市 民

森永ヒ素ミルク中毒事件は、昭和30年(1955年)に日本で発生した、森永乳業の粉ミルクによる乳幼児の大量死亡・被害事件です。 森永は、猛毒のヒ素が混入した産業廃棄物由来の第二燐酸ソーダを、製品が新鮮であるように偽装する目的で赤ちゃん用粉ミルクに添加したため、1万2千名以上の膨大な被害者を生み出し、1年以内に131人の赤ん坊が死亡するという世界最大の食品公害となりました。未だに多くの被害者が理不尽な扱いに苦しみ続けています。

カテゴリ: 科学 / 技術と社会

2年前に御嶽山噴火を例にとり、今更でもない内容だが、中央構造線とフォッサマグナとの関係を書いた。
被災地への迅速な救援と安全安心の確保、復旧を祈りたい。同時に、明日来るかもしれない災害への備えと自覚が他の都道府県にも必要だ。


http://morinaga-hiso.blog.jp/archives/1010103293.html


停止中の原発も安全ではない。
加えて伊方原発は今のところ無事だとか、川内は無事で稼働中とか報道される。
だが、以前にも書いたが、使用済み燃料プールの危険性は殆ど語られない。

福島でも経験済みのはずだが、忘れっぽい国民性のようだ。

地震動で使用済み燃料冷却プールの水面がどう動いたかのデータも伝わってこない。プールに亀裂が入る確率などを考えても、停止中だからといって原発の危険性は過少評価できない。中央構造線直下に存在する伊方原発の使用済み核燃料をどうするのか?現状では安全な処理方法が見つからず、行き先が無い。ドライキャスク(乾式処理)も危険性が指摘されている。これは再稼動を正当化するための泥縄式ともいえる発想だ。原発再稼動などより、この使用済み燃料をどうするかの対策が先決なはずだ。

ところが、原子力ムラは、3年前から “福島のときは(プールに)海水を注入したら、なんとかなった” 式の幼稚な言説を流している。こんな呑気な発想は、直下型地震には通用しない。いや、「知らないフリ」を決め込んでいるだけか? 稼動している川内原発はもとより、停止中の伊方原発の使用済み核燃料が暴走すると、九州・四国・中国・近畿の広域の汚染は避けられない。

ちなみに、停止中の伊方原発の使用済み核燃料プールに収納されている核燃料棒は、本年2016年3月7日現在で1422体(一体に60~70本の燃料棒)計610トンもある(※1) 。六ヶ所村の再処理施設は稼動の見通したたずで、行き場のない放射線と崩壊熱を発する危険な燃料棒が停止中の原発内に大量に押し込められていることを忘れてはならない。その処理方法は未確立で、キャスクにしてもその危険性を十分知る国や電力会社は、またもや田舎に押し付けようとしており、そして、一方で原発再稼動をしゃにむに進めている。
※1 高知新聞 参照 http://www.kochinews.co.jp/article/6773/

参考:東京電力福島第一原子力発電所事故(地震発生直後から事故発生1ヶ月後までの
森永ヒ素ミルク中毒事件資料館の見解)
1.3.11原発震災 
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-kakujiko01.htm
2.粉ミルクの放射能汚染問題 http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-osen-milk.htm
3.東海村JCO臨界事故-レベル4 http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-jco-jiko.htm

【長野県北部で震度六弱、断層帯動く】
23日 0時20分 コメント№20再掲】
22日、22時08分、長野県北部で震度6弱の激しい揺れが観測された。深夜にもかかわらず鉄塔倒壊などの被害が報告されはじめている。余震への警戒と、迅速な救援が必要で有ることは言うまでもない。
この地震では、糸魚川-静岡構造線(巨大断層帯)が関与している可能性が指摘されている。
(23日になり「神城断層」の挙動が特定された)
既に以下の当ブログ記事でも指摘したが、先般噴火した御嶽山は中央構造線と糸魚川-静岡構造線との交点付近であり、個人的に非常に気になっていたところだ。
御嶽山噴火の折に、フォッサマグナ、糸魚川-静岡構造線に警鐘を鳴らす地震学者は絶無だった。
http://morinaga-hiso.blog.jp/archives/1010103293.html
列島の地殻変動の活発化は以前から指摘されている事であるのだが...。

【地震被害を極大化し、救援活動まで妨害する原発と使用済み核燃料は速やかに撤去を】
今回の問題でとりわけ気になったのは、新潟県の東京電力・柏崎刈羽原発の2.3.4.6号機の使用済み核燃料プールだ。この核燃料プールは22日深夜、一時水位異常を示し、警報が鳴った 。
中越沖地震の際はこの冷却プールの水が地震動で外部にあふれ出ている。使用済み核燃料が莫大な放射性物質を抱えており、その冷却水を喪失すると、列島全体に壊滅的影響をもたらす。このことは2011年3月18日時点で、既に以下で触れている。だが、あの福島の悲劇から何も学ばず、未だに対策など全く採っていないようだ。これもまた、安部政権の実態だ。以下ご参照

【森永ヒ素ミルク中毒事件資料館 2011.3.18コメント】
東京電力 福島第一原発事故~巨大地震に併発する原子力災害に関して-原発震災という視点-
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-kakujiko01.htm
3月18日時点での資料館のコメント 「すべての英知を救援と復興へ」
…前略…
 使用済み核燃料に関しても、それがいかに脆弱なシステムに依存するかは、すでに経験済みである。
 最近でも、前述の柏崎刈羽原発(BWR)では、2007年7月に発生した「新潟県中越沖地震」で、使用済み核燃料保管プールから放射性物質を含む水が地震動によってあふれ、建物外へ漏洩した。同プールからの水漏れ事故は同原発の全号機で発生したところの重大事故である。また同事故では、点検中の原子炉建屋でも亀裂による放射能漏れ事故が発生している。点検中で停止中でも巨大地震の場合は危機的状況になりうるのである。同プールは簡単に冷却水がなくなりうる施設である。
 どうも、一部の向きは、これら事故のこともすっかりお忘れになっていたようだ。負の歴史を風化させ教訓を真剣に学ばないことに関して、わが国は天才的である、というと少し言いすぎだろうか?
…(後略)…

原発は停止していても格納容器上方に位置するプールで莫大な量の使用済み核燃料が冷却され続けている。地震災害を強大化し、おまけに復旧支援活動を妨げる大事故に繋がりかねない厄介な存在だ。原発の再稼働中止はもとより、全原発から使用済み核燃料を速やかに撤去する事も必要だろう。
日本の多くの原発が「断層は動くことはない」などと強弁しつつ、活断層の真上や周辺に無警戒に建っている。早急かつ真剣な対策が必要だ。株高で投資ギャンブラーの人気取りに走る安部政権は、地震リスクなど全くどこ吹く風と言わんばかりに、原発再稼動をごり押ししている。

【以下、安部政権関連記事】


















御嶽山が噴火し、登山客に多くの犠牲者が出ている。犠牲者の一刻も早い救出を望む。
中日新聞 http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2014092802000052.html
動画 http://youtu.be/pr5btAJqNPQ KYODO NEWS 【共同通信社】

【“予知” という「思考停止」が生み出す犠牲
同山は、長野県木曽郡木曽町と岐阜県下呂市と高山市にかけて広がる。5千年前の噴火を最後に、一見静かになっていたとおもわれていたが、1979年に突然噴火し、地震考古学を含め歴史をひもとくことを真面目にしてこなかった科学者を驚かせた。1991年、2006-2007年にも噴火がみられ(山頂直下の地震活動が活発化した後に噴火するパターン)活動を活発化させていた。ちなみに1979年の噴火は、それまで死火山、休火山、活火山と分類されていた日本の火山学を修正するきっかけとなった。
また同山は、中央構造線がフォッサマグナと西側から合流する部分の手前(外側)に位置する。中央構中央構造線の上空付近から御嶽山を見る 2013年3月撮影造線は西は熊本から吉野川、紀之川、櫛田川、豊川、天竜川と続き、諏訪湖付近で、糸魚川-静岡構造線と交差し、フォッサマグナ地域で地下に潜って関東地域へ向かい関東平野の真ん中を貫いている。
太古、日本列島は、ユーラシア大陸の一部であり、そこからの離脱過程で大断裂を引き起こした。その痕跡が中央構造線という日本最大の断層帯である。一部は活発に動いている。(ちなみに四国の伊方原発は中央構造線のすぐ横に建設された自爆タイプの原発=中四国・九州地方を壊滅させる能力を持つ。“電力関係者には電気以外の理科の知識は無く” おまけに  “自浄能力もない” という証左だ)
元々、日本列島は大陸の東端にほぼ一直線のような形で存在していたが、地殻変動により大陸から徐々に離れ、日本海の面積を拡大するように折れ曲がり、今のような扇型の形になった。その折れ曲がった部分がフォッサマグナ。そのエリアに海の地質が堆積した。その地殻変動期(2千万年前からその後8百万年を経過した後あたりまで)では、フォッサマグナを境に日本を「西南日本」と「東北日本」に区分できる。今回、その「西南日本」のもっとも東の部分の活火山で噴火がおきたということだ。
桜島、阿蘇、富士、御嶽、浅間まで火山活動が活発になっている現況は、曲りなりにも「自然と共存してきた」と自負する日本人には今後どんな覚悟が必要かを教えているはずだ。それを強烈な形で突きつけたのが3.11。しかしあれ以降に起こっていることは、その教訓を忘れ、その覚悟からどんどんかけ離れていく姿だ。

【地震・噴火予知は不可能】
阪神淡路大震災以降、地震や火山噴火の予知のあまりな不確実性(実際には無理、実績ゼロ)が、逆に、備えに対する油断を生み出したのではないか、という反省に基づいて、減災の思想に重点がおかれ始めていた。
良識ある第一線の火山学者や地震学者も、「予知は科学的に不可能」と明言していた。
ところが3.11以降、再び、「奮闘する地震学者」などのクローズアップを通して、「予知をがんばれ」といった風潮が再登場してきている。
地震予知連絡会や火山噴火予知連絡会なども、まだ存在しているが、名前だけで、一度も予知などに成功したことはない。阪神淡路大震災以降の成果としては二種類の地震波のうちP波の初期微動を捉えて、緊急地震速報を伝えたり、新幹線に急ブレーキをかけさせる技術くらいなものである。だが、これは予知とは言わない。誰でも知っている「ガタガタ→グラグラ」を技術化したもの。あくまで地震が発生したあとの事後対処にすぎない。にもかかわらず「地震予知」なる名称を使い続けることで、大きな誤解を国民に与え続けている。
9月初旬ころから、気象庁は御嶽山に関して情報を出していたようだ。だが、「予知する」という機関が、得られたデータを、予知ができない認識水準を前提にして無理やりランク付けし、警戒レベルを五段階中最低の「レベル1」(平常)にしていた。(噴火の後になって「予知は困難」と気象庁自身がコメント。予知連の会長も「100%の予知考えないで」と言い出した)
子供でも変に思う矛盾したものだ。こういうのを普通「お茶を濁す」というが、科学者が大真面目にやり始めるとおかしな事になる。
予知などできないのに、それを敢えて隠して「予知」できるかのように装う科学者が「警戒レベルを設定」するので、一般人に向けては「まだまだ安全 、大丈夫」という誤ったメッセージを発信することになっている。登山客がわんさと登っていたのも、そういう逆転現象のおかげだ。

