市民たちの、この叫び
ブログ「NY多層金魚」http://nyckingyo2.exblog.jp/20374289
この度の都知事選は、日本政治史のなかで、もしかしたら数世紀に渡り語り続けられるものになるかもしれない。ナチ体制の完成の下支えとなった、ワイマール共和制崩壊前夜のドイツ共産党の「大躍進」のように...。自己の傲慢と閉鎖性に気づく回路を持たない「政治的一神教」が沸いた束の間の「大躍進」のように...
政治のフレームワークを単純比較した時、似通ったものを感じる人も多いだろう。

だが、日本の市民は、80年前の金融危機と内乱が常態化した、追い込まれた欧州政治の野獣的で暴力的な状況とは異なり、多元的な価値観を尊重する冷静さを有すると期待したい。
日本のような政治状況は他国でも頻発している。例外的な異常ではないかも知れない。
だが、唯一異常なのは、一般的人間集団としても腐敗しきったマルクス主義系政党が大手をふって、市民社会の成長の前に立ちはだかり、全体主義復興のマッチポンプとして相手を自己の補完物としながら見事に機能している点だ。

「するつもりもない革命」で世俗的野心に煙幕を張る自称「革新」
それに対抗する最短の道は、市民が自らの「市民的資質」を鍛え上げ、政治を真剣に考え、実践することから風穴を開けることだ。
百年近い不正な宣伝扇動スキルの蓄積で鍛えられてきた「腐敗左翼ムラ」のプロパガンダを打ち砕き、権力の不正の根幹に焦点をあわせるためには、市民の政治的スキル、政治的リテラシーが欠かせない。
日常のなかに市民が政治的なるものをとりもどし、持てるスキルのすべてを投入して政治の改善活動に参与していくことが、とても大切だ。革命などは必要ない。「するつもりもない革命」を、自らの世俗的野心のカモフラージュのために口にする諸党派とその運動員より、目の前の改善を実現することの方がはるかに技量と勇気が必要だ。それには日常の仕事で培われた市民の幅広いスキルと人脈が欠かせない。
一方で、既成の「自称無党派というプロ市民」という概念も当然、批判の遡上に上ってくる。
重要なテーマは「市民的資質」の成長。その宿題は、最近提示され始めたばかりだ。

「頼る政治」からの脱却
マルクス主義的世界観、その組織観である民主集中制的思考方法、それと決別できない「考えない独善的プロ市民運動」、現実政治にコミットする力のないぬくぬくとした「業界左派的知識人」がどれだけ一般市民の願いを弄んでいるかが鮮明になりつつある。「頼る政治」のもたらす閉塞があからさまとなっている。

このようなブログや問題提起が盛んに行われ、他力本願政治から、自ら作る政治、開かれた市民運動へ、或いは、ムラ社会化防止に挑戦する新しい政党運動や政治的結集軸への転換が図られていくことに期待をかけたい。それこそが、未来に希望を見出そうとする人々にとってはとても刺激的で、愉快な試みではないか?
しかも、それしか、平和が生き残る道はないように見える。熱狂に翻弄されるだけの、考えない人間集団には安心できる未来は訪れない。