守る会の吉房、浅野の両氏がヒ素ミルク中毒の後遺症を訴えた。それを報道したのは「福祉新聞」、「アサヒ芸能」だけだった。森氏は福祉新聞の記者。
 朝日の角川氏─週刊朝日の記者、母親大会後岡山を訪れ関係者の取材をして原稿を書きながら、なぜか掲載中止になる。
 赤松部長─日教組の岡山県婦人部長。磯部─森永渉外部

6.後遺症の存在など先刻承知の上で、抹殺努力を続けた森永乳業の重役
No.858 菊地孝生顧問の話は「大ウソ」6─

昭和35年10月12日 森永乳業株式会社大野勇殿「御通知」 森永ミルク中毒のこどもを守る会理事長岩月祝一
「福祉新聞第179号所載の記事で「森永事実を否定」の個所で貴社七海久氏と松本鷹知氏の両氏の談話は、新聞紙の公的性格に鑑み社会的影響が甚大であり、当該記事が完全に真実であるか否か責任ある回答を望む。」

 福祉新聞179号は日本母親大会で守る会吉房、浅野両氏が「森永ヒ素ミルク中毒被害児に後遺症」を訴えたことを報道している。取材記者によれば、守る会の言い分と森永の言い分を公平に報道するために両者から取材したという。だから森永の七海重役は後遺症の存在を知っていたことになる。松本鷹知氏は渉外課長だから、岡山の守る会とも接触があり、医師の診断書で後遺症の疑いがあることは、先刻承知していたはずだ。

7.被害者が、1960年の段階で、すでに社長代理に直訴しているのに、「中間管理職が握りつぶした」、という虚言を2002年、雑誌で語り始めた森永乳業顧問
No.867 森永・菊地孝生顧問の「大ウソ」をあばく №1─

 昭和35年1月28日福士俊子氏(東京在住・重症被害者母)の手紙
 東京行動をより有意義にするため一案あり。以前に報告した東京新聞の社会部記者がこの事件に興味をいだき、当時(3年前)森永本社へ行き重役とのインタビューに成功したが、徳島裁判の判決まではと、新聞社でストップになり記事は陽の目を見なかった。時期到来すればとのことで、東京行動日はその「時期」と思い、日時確定し次第新聞に報道してもらったらどうか。

 東京行動とは日本母親大会に参加すること。大会が終了後の8月24日午後に吉房さん夫妻と岩月、浅野さんが森永社長本宅に面会を求めて行っている。社長は不在で夫人と話している。翌日大野勇氏宅に行きここでも大野氏は不在で夫人と話している。これは吉房亀子さんの日記にかいてある。(昭和35年8月24日)
 当時大野勇氏はヒ素ミルク事件の責任を取って社長を辞任していた。大野氏と会えなかったので森永本社へ行き、社長代理の者とあっている。そこで訴えることといったら「後遺症」のこと以外に何があるだろう。

8.雑誌「アサヒ芸能」への森永の圧力

No.870 森永・菊地孝生顧問の「大ウソ」をあばく №2─

昭和35年9月25日『アサヒ芸能』記者栃窪宏男→岡崎哲夫への「手紙」を掲載します。

先日、突然取材にあがりお世話になりました。帰京後早速森永本社を訪ね、総務部長と話し合いました。原稿提出後にかなり圧力がかかって驚きましたが、一応3頁のページを割くことができました。(後略)

森永の総務部長は森永恒三郎氏で、森永本社と関係があるらしい。総務部長と言えば、「中間管理職」とはいえないでしょう。『アサヒ芸能』は圧力にめげす吉房、浅野両氏が「日本母親大会」で後遺症の訴えをしたことを掲載したが、『週刊朝日』は岡山まできて取材はしたが、なぜか掲載は見送った。



9.関西テレビでの発言も大ウソ
No.871 森永・菊地孝生顧問の「大ウソ」をあばく №3─

 関西テレビ制作「ザ・ドキュメント『恩讐の彼方』」(2007年11月27日放映)で菊地孝生氏の発言、「丸山教授の発表を新聞で見た時には、これはしまったと思ったですね。検診を続けておけば、被害の拡散は防げたとおもったですね。」