【なぜ予知できないのに、予知と言う?】
自然現象を何でもかんでも定量化して「預言」が可能になるという、エセ科学の動力は一体どこにあるのか…。科学界の研究費獲得という動機だけだろうか?
それで思い出すのは、鹿児島県の川内原発の安全審査で再稼働を認めた理由にある「噴火は予知できる」という記述である。
「…同論文を根拠に、モニタリングを行うことで巨大噴火を予知でき、さらに予知してから噴火までに核燃料を搬出する十分な時間があると判断している。…」
http://toyokeizai.net/articles/-/47016
お馬鹿さんとしか言いようが無い。
これには、さすがの「火山噴火予知連絡会」の会長も、「同論文(外国論文)」は当てはまらない、と疑念を表明しているが、もはや暴走体質あらわな現政権は聞く気など無い様だ。
電力と国が、すでに世間に定着してしまった「予知」の預言的印象を徹底的に使い倒して世論工作している。科学者や、その知見をゆがめるほどに「経済的社会的理由」をごり押ししてきた人びとは、責任を感じる必要があるだろう。

【神の怒りが爆発する前に核燃料をせっせと運び出す…?】
いずれにしても、原発推進のためには、火山噴火は「予知」できることにして、「その合間をぬって核燃料をセッセと運び出せる」という事にしておかないと都合が悪いらしい。(さあ、誰が運び出すというのだろうか)
想像するだけでも、戯画的な構図であり、実際には、何も手を打たないまま、偶然の災害に見舞われ、当然なりゆきまかせで、運が悪ければ原発が破裂するだけのことである。
しかし、推進の言い訳には、「神の怒りも前もって予知が可能だ」という事にするしかないようだ。原発が、それだけ一触即発の危険な施設であり、事故を発生させたときの被害量が、他のすべてのものとも比較しようが無いほど大きいという事実を、自分から「裏声」で認めているようなものである。
いずれにしても、政府によれば、自然界の現象はすべて「予知」できるほど、日本の科学は神様水準となっているらしい。
3.11の地震も津波も予知できなかったのに、である。その悲劇を体験したあとに、である。STAP細胞騒動で世界の失笑をかっているにもかかわらず、である。
金儲けや一部の「産官学ムラ」の都合のためなら、一転なんでも「予知できる」といい続ける。意図的に演出された「過信」である。

【予知/予見を詭弁で使うことに躊躇いの無い一部科学者】
一方で、「予知できない」といえば、それが正直で正しい立場なのか? 
どっこい、それほど世の中は単純ではない。「予知/予見は不可能」という一見、“科学の限界に謙虚な視点” を装いながら、それに巧妙に作為を加えて、同じく犯罪企業の言い分を代弁しながら、自己を売り込む御用学者もいる。
実際、産業公害では責任逃れを図る企業が、自らが引き起こした事件事故を「予見不可能」だったと声高に主張する。そして、時に、見識のない裁判官が見事にだまされて一時的に無罪となる。森永ヒ素ミルク中毒事件でも森永は一審で無罪となり、百人以上の乳児が殺されても、「加害者は誰でしょう?どこにもいません」などという恐ろしく不正な状態が14年以上にわたって続いた。
最近では3.11以降「放射線は怖い」といいながら登場してきた武田邦彦氏が、一方で水俣病に関して、「チッソは有機水銀の有毒性を予見できなかったから無罪だ」という詭弁をサイトで拡散している。
歴史認識の無い人に対してのみ、刷り込み効果を発揮するような低俗な屁理屈だ。
低俗であるが、大変巧妙に偽装されている。
実際、この加害(原因)企業が主張する「予見可能性論争」に問題を矮小化し、加害者の免罪を進める手法が、今では、殆どの産業事故でまかり通っている。「予見/予知できるかどうかが責任の所在となる」という、驚くべき後退した思考方法だ。企業が社会に果たすべき結果責任を、科学者が認知論を詭弁的に振り回して煙幕を張り、曖昧化しつつ免罪を試みる。一般人や人文系専門家は、認知論が屁理屈の水準で悪用されていても、理系の論争には関与する資格がないかのように思い込まされ傍観者のまま時間が経過する。かつての産業公害では許されなかった類の詭弁が今また復活している。半世紀ほど逆戻りして1950年代の認識水準に下っている。

【科学は予知/予見不可能と言いつつ犯罪企業を免罪する詭弁の正体】
有機水銀中毒が発生するまでに至った水俣湾の汚染など、見たらわかるほどの汚染状態で、発症が集団的に明確化し、科学的に証明する動機が科学者のなかに生まれる、その何年も前から、被害が起こっている。
先の武田氏の詭弁は簡単なトリックに基づいている。
わかりやすい事例を提示する。最近の先端化学工場の事例でいうと、一部では化学組成の不明なほどの怪しい最終廃棄物が産出される。それを万が一海に放出したらどうなるか、と仮定する。そもそも化学組成からして不明な物質が、どんなメカニズムでどんな影響をどこの住民に生み出すか、当然、事前にはわからない。海に流せば複雑な生態系のなかで生体濃縮が発生し毒物が蓄積されていくことは明白であるが、自然界のなかでどんな因果関係が生まれるか、あらかじめ予測することは科学的には困難だ。いや実際に流してみなければその物質が環境に与える挙動は正確にはわからないだろう。
であれば、「流す」のか? いや普通は流さない。だから実際、よりまともな企業は海に流さず、コストをかけて地上で特殊処理している。
だが、武田邦彦氏の言い分だと、「この怪しい廃棄物を海に排出した企業は、“科学的な被害予測ができなかった”  という単純な理由で無罪放免」となる。
こんな屁理屈をもっともらしく展開する御用学者が世間にウヨウヨいる。

【因縁果律の掟】
水俣病に関しては、むちゃくちゃになった生態系で有機水銀中毒が発生した原因を懸命に究明していた良識ある医学者に対して、チッソは、怪しげな仮説を意図的に乱立させて目くらましを食らわせ、森永ヒ素ミルク中毒事件の5人委員会や西沢委員会の大成功に見習って御用学者を動員して徹底的に邪魔し続けた。そのチッソを「企業さんが事前に被害予測ができるわけがない」のヒトコトで免罪する科(化)学者がメディアに大量出演して、言いたい放題の連続である。こんな無節操が跋扈している現状こそ、深刻な精神後退だ。

科学者が、わかりもしない現象を「予知できる」かの様に振舞ったり、逆に、犯罪企業の責任逃れに加担して「科学は予知できない」を、社会的責任論に無理矢理混ぜ込んで社会倫理を毀損したり...。詭弁が大流行りの昨今だ。科学者がその専門知識を「自己の処世術」で使い始めれば、物事を主客転倒させて見せることなどたやすいと言う事を一般人は警戒しておかなくてはならない時代だ。科学リテラシーを磨いて、素人が彼らの論文を精査するぐらいの覚悟をもたないと、たやすくだまされ、人間の尊厳も毀損され、命さえ奪われ続ける。

この人間社会の創り上げた科学の「ご都合主義的処世術」に、神は、御嶽山の噴火で警鐘を鳴らしたのかもしれない。生きている人びとが、自分のことにしか関心をもたない利己主義を「自由」と混同し、隣人の不幸や哀しみ、不正な行為に怠惰な姿勢を取り続ければ、正邪は逆転する。真の悪は、共犯者の助けを借りて大手を振り続け、世の隅々にまで蔓延跋扈する。それは次の不条理を準備する。そして、犠牲になった人びとの魂は永久に浮かばれず、その怨念は宙を漂い、生きている人びとに別の災厄としてふりかかるだけである。それが因果律の掟というものだ。

賄賂(ワイロ)漬けになっている国策行政
http://www.asahi.com/articles/ASG7N029QG7MUUPI00B.html?ref=nmail

 元関西電力副社長・内藤千百里氏(91)、へのインタビューの様子が動画で配信されている。

「原発が安全と思ったことがない」。この肉声には大きな説得力がある。

 金の力で時代に逆行した政治・政策が堂々と実行されている日本社会の現実。
 1955年、乳児への大量虐殺が、一転、おとがめなしとされた時代に先祖帰りをしようとしているかのような風潮。それを裏付ける証拠が暴露された。


森永ヒ素ミルク中毒事件でも継続中
 すなわち、事件後、事件後20年間、そして一時的決着後の30年間から今に至るまで、同じ問題が繰り返されている。

 「33年前に始まった組織乗っ取りの謀略工作」の項目の内容 
 http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-higaisya-dantai-no-huhai01.htm

 なんともえげつない話だ。

 企業側が「被害者団体」に対して、「同じ被害者が提起している裁判を加害企業側が敗訴に持ち込むための」協力を要請する。こんな破廉恥な働きかけがあったことは、すでに実証されている。

 だが、関係者からは今もってなんら反省の弁は聞こえてこない。
これが、「加害企業に感謝する被害者」をなんとしてでも演出させたい者達の、そして加害企業の刑事責任の歴史的継承を白紙に戻したいと考えている者達の、そのために「切り取られた美談のピースをあらかじめ描いた都合のよいストーリーにはめ込んで見せる」という手法で、長期間にわたって巧妙に歴史を偽造し続けようと決めている「買われた」者達の、正体だ。


STAP細胞、捏造の手法と酷似
 以下では、STAP細胞騒動の真相に迫ったNHKの秀逸な番組内容がよくまとめられている。 

 http://critic20.exblog.jp/22417303/

 http://critic20.exblog.jp/22410524/

 http://critic20.exblog.jp/22244113/

 NHKスペシャル 調査報告 STAP細胞 不正の深層 - 14.07.27
 再放送も放映済みにつき…↓
 http://www.miomio.tv/watch/cc84991/

 すでに日経サイエンスが6月11発行の号外でも書かれているが 
 http://www.nikkei-science.com/wp-content/uploads/2014/06/20140611STAP.pdf

 8番染色体のトリソミーの発見(発覚)は、正体がES細胞である可能性を非常に濃厚にした。
 アクシロンGFP組み込みマウスの確認、若山研究室の紛失扱いのES細胞が小保方氏の研究室から発見されたこと、TCR再構成が確認されていない点に笹井氏が回答を拒んでいる点など、ケアレスミスとは程遠い、科学の精神と無縁な創作が行われている決定的証拠が、中間まとめの段階で、すでに暴露された。

 それへの反論をしない小保方氏と、彼女と表向き対立しながらも組織責任の回避に邁進する理研は、双方とも共犯の姿を表している。理研による保管試料解析のサボタージュ等の真相究明の引き延ばし作戦は、結果的に両者の不正な姿を明確にしている。

「捏造」と「共犯」を「愛国主義」イデオロギーで免罪する手法が大はやりの日本。
 不正の隠蔽が、さらなる不正な作為で続けられている。
 日本は、歴史認識を軽視し、歴史への振り返りの蓄積から生まれる組織病理を正す機能を継続的に喪失し続けてきた。その結果、原発事故で日本の技術的信頼性を自ら傷つけ、さらに文化活動のゴーストライターの偽装騒動に続き、今度は純粋科学界への信頼を自らひっくり返し続けている。

 そして、またまた、最近多発する加工食品偽装(もっともごまかしやすく、人体に直接吸収されてしまう工業製品の危険性隠蔽)へと回帰(先祖帰り)しつつある。

 中国から食材を輸入して、問題が発覚すると、中国食品加工工場のずさんな姿が叩かれる。それは公開されてしかるべきだろう。だが、最終責任は調達側にある。にもかかわらず、もっぱら隣国の実態を叩いて、強烈な印象を醸成し、相対的に国内資本の責任を過小評価させることで、プラマイゼロの着地点に誘導するようなキャンペーンが横行してはいないか?何がいったい問題の本質なのか、市民・消費者はしっかり考える必要があるだろう。

 消費者にひどいものを届けても、一方であやまりつつも、一方で調達先を叩いて、販売メーカーが被害者であるかのように強調して、世論を煙に巻き、批判圧力をかわすやり口。

 森永乳業が1955年に開発した手法に原点を見出すことができる。
 いわく「我々は出入りの薬品業者との“信頼性の原則”を守ったばっかりに、出入りの薬品業者にだまされた。われわれこそ、被害者にほかならない」という詭弁論理で、検察の矛先をかわし、一時的に“不正なる無罪”を勝ち取ったやり口だ。そのよこしまな精神構造は、計画的に歴史偽造を継続しているところからみて、未だに健在なようだ。

 現状の日本の有様は、この数十年間、自分と社会との関係についての問いかけと思考を、全般的に停止し続けてきた我々国民の側にもあるといえる。いずれにしても、社会としても恥ずかしい状況に行き着いていることだけは確かだ。

“愛国教育の国” と “どっこいどっこい”
 そして、その恥ずかしい状況を作り出しているものたちは、いずれも「愛国心」「愛国の党」「国益」等を常套句にしてきた自称「革新」までをも含む者たちであることも、おかしいほどの皮肉である。

 つくづく思う。日本社会はいま、病的なほどに腐っていて、不正と、ずぶずぶの甘えの構造と、野心と、権力志向と、利権構造が蔓延し、真面目に誠実に生きようとする人々が冷や飯を食い続け、そういう人々を圧迫することに自称「革新勢力」までが加担し、ごた混ぜと、もたれあいが、狂った共依存関係を構成していると…。




泣き落としと開き直り~下世話なショーと化した会見
質問を制限・封殺し、労使問題にすり替える弁護士

2014年4月9日16時
小保方晴子氏の記者会見を見た。無内容、いや、もう惨憺たる状態になっている。弁護士の「解説」も聞くだけ時間の無駄。理研を対抗者として問題の矮小化をはかっているだけで、まったく新味がない。弁護士も解雇撤回闘争に職域を限定してやるならまだしも、軌道を外れ、研究者倫理の矮小化へと依頼人と世論をミスリードしている。
その結果、「小保方氏は、もしかしたら、何かおもしろい現象を目にしたのかもしれない。それが何かよくわからないけど…」という陳腐で愚かしい現状が一層覆い隠せなくなった。
両者に共通しているのは「倫理」の喪失であり、その倫理は、「科学的発見を知見として裏付け蓄積する正しい手法、反証可能性を保証する研究者が自分に課する厳しく公明正大な態度」である。ところが会見中、彼女は、「私は(だけが)トレース(追跡)できる」「第三者がトレースできることに関しては不注意でした」「私の作品」「現象論を記述しただけ」などと、科学とは無縁の発想を口にしている。
「公開実験」は可能か?については「どうでしょうか?研究室はいつも公開されている」といいつつ、一転、「私が幹細胞をつくるのをみたいという人がいるなら出かけていく。」…
もう、これは手品の出前の話になっている。

毎日新聞記者が極めて静かに質問を続けようとすると、弁護士が制止し、やめさせていく。なんだこの弁護士は? 「ひとり2問程度でお願いしたい」、「以降はひとり1問」と弁護士。これは公明正大な会見ではない。
一見、あたかも「呆然自失化」したかのような顔を会見で晒し続け、“この可愛らしい女の子を、きびしく追及するのか”(これ自体が女性蔑視の発想)とメディアに言外で脅しをかけながら、科学的検証についての核心部分の議論を巧妙かつ的確に避け(後半、世俗的野心が漏れ出はじめたが)、一方で彼女の顔を大写しにして世間の同情を利用しながら、「倫理」を無意味化する努力をしている。不正に手を染めた人間を、十分に中身も検証させず、免罪しようとする新しい尾篭なやり方が開発された。

「STAP現象は何度も(200回以上も)確認されている真実です」???
3年で200回???
小保方氏は「STAP現象は何度も、200回以上も確認されている真実です」 と言い切った。
最近、私が購入した科学誌「Newton」では「リンパ球という細胞に酸性溶液の刺激をあたえてからSTAP細胞に変化するまでの期間は7日間ほどである」と記述している。顕微鏡で細胞を生きたまま観察し続けるライブイメーstap Newton02ジング法で追跡すると解説されている。(この記事には、理研の笹井芳樹氏と山梨大学の若山照彦氏が協力している)
ほう! そうすると200回×7日で、1400日間「STAP細胞」が生産され続けていたということか? すると1400日÷300日(/年・フル稼働)で換算してみると、5年近く前からSTAP細胞が人類の歴史に登場し、連日連夜、失敗することなく、生産されつづけていた事になるのか? それにもかかわらず今回の論文では、写真も適当なものが見当たらす、論文も他人のパクリで体裁をつけ、文章で説明することが至難の業だったということか? いや、でも研究は、確か3年ではなかったのか。
それとも、こういう掛け算と割り算だけでもわかる初歩的つっこみは、高尚なる記者会見の場では許されないのか? でも、新興宗教の雑誌とオボしきライターも質問していたようだが…。
科学誌や大々的に報道したメディアは、その名誉にかけて、研究者の「モラル」を再認識、再検証すべきだろう。「Newton」誌にしても、高い代金を読者から徴収して、「STAP細胞はなにがすごいのか?」と表1で見出しを躍らせた。原子力を夢の技術だと、かつては、もてはやし続けた同誌だが、今回も、STAP細胞を「足を切断しても再生するイモリのようにヒトの組織を再生させるような研究につながるポテンシャル」と書き立てている。もっとも、この細胞…、もともと信憑性が少なすぎるシロモノであることも、半ば認めているが…。
また小保方氏は、「ひとの役にたちたい」と美しい言葉を口にするが、この細胞、もし仮に現実に登場すればクローン技術としての倫理問題にも直結する。stap Newton01

詭弁論法のストーリー
「多くの人の役にたちたい」…けれど…「つくり方のコツは教えない」???
今回の「ショー」の特徴は、「多くの人々に役にたちたい」」 「研究の内容以外のところに注目があつまってしまい、研究が遅れていることに…」と涙ながらに「訴える」小保方氏のパフォーマンスだ。もうこうなっては、科学好きなアマチュアとしても唾棄したくなる下手な役者のひとり芝居だ。一部メディアがそれに乗って躍り、視聴率を稼ぎ商売のネタにしている。
「人々の役に立ちたい」…結構な心である。だいたいの人間が持っている気持ちである。
ところが、その「善意の人間」が怪しいやり方で捏造した論文の不備は「謝罪すれば許されるべきものであり」…そして、「悪気のない善意こそは、行為者の行為が真実であることを絶対化する」という主客転倒の確信犯的ロジック…
これは「定言命の誤謬」なる詭弁論法を援用したソフィストの論理であり、詭弁政治家の姿である。
  ■類似例 参考資料: 民主主義を称えながら民主主義を抹殺する民主集中制の邪悪な詭弁
   所収: 森永ヒ素ミルク中毒事件資料館WEBサイト→ 民主集中制という麻薬的党派性向」コーナー
14時ころ、テレビ東京が、「科学に対する考え方がかわったでしょうか?」と質問。小保方「マイナス100から科学にむきあっていくチャンスがあれば…」「私にできる社会貢献があれば探していきたい」??? 意味不明。
でも論文だけは撤回しない。 
その後あろうことか、「他の研究者が作成できないのはコツを知らないから。私だけがSTAP細胞の作成のコツを知っているが、次の論文の手前(ここで笑い)言わない」と放言…これがさっきまで「世の中のために役にたちたい」と泣きながら言ってのけた同じ人間のセリフだ。
ここまでくると、もう、「容姿と涙を徹底駆使して…とことん悪じゃのう」と笑うしかない。

「撤回すれば間違いになるから、結論が正しい以上、撤回しない」???
TBSが「ご自身で200回も再現に成功しているのなら、一回撤回して、再度証明すればいいのでは」との質問に、「撤回すれば間違いになるから結論が正しい以上、撤回しない」…「撤回すればなかったことになる」という発言は、彼女の自己矛盾を端的に示している。それ以前に、循環論法で破綻しているが。

「ノートはもっとある」。で、2冊が4~5冊になっただけ。しかし、他人にはトレースできない???
小保方氏は「3年間で2冊のノート」に関しては、もっとノートは存在すると述べた。つまり「理研に提出したノートが2冊であるに過ぎない」と述べたのが、これを受けて朝日新聞から発せられた「ノートは何冊あるのか?」の質問に対し、「3年間で2冊」が「少なくとも(3年間で)4~5冊」になっただけであった。
腰が折れそうになった。
読売テレビの「悪意は故意とも解釈されるとの理研の見解」に対し「私も悪意の意味はわからなかったので、悪意とは…」 ここで弁護士が割り込み「過失を除く…」  読売「いや小保方さんご本人は“悪意”をどう解釈しているのか?」と食い下がると、ここで弁護士、「そこは法律的な解釈になってくるから」と質問をぶった切った。
ここで、NHK中継終わり。

「STAP細胞の再現に成功した別の研究者がいる」が迷惑がかかるから言えない???
このあと小保方氏は「STAP細胞の再現に成功した別のインディペンデント(独立研究者)がいる」とのべ、「それは誰?」の質問を、弁護士がぶった切り。本人は公の場だから言えない…」
なぜいえないのか? 「真実」を口にする科学者が一転、情報公開を拒否し、隠蔽に走る滑稽。

争点をねじまげる弁護士
弁護士「一件、科学認定の論争のように見えますが、理研の要件の論争だ、これほどの不利益処分を化すのであれば (なんだか就業規則の労働問題?)…」と弁護士。

私は複数の研究所を亘り歩いてきたから自己流のやり方、だからうまく書けなかった???
おかしい、どこにも勤まらなかっただけではないか?わたり歩いていた研究所で、一度も倫理を学ばなかったのか?