 これも「大ウソ」。
 守る会(岡山にしかなかった。大阪には「守る会設立準備会」は岡山のよびかけでできたが、その後立ち消え)は精密検診を求めて、森永と交渉をつづけていた。守る会の要求で森永は岡山では検診費用、治療費を負担したが、守る会の解散を要求。岡山の患者に後遺症があることは、他府県でもあることが当然予想されることである。
 この菊地氏の発言「しまった」は被害者からなんら検診の要求がなかったので、検診をしなかったとうけとれるニュアンスがある。 関西テレビは、これらの登場人物の発言などについて「ウラ」をとらずに制作している。これは「ドキュメント」とは言えない。

10. 被害者の親の転職をも妨害し、被害者家族の困窮と崩壊を企図。

【昭和37年8月15日守る会関係者への綱島長吉氏からの手紙】
 突然上京し、清水(静岡県)へ駐在していたが、来月清水を引き上げ予定。帰郷か名古屋へ滞在か未定。以下極秘、実は日水(日本水産)副社長(綱島氏の大学同窓生)の招請で、八王子(東京都)の新設工場の舎監として寮管理の仕事をやるつもりで上京後、勤務部から提出の意見書は、「森永事件関係者で同業食品界に打撃を与えた張本人を如何なる名目でも留まらせることは同業の交誼に反するし、工員と直接関連を有する人事関係の最前線に据えることは危険。興信所その他の情報で明らか。」

 副社長は、もし自分が同じ立場になれば、綱島氏と同様の行動をとるだろうと言明。以上のような事情で清水で待避。

 この背景には社長派と副社長派の勢力争いあり。社長は元森永の重役であったことが決定的要素と思う。(以下略)

 社長が綱島氏らが岡山で守る会を結成して、粘りつよく後遺症の存在を訴え続けていたことを知っていたからこそ、排除しようとしたことは明白である。

 自分たちのおかした罪を棚に上げて、子供の将来を心配して運動を続ける親に対して「危険人物」という烙印を押すような人物が、会社のトップにいる。これこそ会社にとっても、社会にとってもキケン信号だ。


11.森永は被害者に無条件降伏のみを求める。No.896 森永・菊地孝生のウソをあばく(続)
【以下は、守る会が昭和32年-1957-9月6日に会員向けに送った文書の中に書かれている内容。この項4を示す原文】

 昭和32年9月3日、森永七海重役と本会(岡山県森永ミルク中毒のこどもを守る会)が会見の結果を報告します。森永社内に二つの対立意見がある。一つは新協定(守る会と森永との間で、ヒ素ミルクによる後遺症との医者の診断があれば、治療費などを支払う)の柔軟運用。二つは守る会は不逞の企図をもっているので、無条件降伏(守る会の解散)までは信用できない。この意見は渉外課主流の意見である。

【大阪被災者の方への連絡】
今回、我々(岡山県森永ミルク中毒のこどもを守る会)と森永との間で新協定がが結ばれた。この覚書は他府県には公表しないでくれと森永から申入れがあった。大阪も守る会を結成したら、岡山が悪顔をうつのも覚悟の上で内容をお知らせする。(しかし大阪はその後守る会を結成しなかった。昭和32年9月11日連絡状から)

12.菊池氏からみると、森永乳業の重役は「中間管理職」?  No.897 森永・菊地孝生のウソをあばく(続々)

以前に報告済み、重複をお詫びする。
投稿者 :こだわり人間 2013年1月6日(日) 16:35
【昭和35年4月24日の黒川氏から岡崎氏へのハガキの内容】
19日に午前中一杯松本、磯部(森永渉外部)の両氏と話し大体の見通しをつけた。多分5月の飛び石連休頃に岡山で検診し、更に会談することとなろう。松本氏が26日に帰京して七海氏等と相談するとのことだ。

 菊地氏は、被害者の後遺症の存在を中間管理職が握り潰したと、中坊氏との『諸君』誌上での対談で公言している。事件後の35年にも岡山の守る会から、引き続き後遺症対策を求められていることを、重役の七海氏が知っていたことはこれで証明されている。