「STAP細胞があれば、 “小保方さんすごかったね”  となりますよね」 というTVコメンテーター???
ならない。だがテレビがそういう方向に国民を扇動・誘導することはできる。だが、最終的に日本人が笑われ、損をするだけだ。発想自体がおかしい。以下の雪男のたとえ話が理解できないらしい。

もう、むちゃくちゃ、「目くそ、鼻くそ」の世界だ。
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2014年4月9日正午
森永ヒ素ミルク中毒事件では、多くの御用学者が被害者圧殺に14年以上も加担しながら、なんら、処罰を受けることはなかった。そればかりか、御用学者は、しばしば、弟子とそれに利益誘導される諸党派勢力の加担で、しばしば息を吹き返す。その「復権」に利用されるのが「あの人は日頃は良い人だった」「岩波文庫を愛する哲学者だった」というくだらないプロパガンダ。「わが党は憲法9条を守る平和の党だ、だからわが党の行為には間違いはない」も同レベル。このくだらない「定言命の誤謬を利用した誘導」に、多くの人がだまされる。
だが、この嘘を見抜く市民も今では多い。

政治の挑発で捻じ曲げられる学術
http://morinaga-hiso.blog.jp/archives/1001144937.html
森永ヒ素ミルク中毒事件解説ポスター
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-poster-00.pdf

小保方晴子氏がメディアの習性をよく把握した上で、極めて巧みに戦術的にメディアに対応している。あと10分で大阪で会見が始まる。情緒に流される世論動向を織り込みながら、「何度も確認された真実です」という主語も不明なコメントを発しながら、いったん「入院」してから会見に臨むという手法を使いながら、「彼女のお心」などと皇室まがいの扱いをするワイドショーに登場する弁護士やコメンテーターと団子になりながら、学術の真髄を劣化させ続けている。
「小保方晴子の心身の状態に配慮して頂ける方」という「記者への参加資格」を提示してオフィシャルな会見を設定するなど、笑止もいいところだ。これで「小保方氏反撃開始」という見出しをつけるメディアもどうか?
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昨夜までに、小保方晴子氏の事件に関して、ブログ「世に倦む日日」 が多くの示唆に富む論考を公開している。
「いじめ問題」に化けた小保方事件 - 西崎文子の愚論と山中伸弥の正論 
小保方晴子事件とソクラテス - ソフィストによる不正の相対化
このブログに寄せられているコメントを一部紹介する。


Commented by 柿右衛門
>小保方氏は「論文のミスで騒がれたが、STAPそのものは間違いなくある」と話しているという。

「私は雪男を見た」と言う人がいるとする。その写真を撮ったという。実は、その雪男は人間がキグルミを着て歩いた偽装だとする。画像を分析したら、おかしな箇所がいっぱいある不自然なものだとしても、見た者は「雪男がいる」と主張する。
だれかが、キグルミを着せた人間、キグルミを着て中に入っていた人間をつかまえて白日の下に晒さなければ、永遠に押し問答が続く。
「雪男を見た」と主張して戦うつもりの人間は、公の場に雪男を連れてくることができるのであろうか。
過呼吸になったりする修羅場は見たくないものである。それでなくても「イジメ」などというおかしな詭弁がまかり通っているのであるから。
Commented by Germany2015
企業で一研究者として日々実験を行っています。
今回の問題、筆者に深く共感します。
同時に、小保方が行ったこと、弁解については本当に許しがたい。
研究者としての矜持が感じられない。また、日本の科学界、特に再生医療に携わる研究者、また、研究者を夢見る子供たち、学生たちにどれほどダメージを与えたのか、小保方は考えたことがあるのでしょうか。
Commented by 長坂 at 2014-04-07 23:00 x

うちのボンクラ娘が高1の時の生物の先生はフランス人で、ノートの取り方に非常に厳しく、ボールペンのみ(試験も)、訂正は定規で線を引き、毎回必ず日付を書くなど細かいルールが沢山ありました。先日、山中教授が国会で不正防止のため、実験ノートの書き方として同様の事を話されていてビックリ!中高生相手ならいざ知らず、IPSだSTAPだと神をも恐れぬ領域。そういう実験に従事するかもしれない学生達に、不正はいけませんから始めなきゃいけないのか!コピペや写真の使い回しや違うマウスがなぜ非難されないのか?今日のblogも見事本当に素晴らしいです。倫社の時間に寝ていた自分が恥ずかしい。
Commented by ijkl at 2014-04-07 23:09 x

小保方さんも悪いが早稲田の常田聡研究室のその他の博士論文も酷い。こんな状態では、コピペをしない、自分で文章を書く、他者の文章の引用と自分の主張を区別して書く、そして他者の成果と自分の成果をきちんと区別するという、研究者としての基礎的な素養が涵養されるとは思えません。

http://stapcells.blogspot.jp/2014/03/blog-post_15.html

どんどん検証して欲しいですね。そしてこのようなことをした者たちは、それ相応に裁かれる。例えば、常田聡研究室を閉鎖するなど。そのようなこと以外に、研究倫理を再構築する(「正と善に碇づけて物事を判断する」)ことができないのではないでしょうか。
Commented by NY金魚 at 2014-04-08 06:17 x

命を賭して倫理を説いたソクラテスの話、感銘を受けました。『善く生きること』の追求の真の目的は魂(プシュケー)を善く完成することである。
そして「知」が魂を離れて虚空に飛んでしまった、わが故郷のソフィストたちに絶望します。
日本の学界のトップの、あまりに陰惨な構造に辟易して、コメントを控えておりました。

ことしのソチ五輪で米NBC TVは、もう20年も前の1994年のリレハンメル五輪直前、フィギュア・スケートのナンシー・ケリガン襲撃事件をくり返し放映していました。当時ライバルだったトーニャ・ハーディングが前夫を雇ってナンシーの膝を殴打したという事件ですが、華やかな五輪の放送で、実に気の滅入る話がくり返されました。若い女子選手による陰謀など許してはならないという、五輪やスポーツの自浄作用を意図したのかもしれません。倫理を無視した異様な犯罪は多分アメリカの方が多いでしょうが、社会が不正を憎み、特に学界などはそれを自浄しようという意志も持っていると思います。
大切なのは、学界がこの状況をこころから反省し、これからの若い士を深く啓蒙し、『ソクラテスの弁明』を行なえる『場』を創りはじめることだと思います。
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「世に倦む日日」ブログ: ツイッター より 一部抜粋
それともう一つ。弁護士が登場して、小保方擁護派に勢いがついた状況があり、その中味として、人権主義からの同情論が説得力を持ったことがある。早く言えば、左翼が小保方擁護論に傾いている。①人権主義の動機と、②組織権力(理研・文科省)への反発。この二つをベースに左翼が小保方擁護へ。

このままだと、本当に「STAP細胞」は「もんじゅ」になってしまう。高速増殖炉と核燃料サイクルと同じ化け物になってしまう。「もんじゅ」、半世紀かけて1兆810億円の税金を注ぎ込んだ。「STAP細胞」を「もんじゅ」のような宝の山にして蜜を吸いたいシロアリ連中が多くいるのだ。

こういう「悪意の有無」とか「解雇の妥当性」が争点になる訴訟では、勝敗を分ける決め手となるポイントがある。それはここでは書かないが、法曹関係者ならよく知っていること。小保方側は、全力で世論の同情と支持を集める。理研叩きと尻尾切り批判の世論を沸騰させて、係争を有利に運ぼうとする。

小保方晴子に天才的能力があったら、論文をコピペで作る必要はないんだよ。捏造論文を書くのがガリレオやアインシュタインと同じだと言うのなら、不正論文で解雇された研究者は全員が天才だ。気味悪い擁護論が跋扈している。とんでもないことになった。http://t.co/EMIARrrZjc 

天才はコピペなんかしませんよ。天才というのは常にオリジナルで挑戦するわけで、人の猿まねは絶対にしない。そして、オリジナルな新しい発見や理論を、誰もが認める方法で証明しようとする。つまり、天才研究者から一番遠いところにあるのが、捏造・改竄・剽窃の不正行為だ。お分かりかな。


目的のためには手段を問わない作風の蔓延か? 
それとも、売名・金権の取得を目的にプロパガンダ手法の採用に走る「学者」と縁を切れない日本社会の現状か?
科学/技術的「成果」があらゆるメディアを通じて社会の隅々にまで啓蒙・告知される今日では、科学的と名がつくものは、ビジネス活性化の起爆剤のように演出され、時に国威発揚のプロパガンダに利用され、金と権力をつかもうとして科学者自身がデマゴーグと化すことがしばしばある。
さらに、社会の隅々にまで未だはびこる「御用学者」が、更なる「学者の誤用」を煽り、或いは事実のねつ造行為を免罪する論陣を張り、バラエティ番組がそれを大衆の頭に刷り込む。学問が退化していく。退化した政治が科学/技術を歪めていく。
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 興味深いのは、以下の理研の会見を受けて彼女が弁護士を通じてコメントとして出した内容だ。「加工は理研が認めている範囲内。あたかも細胞がなかったかのように思われるのが承服できない。不服申し立てをする…」

科学者という人種が世論動向をしっかり織り込みながら自分の責任逃れ、責任を自覚する真摯な作業からの逃亡を画策している。「反省」の一言もないコメントだ。佐村河内を思い出す。別の視点からみると、まるで政治家の視点から練られた様な内容だ。弁護士のフィルターを通しているにしても、あくまで科学者と称する彼女のコメントである。

このコメントは、しかし、おかしい。彼女の論文は、「こんな素敵なお星様が、もしかしたら宇宙の彼方にあるかもしれない」という論文ではない。目に見え、すぐに触れることができ、それが、簡便に「できる」ことを証明したとされる論文である。それは、科学の根本的定義の一つである「検証可能性」で担保されなければ意味がない。他人によって真実性が再現され得なければ、科学的知見とは言えないのだ。

 ところが、佐村河内に続き、完璧に梯子をはずされた一部メディアは、まるで自らをとりつくろうかのようにテレビ番組などで、“STAP細胞はどこかにあってほしい” と言わんばかりの「
STAP細胞待望論」ともいうべきコメントを芸能人の口を通じて言わしめている。したり顔で、アインシュタインの相対性理論と比較する評論家まで出てきた。世も末だ。

このようなメディアの陳腐化を彼女はよく見抜いている。だから、「あたかも無いかのような誤解…」という言い回しを敢えてするのだ。

そもそも「ある」ことを証明するための論文が嘘と不正にまみれていたのだ。ならば、それが正され、再度正しいやり方で検証されるまでは「無い」のだ。科学的知見として入手されていない。ただそれだけなのだ。
    発見できていないものは、あるかもしれないという予測として提案されるだけならまだしも、在ることを証明する論文がねつ造であれば、それは無いということになる。言うまでもなく、自然界には現状の科学水準では解明できない現象が無限に存在する。だが、それを人類の作り出した学問的作業である科学の知見と混同すれば単に「オカルト」になるだけだ。

 日本社会はオカルトと科学の違いを判別できない認識水準にくだろうとしているのか?


 さて、どうするのだ? ウソの大量流布に手を貸した人々と組織は…。
 先人や他人がやったことだと合理化はできない。先人が逃亡して罪だけ覆いかぶせようとも、それは、後世の人間が正さないといけないのだ。それを避ければ、先輩の罪が後世にまで拡大再生産されながら、更に深刻化して、変容さえして、根深い呪いとなって引き継がれるだけである。歴史とはそういうものだ。

───────────────以下、報道──────────────────────
小保方氏の捏造・改ざん認定 STAP細胞論文で理研

朝日新聞 今直也 2014411139

http://www.asahi.com/articles/ASG4132ZSG41ULBJ007.html


 「STAP(スタップ)細胞」の論文に疑問が指摘されている問題で、理化学研究所は1日、筆頭筆者の小保方(おぼかた)晴子ユニットリーダーに「研究不正行為があった」とする最終調査報告を公表した。研究の根幹をなす画像に「捏造(ねつぞう)」があったと認定した。共著者については不正はなかったとしたが、チェック機能が働かず「責任は重大」とした。

STAP細胞は、体の細胞を弱酸性の液体で刺激するだけで、どんな細胞にもなれる万能細胞に変化するとされた。

 論文は、理研発生・再生科学総合研究センター(CDB)の小保方氏や米ハーバード大のチャールズ・バカンティ教授らが1月末、英科学誌ネイチャーに発表した。しかし、論文の画像が不自然であるなどの問題を指摘され、理研は2月中旬、調査委員会(委員長=石井俊輔・理研上席研究員)を設置。小保方氏やCDBの笹井芳樹副センター長、丹羽仁史プロジェクトリーダー、山梨大の若山照彦教授から話を聴き、論文のもととなるデータ、実験ノート、メールなどを検証した。

 最終報告書では、3月14日の中間報告では判断を保留していた4項目について判断を示した。

 研究の根幹となる万能性を示す画像が、3年前に書かれた博士論文中の別の実験で得られたものと酷似した画像から使われたことは、データの信頼性を根本から壊すものであり、危険性を認識しながらなされたと言わざるを得ないことから捏造と認定した。

 笹井氏と若山氏については、捏造には関与していないが、置かれた立場からして研究不正を招いたことの責任は重大とした。

 遺伝子解析の画像の結果を切り張りして加工したことについては、「きれいに見せる図を作製したい」という目的をもって行われたとして「改ざん」とした。笹井、丹羽、若山の3氏は論文投稿前に改ざんされた画像を示されたことから、研究不正はなかったと判断した。

 文部科学省のガイドラインでは、存在しないデータをでっちあげる「捏造」、データを都合のよいように書き換える「改ざん」、他人の論文から文章などを無断で引き写す「盗用」の三つを研究の不正行為と定義している。

 一方、実験手法の記述の一部が海外の論文と酷似していたことや、実際の手順と異なる実験手法の記載については、実験は実施されており、意図的ではないなどとして、不正行為ではないとした。

 検証にあたっては、実験ノートの記述があまりにも不足しているなど、第三者が小保方氏の実験内容を正確に追跡し理解することが困難だったという。「研究者倫理とともに科学に対する誠実さ・謙虚さの欠如が存在する」と断じた。

 STAP細胞が存在するかについて石井委員長は「調査委員会のミッションを超える」とだけ述べ、判断を示さなかった。STAP細胞が実在するかを検証する再現実験を理研内部で進めている。
(今直也)
───────────────以上、報道──────────────────
 

 理化学研究所は41日会見を開き、小保方晴子研究ユニットリーダーの論文不正疑惑について、ねつ造にあたる不正があったことを認め、問題となったSTAP細胞論文を取り下げる勧告をだすことにした。また1年をかけて再現実験をする用意があることも発表している。

 だが、この理研の説明もおかしい。“酸性の溶液に浸したら簡単に生成できる画期的な細胞だ” と言われるものの基本的な再現作業が1年もかけないとできない、というのなら、素人目にみても、それは画期的ではないものでは?、或いはそれは論文を読んでもだれも作れない思い付き並みのものか?、つまり、或いは、そもそも根本的な錯誤では?と思えてくる。少なくとも、そのような疑問を、彼女は払拭せず、理研という組織内部のコードに抵触するか否か、といったインフォーマルな議論にすり替えている。理研の悠長な姿勢に関しても、これは、世論の反発と印象を薄めるための時間稼ぎか? そんなことを組織のメンツのために懸命に考えているのではないか? と疑う向きもでてくるだろう。捏造論文をスルーさせて特権を甘受しようとした組織的責任を、一人の研究者のみに責任転嫁している姿もみえる。

 だが、大組織に安住して踊った個人も責任は重い。
    ここまで、不正が露わになっても、素人目には「
STAP
細胞自体は作成可能かどうかはわからないが、とりあえず論文は加工された写真が使われていた。さて、細胞は、あるのかないのか」という印象のまま推移している状況もある。
 しかし、彼女の論文の書き方は、そんな、「写真をきれいにみせるためのもの」とか、別の論文に発表した写真と「似ている」とか、そんな微妙なものとはかけ離れているようだ。このことは、「世に倦む」ブログなどで、すでに指摘されているところである。

 今回の事態は、目的のためには手段を選ばない、という事例ではなく、目的も手段もどうでもいい。むしろ似非知識人や組織が、政治家や政権から「産業創生に協力するパフォーマンマンスをとれ」、といわんばかりに金と権力をちらつかされて煽られ、愛国主義的なムードから勢いづいて冷静さを失い、売名のためならなんでもやって、それをメディアが適当に追認し、国威発揚のためには手段を選ばずの風潮に便乗して社会にワイドショー並の話題を振りまく、いかがわしい国になりつつある現象を如実に見せている。
    もちろん、まじめな研究者には大迷惑な話だが、まじめな研究者も黙って見過ごしていると、単に同類と思われるだけだ。そもそも、このねつ造疑惑は、闘う決意を固めた研究者による内部告発らしい。オカシイと睨んだ研究者がネット技術者やユーザーと連携し、証拠をしっかり揃えて、公開・告発に踏み切った市民としての研究者の矜恃が窺える。これこそが、救いだろう。不正に見て見ぬ立場をとる人間は、学者であろうが、労働者であろうが、自称革新党派であろうが、先生であろうが、生徒であろうが、誰であろうが、結果的には共犯者の役割を演じることになる。

 わが国の知的倫理水準の低下は、どうも歴史的に政治勢力によって形勢されているようだ。とくにこの15
年にわたる安倍晋三氏の政治と学術、メディアへの介入は目に余る。民主党政権も、科学が役に立たないという理由で、科学の世界に大なたをふるってご機嫌とりをしてみせた。
 中坊公平氏の書籍について
能瀬英太郎氏「甚だしい事実誤認」と指摘したことも関西テレビがやらかして未だに訂正もしない嘘丸出しのプロパガンダ番組も、雑誌「諸君」での中坊公平氏と森永乳業・菊地氏の対談での菊地氏の大噓も、すべて今回の問題と似ている。  
 中坊公平氏が大々的に流布した「加害企業に感謝する被害者」も常識でわかるレベルのオカルトだ。それを平然と「滅多にありえそうにない美談ネタ」として飛びつき、大手出版社も一緒くたになって、ろくに裏づけ調査もせずに「有名人の語る真実の物語」として大量に垂れ流す。事実誤認を指摘されても訂正もしない。
    この「加害企業に感謝する被害者」も、大宇宙の、超常現象が支配する異星人の世界にはいるかもしれないが、地球生命の理性の世界では証明不可能だ。しかも、その背景にあるおびただしい嘘の記述がバレても、誰も正そうとしない。この国の知的怠慢の常態化は哀しいかな、この数十年蓄積されてきた知的&倫理的怠慢の習慣という一連の事実が証明している。

 森永ヒ素ミルク中毒事件で、主犯である森永を免罪しようと、「科学的厳密さ」を口実に発表を遅らせ、被害を拡大させ、その後、周囲の状況から最初の発表を余儀なくさせられただけの森永側の浜本教授を、厚生省は「英雄」として表彰することで、国家お抱えの「御用学者」にまで成長させ、阪大の西沢教授とセットで人間凶器として使い倒した。その歴史に無反省な弟子たちが、歴史の風化を巧妙に読み取り、歴史を忘れたかふりをして、頃合いを見計らって、御用学者の復権に奔走した。同類と化した民主集中制までもが、昨今、一緒くたになって、巧妙に、その御用学者をほめちぎり、その正体をあからさまにしている。

 また、同じく「科学的厳密さ」を口にしながら「科学は何もわからないのだ」と自分を一見謙虚にみせながら、水俣病におけるチッソの責任を公然と否定してみせる武田邦彦氏が、福島での原発事故で、「科学は予測をせず、何もわからない」のに、「良い原発と悪い原発がある」と主張してみせ、テレビタレント化して調子づき、今度は小保方氏の論文捏造を乱暴に擁護する。無節操の極みだ。もはや、この方々には、倫理も中立性も科学性も全く見出すことができない。時の権力にたかって、売名か権力か金か、どれかにありつこうとする、あさましい一部の科学者の姿が露になっている。


 しかし、この現実もまた、日本の市民に貴重な学習材料を提供しているといえるだろう。科学者は聖人では決してなく、普通の世俗の人間のひとりであり、むしろ、金権と名誉を、所属組織・政治・学会・お抱えメディアから付与される期待感を煽られると、時に、科学の名をもって事実を平然と捻じ曲げ、社会の不正を隠蔽する権威者として凶悪な立ち回りをしてきた歴史があるし、いまもしているという現実がある。その後遺症は、無実の人々を痛めつけ、終生苦しめ続けるが、その張本人は、わが国では、いつも無罪放免となってきた。そして、あろうことか、その痛苦の経験が継承もされず、正されもしないまま、さらには、拝金主義と化した左翼までが裏で権力に手を貸し大政翼賛しながら、一度は断罪された同じ人物が(弟子たちの陰謀・画策・奮闘努力で)簡単に息を吹き返す日本の、この、えげつなく愚かしい現実は、そろそろ市民として認識し変革すべき時にきていると考えたほうが良いだろう。