13.中間管理職もトップの意志のもとに動いていた証拠(当然でしょう)
【森永渉外課松本鷹知氏から岡崎哲夫氏への手紙】
 昨日突然黒川兄の訪問を得て知りました次第ですが、心からお喜び申します。貴兄と黒川兄上京前にお話し合いされたことについて伺い又私の考えも(これは会社の考えです)
誤解のないよう十分お伝えして御帰岡後には貴兄と御相談願うよう願ってありますが、同氏(黒川)も時間の都合上貴兄との会合が多少時間がかかるかもしれないと申して居られました。黒川兄からご報告がありましたらそれに基づいて、十分御検討いただけますれば、幸いと取り急ぎ御回報申し上げます。(昭和35年2月27日)
 
(注)これは被害者の検診費用などの支払いについて、森永の考えを黒川氏に述べ、守る会に伝言を頼んだことを手紙でしらせたものだ。
「私の考えは会社の考えだ」と言っていることからわかるように、中間管理職が勝手に動いていないことを述べている。ただそれなら文書にして渡せばいいものだが、それをしないところが森永のズルイやり口である。

14.森永乳業の常務取締役は、中間管理職? No.900 森永・菊地孝生のウソをあばく(続々々々)
投稿者 :こだわり人間 2013年1月8日(火) 15:13

【会員各位 重要通知(マル秘)】昭和35年5月24日
以下の各項は重要なので適当な配慮を要望する。(1)5月21日岡大検診結果(親の証言)、イ.A─脳の発育が3歳程度、薬品の与えすぎか。6月2日再検診治療法を考える。ロ.I─乳歯が駄目、今後一回通院義歯をいれる。ハ.Y─手術及び義歯は健康上差し支えなし。(2)過去の闘いの推移を顧みて、イ.検診結果積極的に検診、健康管理した子は回復、ロ.親の判断で処理すれば回復遅れ目立つ。ハ.常時積極的に医師と連絡をとり真剣になること必要。ニ.我々が医師を指定し受診すると、森永はその前後にその医師と会見し、医師は森永に不利な発言を回避する。真に正しい立場にいたのは倉敷中央病院の石田医師一人。
【株主各位 第22期定時株主総会決議御通知】昭和35年6月12日 新役員決定・取締役会長-森永太平、取締役社長-大野勇、常務取締役-萩原昌次、七海久、前取締役社長-大串松次は相談役に。

(今まで度々この欄に登場していた七海氏は常務取締役になった。席次から言えば森永の№4であり、中間管理職ではない。)

15.森永専務が岡山の県会議員の直接買収に動く No.901 森永・菊地孝生のウソをあばく(続々々々々)
投稿者 :こだわり人間 2013年1月12日(土) 9:17

45年3月30日夜、社会党本部で関係者協議、直後、森永岡山営業所から「森永専務」が谷村、岡本両氏に面会要請あり、断る。昭和45年7月31日の社会党(岡山)県議団と守る会研究班の三者会議。石田課長(県衛生部)を呼んで詰めた結果、8月1日県が開催を通知した「岡山県粉乳中毒調査委員会」は県衛生部長の急死で取りやめ。ところが8月3日~5日頃、森永専務が藤本剛平社会党県議に「手を引いて欲しい」旨申入れ、必要とあれば数百万円は出す」と言った。(8月8日付岡崎氏から某氏への手紙)

(注) 藤本県議は医師で「岡山県粉乳中毒調査委員会」(官製検診)のメンバーとして守る会が推薦していた。
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質疑応答
No.902 投稿者:ホワイト 2013年1月16日(水) 19:25
こだわり人間様
で、社会党は手を引き、共産党(民医連)は官製検診に参加したんですか?

No.903 ホワイトさんにお答えします
投稿者 :こだわり人間 2013年1月18日(金) 16:27
 藤本県議は委員に入っておりません。その理由が森永から金をもらったからか、どうかは知りません。
 民医連からは水落理、松岡健一、遠迫克己の三氏が入っています。その他守る会推薦で三村啓爾氏も入っています。民医連は守る会がおこなった自主検診の資料を当委員会に提出しています。これには守る会は反対していましたが、こっそり提出したようです。