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参考資料 「ブログ 世に倦む日日」 

横溢する小保方擁護論の諸相 - 無責任と脱倫理が栄えて沈む国
小保方晴子事件に沈黙するマスコミ - 倫理不全に寛容な社会風土 
小保方晴子による反論の驚愕 - 不正への開き直りを支える二つの条件
 
小保方晴子事件とソクラテス - ソフィストによる不正の相対化

「いじめ問題」に化けた小保方事件 - 西崎文子の愚論と山中伸弥の正論 ←コメント↓

Commented by 柿右衛門
>小保方氏は「論文のミスで騒がれたが、STAPそのものは間違いなくある」と話しているという。

「私は雪男を見た」と言う人がいるとする。その写真を撮ったという。実は、その雪男は人間がキグルミを着て歩いた偽装だとする。画像を分析したら、おかしな箇所がいっぱいある不自然なものだとしても、見た者は「雪男がいる」と主張する。
だれかが、キグルミを着せた人間、キグルミを着て中に入っていた人間をつかまえて白日の下に晒さなければ、永遠に押し問答が続く。
「雪男を見た」と主張して戦うつもりの人間は、公の場に雪男を連れてくることができるのであろうか。
過呼吸になったりする修羅場は見たくないものである。それでなくても「イジメ」などというおかしな詭弁がまかり通っているのであるから。


Commented by Germany2015
企業で一研究者として日々実験を行っています。
今回の問題、筆者に深く共感します。
同時に、小保方が行ったこと、弁解については本当に許しがたい。
研究者としての矜持が感じられない。また、日本の科学界、特に再生医療に携わる研究者、また、研究者を夢見る子供たち、学生たちにどれほどダメージを与えたのか、小保方は考えたことがあるのでしょうか。「


「世に倦むブログ」ツイッター より 一部抜粋

それともう一つ。弁護士が登場して、小保方擁護派に勢いがついた状況があり、その中味として、人権主義からの同情論が説得力を持ったことがある。早く言えば、左翼が小保方擁護論に傾いている。①人権主義の動機と、②組織権力(理研・文科省)への反発。この二つをベースに左翼が小保方擁護へ。

このままだと、本当に「STAP細胞」は「もんじゅ」になってしまう。高速増殖炉と核燃料サイクルと同じ化け物になってしまう。「もんじゅ」、半世紀かけて1兆810億円の税金を注ぎ込んだ。「STAP細胞」を「もんじゅ」のような宝の山にして蜜を吸いたいシロアリ連中が多くいるのだ。

こういう「悪意の有無」とか「解雇の妥当性」が争点になる訴訟では、勝敗を分ける決め手となるポイントがある。それはここでは書かないが、法曹関係者ならよく知っていること。小保方側は、全力で世論の同情と支持を集める。理研叩きと尻尾切り批判の世論を沸騰させて、係争を有利に運ぼうとする。

小保方晴子に天才的能力があったら、論文をコピペで作る必要はないんだよ。捏造論文を書くのがガリレオやアインシュタインと同じだと言うのなら、不正論文で解雇された研究者は全員が天才だ。気味悪い擁護論が跋扈している。とんでもないことになった。http://t.co/EMIARrrZjc 

天才はコピペなんかしませんよ。天才というのは常にオリジナルで挑戦するわけで、人の猿まねは絶対にしない。そして、オリジナルな新しい発見や理論を、誰もが認める方法で証明しようとする。つまり、天才研究者から一番遠いところにあるのが、捏造・改竄・剽窃の不正行為だ。お分かりかな。


森永ヒ素ミルク中毒事件資料館は、2011年3月に発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故直後に、今後の脱原発運動において以下のような言説や政治勢力の存在が大きな障害物となるだろうとの危機感から、2011年4月9日段階で以下の見解を提示している。

http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-kakujiko01.htm#2011.4.9
【疑問】産業公害における責任回避の常套的「科学論(?)」を通じて原発事故の真因と責任を曖昧化か? 2011.4.9 中部大学 武田邦彦教授(元・原子力安全委員会 専門委員)の言説…
 (同氏は)「公害事件に関していつも原因企業が主張するところの「予見不可能」の主張を、一見「謙虚」に見える独特の科学論から演繹的に「是」としている。これは悪質な原因企業の責任を軽減する言説に容易に転換しうるものだ。今回の福島の事故例のように、国家的大事故で、予見が既知の事実と化し、国民的批判が定着した後に、今後の放射能被害の危険性を「予見不可能性」で説明すれば、国民の生命擁護に気を配っているように見える。
 だが、一方で、「安全な原発は推進してもいいが、危険な原発には反対する」を声高に叫ぶのならば、氏自身が主張されるところの「予見不可能性」との自己矛盾である。最近は、「あと出しじゃんけん」で華々しく登場するのが得意な人が実に多い。
 一部メディアが精査もせず、あるいは、それと知っていてか、面白半分に取り上げるので、本人もその気になり調子付く。それまで危険容認の立場で動いていても、世論の動向やトレンドに合せて変わり身が早く、しかも、俺が俺がと表に登場し、そのくせ、巧妙に利害関係を維持して広告塔で動く人もだ。」(中略)

… ちなみに、類似例として、もうひとつの仮面も指摘しておく。民主集中制もロジックとしては似たような折衷的言説を嗜好する。最近はなりをひそめているが、かつて主張していた「正しいやり方の原発ならいい」、(森永事件では)「正しいやり方で行われるよう官製検診に参加する」という姿勢にもだぶって見える。一見「手法を正す」との改善提案を行っているように見えて、現実にはカネと権力と社会システムを総動員して強行される悪しき国策に、正面から異議を唱える科学者や技術者、住民運動の前に煙幕をはる効果になる。党利党略からか、権力に媚びる意図から来ているのかは、諸説あるが、結局、抵抗する住民の邪魔をしてきたことには違いない。

---- 原発が爆発すれば「御用学者」を批判しメディアで跳梁するが
        実は「御用にもっとも近い住民」。タレントさんもご注意。
              最近の世論操作は “お笑い” も取り込んでいくから、手が込んでいる----

小保方論文騒動に武田邦彦が仰天見解
http://www.j-cast.com/2014/03/14199294.html
「写真違っていたなら『眠たかったから』と言えばいい」
2014/3/14 19:45  
 新型万能細胞「STAP細胞」の論文に複数の不正が指摘されて以降、筆頭著者の小保方晴子・研究ユニットリーダー(30)は厳しい追及に晒されている。大学院時代の博士論文についてもコピー&ペースト(コピペ)疑惑が浮上し、研究者としての立場が揺らいでいる。
 そうした中、東大出身の工学博士、武田邦彦氏(70)が2014年3月13日放送のテレビ番組の中で、画像が間違っていたのなら「眠たかったからと言えばいい」、海外論文の流用は「日本人が下手な訳で書くよりいい」などと独自の持論を展開し、インターネット上で賛否両論を呼んでいる。
写真転用は「目が霞んでいたんですよ」
 武田氏は13日、CBC(中部日本放送)の情報番組「ゴゴスマ-GO GO!Smile!-」で、小保方氏の論文騒動を解説した。その中で、STAP細胞論文の画像転用問題について聞かれると、昔と今の研究者の生活環境の違いを説明し始めた。
 武田氏によると、昔の研究者は裕福な家庭環境で育った人が多く、時間的、金銭的にも余裕があったが、今の研究者、特に女性は家事や子育てなどで余裕のない生活を送っている。そのため、「どうしても昔みたいにちゃんと(論文を)書けないんですよ」というのだ。石井亮次アナウンサーに「忙しいということ?」と聞かれると、「忙しいし、色々ある。審査官があれこれ言ってくる。『ここ変えて、次写真ここ入れ替えろ』って一生懸命やっているうちに、だいたい間違えるんです」と語った。
 これに納得しない石井アナが「いやいや、論文に載せる写真ってめちゃくちゃ大事でしょう!」と反論すると、「目が霞んでいたんですよ」と驚きの回答。出演者陣はどっと笑ったが、あながち冗談ではないようで「目が霞んでいていいんです。そんなところを厳密にしたら日本の若い人が論文を出せなくなる。国際的にものすごく遅れる」と訴えた。欧米では新発見や学問的な進歩があれば論文が不十分でも評価される傾向にあるといい、そういった観点から武田氏は今回の画像転用をさほど問題視していないようだ。
 「20ページはだれが書いても同じ文章になる」
 さらに武田氏は、小保方氏が早稲田大学に提出した博士論文で20ページにわたる「コピペ」が指摘されている件についても「全然いいんですよ。第一そんなやつ持ち出すなと。人間は過去までほじくり返したら、色んなことがある」と全く意に介さない。「コピペ」とみられているのは、幹細胞の基礎知識を説明する部分であり、武田氏は「これ著作権がないんですよ。(科学の)事実は誰が書いても同じなんです。だから、彼女の20ページは世界中のだれが書いても同じ文章になる」とする。
 科学者の目的は金や利権ではなく「自然現象を明らかにすること」である以上、こうした文章は「人類共通の財産」であるため、引用を示す必要もないというのが、その理由だ。むしろ「アメリカ人が書いたやつを持ってきたほうが、日本人が下手な訳で書くよりいいんです」と、コピペを歓迎する発言まであった。
 再現実験については「長い目で見るべき」と話し、論文撤回についても「著者本人が判断すべきで、(周囲が)圧力をかけてはいけない」と主張する。最後に小保方氏が今やるべきことを問われると、「もし写真が間違っていたら、『眠たかったから』と言えばいいんです。小保方さんは、出てこないほうがいいと思いますよ。これだけ誤解がある以上、一般的には『なんだお前は!』ってなるから。『眠たい』なんて言ったってね」と笑いを誘った。
出演者陣は納得していたようだが…
 最初は驚いてばかりいた出演者陣も最終的には概ね同意したようだった。だが、リアルタイムで放送を見た人や書き起こしを読んだ人たちからは賛否両論があがっている。
 インターネット上では「新たな観点から問題を捉えることができた」「俺は同意出来る部分が多いけどな~」「論文には論文の常識があるってことなんだなたぶん」と理解を示す声がある一方、「明日にも職を追われていいレベルの失言を越えた失言じゃね…」「武田邦彦氏も眠たかったからこういう発言したんですよね?」「そんな無茶苦茶な論理で騙されるのは、アホなタレントだけ」「デタラメな奴がデタラメを擁護している」と厳しい意見もあがっている。
 なお、理化学研究所は3月14日、一部画像が小保方氏の博士論文から流用されたものだと断定。また、小保方氏ら共同著者は同日、論文の取り下げを検討していることを明らかにした。
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現実認識からして間逆。武田邦彦氏は、テレビに出る暇があれば、以下のブログも先に読むべきだった。
所属する中部大学のイメージも地に堕ちた感がある。
小保方晴子の不正事件が問うもの - 格差社会の分配と秩序と倫理
http://critic20.exblog.jp/21843312
横溢する小保方擁護論の諸相 - 無責任と脱倫理が栄えて沈む国
http://critic20.exblog.jp/21849227/

1月にこのブログで、「科学者はそんなにえらいのか」
http://morinaga-hiso.blog.jp/archives/2339161.html
と書き記した直後にコレだ。呆れてしまう。
 

東電の犯罪・福島の悲劇に加担した事への無反省。

共産党は最近まで原発推進のくせに支持しない人を攻撃するのやめて

平たく言うと、彼らにとっての都知事選の位置づけは、こういう核への汚れた歴史の隠蔽とロンダリングか?

過去の政策判断を都民の前で正式に謝罪した小泉氏のほうがよっぽどマシという市民の意見もスジが通っている。

少なくとも原発問題では、「自共対決」など存在しなかった。むしろ協調。(こういう「予定調和」でどれだけ「おいしい」関係が築けて来たのか?...大半の党員が三猿主義を決め込んでいる個別事情を山ほど知っている一般市民。市民だけが嗅ぎ分けることが可能な、イカガワシイ世界…)

左掲写真は、原発が破裂した後の2011年6月になっても街頭に貼り続けられていたポスターらしい。

日本共産党への幻想がゼロの人間にとっては、彼らが原発にどんなパフォーマンスをとろうが、「所詮底がしれている」という受け止め方だ。だがそれにしても、なんにも一貫してスジを通していない党派が、都知事選で、一般市民に対して、こんな傲慢な言動と態度をとっていたとは…改めて驚きだ…。これが事実なら、かつてのオウム真理教の信者なみ。

東日本大震災で東電福島第一の使用済み核燃料棒の高濃度放射性物質(広島型原爆の死の灰の数百発分…詳細は『原発震災という視点』 ) が東日本一帯を覆わなかったのは、燃料棒冷却プールの水がかろうじて抜けなかったという、「たまたまの偶然」でしかない。にも関わらず、原子力行政を基本的に容認し続けておいて、反省もなく、風見鶏で世渡りする党派が「わが党だけは」コールを繰り返し、懸命に一本化を呼びかける市民に毒ついていたようだ。

宇都宮氏は敗戦候補のトップになって一体、何がうれしいのだろうか?このポスターへの一抹の反省でもあれば、「細川候補に勝った、達成感がある」などと、とてもとても…喜べないはずだ。

市民が「おかしい」と感じるのは当たり前。巧妙な嘘を見抜く、失ってはいけない大切な感覚だ。

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ブログ「世に倦む日日」のコメントは最新の市民の世論を見る上で参考になる。(世論といっても、ここでは共社になびくような層は対象にしない)

Commented by 33 at 2014-02-28 00:49

ご無沙汰しております.本当に今回の都知事選での社共にはガッカリしたというか,かれらは“脱原発〟が目的ではなく,手段である脱原発運動を続けることが目的になっている気がします.たいてい目的と手段があべこべになるとロクなことはないし,そもそも30年かけて目的を達成する手段なんてどう考えても間違えてるのが分からないんですかね…… 健康のためにカラダを鍛えはじめたのに,そのうちカラダを鍛えるのが目的になった人みたいなもんですからね…… 官邸前の運動も毎回通うと経済的にも身体的にキツすぎて,既にブラック運動と化している気がしますし.二度言いますが,今回の千載一遇のチャンスを潰した社共にはガッカリです……

Commented by やより at 2014-02-28 12:05

30年前から「東京に原発を」という標語がありました。今や、「千駄ヶ谷(共産)と永田町(社民)に、とりあえず原発を」となりそうな気配…。共産党はあい変わらずHPで「自共対決くっきり」などと自画自賛しているが、そうなるほど、ナショナリズムが高進するでしょう。そもそも、なぜ自共の二大対決になるのか?単純タカ派政党と化した自民党と共産党が対決する日本社会のイメージ自体がもう一触即発の戦争状態でしょう。彼らの「自党だけが正しい」という傲慢な一神教的でカルトな価値観と 「わが党以外は自民党の亜流」  と十年一日露骨に叫んできた姿勢に疑問を持てず陶酔している人々には心底同情する。この特異な政治イデオロギーを克服することは重要課題であるだろうし、今回、急な出馬で、市民の票をあれだけ結集できたことは、その力がみなぎっているということです。それこそを左翼は怖れているから、「細川に勝った」というフレーズが出るのです。公益などおかまいなし。左翼の壊死と市民の登場、これが今後のテーマでしょう。

Commented by haku at 2014-02-28 22:17

いろんなプロジェクトを見ていると、5年もやっていると疲れて、もう区切りを付けようよ、という気分になっているようです。これが長期でも一つの目安でしょう。30年とは笑止です。宇都宮氏も志位氏も自分達の目が黒いうちに脱原発を実現したくないんでしょうかね。そんなのどうでもいいよ、と告白しているようなものです。やや旧聞になりますが、プロ野球の縮小問題で、一方のリーダーたる古田氏はまさか30年続けようとは思わなかったし、5年でも御免だったでしょう。おそらくシーズンが終わるまでに決着を付けられなければ負けだと思っていたはず。永久追放さえ覚悟していたそうです。だからこそ集中して取り組むことができ、その必死さにファンや多くの国民が共感して圧倒的な支持を取り付けることができた。自称「運動界」の人々はこの胸のすくような運動から何も学ばなかったのでしょうか。

Commented by pm3.1 at 2014-03-01 01:25

○○な脱原発はダメだ!というように、都知事選で左翼陣営にそういう楔を打ち込まれてしまったような気がしますよね。増税賛成の脱原発はニセモノ、平和主義じゃない脱原発はニセモノ、新自由主義の脱原発はニセモノ・・という具合に、何でもかんでもすべてのテーマについて反対じゃないとダメだというような。これじゃあ永久に話がまとまるわけもないですよ。あれこれ不毛な論争をやってるうちに浜岡がやられるかもしれません。ビデオニュース・ドットコムで宮台氏が仰っていた「左翼の居場所問題」と言いますか、社会問題の継続を願う勢力にとっては願ったりかなったりの状況かもしれませんが、大変困ったことになってきました。大切なのは社会問題の解決であり、社会運動を続けることじゃないんですよね。


《日経も嘲笑気味… 「自共対決くっきり」 になってない “一人お祭り騒ぎ” …》 出典

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1003N_Q4A210C1PP8000/

《 下2行、市民運動を主敵にする、党利党略&セクト主義のあからさまな発言

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核への汚れた態度のロンダリングが主目的の都知事選?

「知的退廃」に開き直る「業界左翼」

まさに「業界左翼」にとっては、「問題の解決は“飯の食い上げ”」であるから、簡単に解決しないほうがいいのだろう。もちろん元々は簡単に解決できる問題ではないが、「飯の種にする」長年のルーチンワークの習慣は、ここぞという解決のチャンスをも見逃してしまう。それが哀しいサガだ。

そして、自分たちとは無関係に、問題が解決されたら、されたで、その後に発生する利権に食らいつくことも忘れない。  森永事件解説ポスターpdf


そもそも、共産党など、ソビエト政権の核兵器と原発を「正義と進歩の技術」として異様に賛美し、その成れの果てからか、わが国の原子力政策に対しても「自主・民主・公開で」という折衷的な十年一日のスローガンで、御用学者の跳梁に間接的に手を貸してきた。

森永事件でも同様の手口で、後遺症なしの結論先にありきの「官製検診」にもぐりこみ、被害者の反対を押し切って権力側に情報を流し、あわよくば御用学者に取り入ろうとした民主集中制だ。

そういう作風でやって来ておきながら、東電の原発が破裂したとたん、しばらく様子を伺いつつ、党勢拡大に有利と判断できるやいなや、表向きの姿勢を変えてみせた。

だが、大手新聞の仕組んだ社民との対談では「数百年先の原子力技術の可能性」まで依然として口にする始末だった。

自党のドグマへの真摯な反省もなく、のらりくらりと美辞麗句を口にしつつ原発推進世論の事実上の下支えをしておきながら、舌の根も乾かぬうちに、自らを「脱原発の旗手」のように演出する舞台として今回の都知事選に臨んだ。過去の政治的二枚舌という犯罪のロンダリングの道具として、立ち枯れた社民を使い倒し、お得意のプロパガンダで過去を清算したつもりになって涼しい顔をしている。
東京都民は候補一本化を要請した。要するに党派は市民の後を歩け、脱原発を実現するために協力せよ、ということだ。党派は、市民の後を歩くなどもってのほかだと考えた。なぜなら、党は民衆を導く領導者ということで「権威」なるものを維持してきたと思い込んでいるからだ。

今回の都知事選は、共産があたかも「大昔から一貫してスジを通して原発に反対してきた」かのような印象を、社民のふんどしを借りて世間に印象づける役割を果たしたという意味で「大成功」であろう。

自党の「原子力に対する汚れた過去」を反省もなく隠蔽するという党利党略から生まれた目標設定から考えると、「細川に勝ってよかった」という彼らの素直な感情の吐露は、確かに「スジが通る」。
そして、もともと上昇志向の強い資質と比較的単純な哲学で動いている安部晋三氏をタマとして、世論操作と政界操縦に長けたブレーンがイメージとして形成する安部政権は、対抗勢力のいびつ化、分散化を奇禍として勢いづく。
「禍根は内にあり」という典型的パターンだ。


「生産力発展至上主義」という1800年代世界観がもたらす「技術社会」への無節操

彼らの歴史観を規定しているマルクス主義の「生産力発展至上主義」は、実はきわめて資本主義的な発想だ。

唯物史観は、人類の歴史発展の下部構造に「生産力の上昇」があると規定し、「人類の歴史は生産力の発展の歴史である」と一面的に規定する。

そして、資本主義はその生産力を「過剰生産恐慌」で定期的にチャンスロスするから、それをなくせば生産力は完全解放され、人類は無限の生産力上昇を獲得するに到ると主張する。そのためには生産手段を資本家や農民から奪取し、生産手段の社会化が必要だ、とする。

そして、共産主義は、生活に対するなんのストレスも存在しない理想社会となる。これがマルクス主義の歴史観の底流に存在する。
だが、「生産手段の社会化」といっても、国民全員がモザイク的に生産手段を所有するなんてことは有り得ない。社会化という「社会」とは、「抽象的な概念としての社会」などではなく、彼らが言うところの「階級社会」を代表する「国家」である。つまり、プロレタリア独裁国家という、彼らが統制関係が逆転したと言いくるめる「階級国家」である。
が、それは結局、国家支配層を牛耳った暁の一党独裁党派の官僚群にすり替わっただけであり、世界の最終目標に近づく運動が開始されたことで、反対者は人民の敵とされる。「労働者国家の代表者」を気取る赤い貴族の私的所有になることには、固く固く口をつむぐ。