 ところで、森永が安定剤に使った「第二リン酸ソーダ」使用について、森永臨時工・パートタイマー労働組合は「ヒ素ミルク中毒問題(不買運動)と我々の態度」(1973.2.20)で次のようにいっています。「工業用第二燐酸ソーダも局方や第一級ソーダも実質には違いはなく、小瓶に入っている局方試薬など買っていては製造に間に合わぬから木箱入りの工業用を買っていた」というのですが、この見方には真実の一片が隠されているようです。


16. No.904 森永・菊地孝生のウソをあばく(続々々々々々
投稿者 :こだわり人間 2013年1月22日(火) 12:05
【昭和52年(1977)11月30日冒頭の山口敏夫委員長の挨拶】
 事件解決のために厚生省が乗り出してから既に局長は4代目を迎えた。基本的には、国民の命と健康を守る立場にたって進められてきたとおもうが、関係者が一つのテーブルについてやってゆけるようになったのには、守る会の役員のみなさんの献身的な子供に対する愛情と団体に対する奉仕の精神があってのことで、局長をはじめみなさんにこのことを十分理解してほしい。大変むつかしい事案で皆さんの努力がなければ、いつ行き詰るか、崩壊するかわからない。……三者会談に参加の皆さんの熱意と努力が特に必要である。守る会の皆さんは報われることのない献身だとは思うがライフワークとしてとりくんで頂きたい。森永乳業は構造不況、円高の中苦しいだろうが、経営責任をもっている立場の方が頑張ってほしい。大野さんが「会社がつぶれるまでやる」といったので、守る会の皆さんに会わしたわけだが、今後もそのつもりでやってほしい。
厚生省としても国の実験的事業として必ず成功させねばならない。大所、高所に立ってやっていただきたい。

(注)山口敏夫衆議院議員は、厚生省の政務次官だったころに三者会談の呼びかけを森永と守る会にした。森永が企業責任を認めるということで、守る会も参加したという事情がある。その経緯について山口氏は述べている。「大野さん」とは大野勇森永乳業社長のことである。「国の実験的事業」だといっているが、現在の状況は国は責任を放棄しているのではないか。


17.事件当時の森永乳業の悪魔的態度
以下----
 綱島氏(守る会設立者の一人)の報告(昭和32年9月17日)によれば、梅原睦氏(森永渉外部)は「辞を低くして(注)お願いするように、松本鷹知(当時の森永渉外課長)に言ってくれ」と申し入れてきた。

 そこで辞を低くしてお願いしたら、
(森永側からの)守る会の解散を要求。会社の意を受けて会員を説得せよ、強引に押し切れとの要求はきわめて不徳義で(被害者側としては)
耐えられない。

 
(森永乳業)松本課長の(被害者側への)
申入れ、
A.守る会解散なら『事件史』の負債等も解散の名目で支払う。
B.解散無理ならその他の条件に応じず

 という。今までは岡崎、綱島が強硬で、黒川が温和な仲介を取るという形であった。今度は梅原氏の書簡(辞を低くしてお願いする)の意を体して卑屈な位、低くでた。

 森永乳業・松本氏は被害者側へ自殺を強いるような高踏的態度であった。
 今後は黒川は高飛車に出て「今ただちに守る会の解散を要求は極めて不自然不当で、頭を下げるものを踏みつける行為だ。会社の態度が一歩も引けないなら仲介はしないで反響を見る」と黒川はいう。

 (解説)これは、被害児のヒ素ミルク中毒後遺症、併発省の治療費を要求をしている守る会に対する森永の態度について、綱島氏が報告している文書である。いまだに森永は被害者の頭を踏みつけていることに変わりがない。
以上----

(注)「辞を低くする」とは、相手に腰を低くして丁寧にすること。/つまり、この文書は、加害企業・森永の中級管理職・梅原氏が、被害者団体に対して、「わが社の上司(森永乳業の松本氏)には腰を低くして丁寧な言葉をお使いさしあげながらお願いするように」と「適切なるアドバイス」を出している様子を示している。そして森永からはそのお返しとして「まるで自殺を強いるような」高飛車な要求が次から次へと出されてきた事実を淡々と報告している/これは、まるで、江戸時代の、いや更にその前の原始時代の発想だ。引用文には青字の補足説明と改行を入れた。

デジタルアーカイブコーナー
所収:森永告発刊「砒素ミルク」シリーズPDF
1-1, 1-2 2-1, 2-2 等をご参照