「鏡の中の世界」を見て熱狂する「歴史主義信仰」の世界観
所詮、1800年代の西欧世界における科学/技術/社会観を無批判に未だに受け継いでいるに過ぎない。それをプロパガンダという手法で政治的に合理化しているだけだ。まさに、ナチズムなど過去の様々なイデオロギーの亜流が、現代にも容易に復活しうるように…。

赤い貴族の支配をいったん脇に置いたとしても、「生産力の無限の解放」が実現し、悩むことのない消費を資本主義以上に謳歌して、さて、有限資源が枯渇したら、どうするのだろう。さしずめ、超光速で飛ぶ超技術の宇宙船にでも乗って、他の太陽系にまで到達して、エイリアン同士の大戦争に勝利し、人類の幸福が実現されるというのだろう。千万年、数億年先の未来を見通す「預言者」になったつもりで自己満足できる。これがナチズム同様、「千年王国」と揶揄される彼らの「歴史主義信仰」と言われるものの実態だ。

世間知らずを叱られた事のない青二才か、もしくは一般社会とは別に、閉じた利権組織のヒエラルキーの頂点を目指す野心家にしか通用しないシロモノだ。しかも、他のカルト系組織と同じく、まず人間関係で縛りをかけ思考の枠組みを上から統制するから、知的誠実さなどとは無縁となってしまう。おどろおどろしい組織悪を目の当たりにしても、たいていは原因を別物にすり替え、連日刷り込まれる「前衛党無謬論」「全体主義的大義名分論」で合理化・正当化してしまう。彼らが「世間」と思い込む世界は、左右が逆転した鏡の中の「世間」だ。
いずれにしても、こうなると、ガンジガラメにされた人間関係をリセットする勇気をもてる人しか脱会できない。

民主集中制/共産党が人格破壊を引き起こすメカニズム

この俗物的な社会発展観は、しかし「光り輝く理想郷」として「信者」の頭脳の大部分を支配し、革命など実際にはやる気がなくても、資本主義の不正を是正する「唯一の決定的な力・理論」なのだとという思い込みで、思考を支配する。だから自分の意に従わない市民を敵視・弾圧しても、彼らの「歴史信仰」という大義名分から「免罪符」を与えられていると思い込む。

更にタチが悪いのは「前衛党の防衛」という「非常時」を党中央から宣告された場合、公序良俗や道義など真っ向無視の言論弾圧や政治謀略、人権侵害、密室政治、暴力的査問(異端審問)にためらいなく突進する。

  《参考事件:市民が告訴すれば有罪判決を食らうが…。森永ミルク中毒事件 能瀬訴訟 

日頃は表向き「比較的いい人」に見えても、突然、組織員としての別人格が現れる。「カッコつきの革命的正義」を身にまとい、国法と人道を無視した恫喝を凶暴に実行するのだ。「共産党は二重人格を作り人格を破壊する」という元幹部党員らによる指摘現象のメカニズムは、この部分に存在する。

《参考資料:能瀬訴訟 訟控訴審 準備書面 p27─報道、学者への恫喝─社会性の乏しさ全開》

科学は、人類にとって危険な技術を今後も次々に産出するだろう。これは深刻な問題であるが、この現象は何も資本主義社会に限ったことではない。すべての社会主義体制でも同じことが起こった。(ちなみに共産党が、それを「真の社会主義ではない」といえば言うほど、資本主義者も“あれはウチとは関係ない”という言い訳を開発する)

だが、技術はプロレタリア独裁国家が運営管理さえすれば、従来の矛盾は解消されバラ色の未来が訪れるなどというスターリニズム政党の流布する倒錯科学観の煙幕は、今では奇妙で意味不明のごまかしプロパガンダを開発している。「自主・民主・公開」などとは、もっとも縁遠い所に位置するスターリニズム党派が恥ずかしげもなく口にする「自主・民主・公開」(で国策容認)などというズル賢いプロパガンダであり、(※1)こんな子供だましの言い草で、真面目な市民が迷走させさられ市民が泣かされる歴史が東アジアの島国では今後も当分続くだろう。

このような社会観は、今後、何度でも、危険な技術の運用を「民主的運営」の名の下に擁護し、局面局面で党利党略の風見鶏となる。「猫の目解釈」でもって水面下で行われる国策への援護射撃の銃口は、体制を問わず技術が人類に及ぼす問題点を指摘する「非共産」の市民にも同時に向けられている。

これこそ、愚かで「非生産的」、有為な人材の消耗だ。


市民は本来の対抗者と同時に、味方を装うもっと欺瞞的な対抗者との闘いを強いられ、疲弊し、社会改善に挫折するかもしれない。そして、左右の民主集中制的で全体主義的な党派が社会を凶暴な政争と抗争に移行させ、国民の感情を扇動し、その荒廃した全体的精神構造は、他国への矛盾転嫁という国家間の抗争へと容易に転化するだろう。市民的資質を具備する市民社会の成長が未熟で、粛清に明け暮れるDNAを引き継ぐ共産党のフラクションが社会の隅々にまではびこり、党生活者が「生活をかけて」無節操で不正なオルグと粛正という「革命ごっこ」をコソコソと展開し、彼らが存亡をかけて「自共対決くっきり」に見せようと勢いづくような東アジア地域では、そのような潜在的条件が十分に存在している。

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(※1)

森永ヒ素ミルク中毒事件資料館は、事故直後に、今後の脱原発運動において民主集中制の存在が大きな障害物となるだろうとの危機感から、2011年4月9日段階で以下の見解を提示している。

http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-kakujiko01.htm#2011.4.9

【疑問】産業公害における責任回避の常套的「科学論(?)」を通じて原発事故の真因と責任を曖昧化か? 2011.4.9 中部大学 武田邦彦教授(元・原子力安全委員会 専門委員)の言説…

「公害事件に関していつも原因企業が主張するところの「予見不可能」の主張を、一見「謙虚」に見える独特の科学論から演繹的に「是」としている。これは悪質な原因企業の責任を軽減する言説に容易に転換しうるものだ。今回の福島の事故例のように、国家的大事故で、予見が既知の事実と化し、国民的批判が定着した後に、今後の放射能被害の危険性を「予見不可能性」で説明すれば、国民の生命擁護に気を配っているように見える。だが、一方で、「安全な原発は推進してもいいが、危険な原発には反対する」を声高に叫ぶのならば、氏自身が主張されるところの「予見不可能性」との自己矛盾である。
最近は、「あと出しじゃんけん」で華々しく登場するのが得意な人が実に多い。一部メディアが精査もせず、あるいは、それと知っていてか、面白半分に取り上げるので、本人もその気になり調子付く。それまで危険容認の立場で動いていても、世論の動向やトレンドに合せて変わり身が早く、しかも、俺が俺がと表に登場し、そのくせ、巧妙に利害関係を維持して広告塔で動く人もだ。」
(中略)…

ちなみに、類似例として、もうひとつの仮面も指摘しておく。民主集中制もロジックとしては似たような折衷的言説を嗜好する。最近はなりをひそめているが、かつて主張していた「正しいやり方の原発ならいい」、(森永事件では)「正しいやり方で行われるよう官製検診に参加する」という姿勢にもだぶって見える。一見「手法を正す」との改善提案を行っているように見えて、現実にはカネと権力と社会システムを総動員して強行される悪しき国策に、正面から異議を唱える科学者や技術者、住民運動の前に煙幕をはる効果になる。党利党略からか、権力に媚びる意図から来ているのかは、諸説あるが、結局、抵抗する住民の邪魔をしてきたことには違いない。



















森永乳業株式会社は、1955年に自らが引き起こした世にもおぞましい乳児大量殺戮犯罪の隠蔽のために厚生省を動員して、戦後日本初となる御用学者による「第三者委員会制度」をつくりだした。

「5人委員会」 「西沢委員会」 「森永奉仕会」。 

弁護士、医師、メディア…と世の中でもっとも信頼性を期待されていた業界の中から最悪の人物を選抜し、殺人企業の免罪と、事件要因の隠蔽、被害者を誹謗して国民と分断する悪魔のような仕事をやらせた。 (※1)
   
                


森永の期待通り、医師、メディア、法曹界は見事に事件隠蔽の道具とされ、とりわけメディアは被害者に「黙殺」という無言の牙をむき出した。この手法はその後の14年間の長きにわたり世論を欺く絶大な効果を発揮した。

最初の半年で、この大事件を幕引きできた大成功に味をしめ、国はその後、水俣病患者の圧殺にも応用するに到った。だが、わずか4家族の被害者家族が、闘いの灯火を守り続けた。事件は一時的な決着をみたが、再度巻き返しに遭遇した。反撃を試みたものは、被害者組織・基金組織に絡む利権を手中におさめた政治勢力から粛清追放された。結果、この30年間にわたり、被害者運動の苦難の歴史を再度、歪曲・隠蔽する努力を続けている「御用な者たち」が跋扈するに到っている。戦後初の御用学者 出典:森永ヒ素ミルク中毒事件資料館

その仕組みはすでに ポスター(p.7右図は初期のシステム→) や、デジタル文献【砒素ミルク1.2.3.】  或いは レポート『森永ヒ素ミルク中毒事件 発生から50年』 、 近年発表が相次ぐ学術論文シリーズ でも詳しく知ることができる。(が研究書となると未だにほとんど見るべきものがない)

だが、これは決して過去のことではない。

現在の東京電力福島第一原子力発電所の事故に至る原子力行政でも、そして、その後の事故処理でも同じように御用学者が繰り返し出現する。
科学者というのは、本来、科学的検証のサイクルによって得られた、その時点での知見を公正に表明してこそ本来の職務をまっとうできるものだと思うが、金と権力が絡んだとき、科学者と言われる人々の世界にも大混乱が発生し、いったい科学的といわれるものがどこまで信憑性があるのか、市民には理解不能となってしまう。
一方、市民が科学に関して口を開くと、素人主義と揶揄され、最近もメディアは右へ習えで、科学者と専門家のコメントばかりをあさっている。
最近では、古典的御用学者が使いものにならなくなった場合、原因企業は「(自称)民主的医療組織」というものと手を組み直し、被害者集団を再度抑圧支配することにもためらいが無い。

市民は科学者に従わざるをえない「しもべ」なのか、それとも、市民と科学の対等な結節点はあるのか?

 ※1)「5人委員会」は不当に低い一律補償額と、ほとんどの被害者を因果関係不明として切り捨てる声明を突如として新聞発表し、それに憤る被害者団体を、「子どもを使ってカネを要求する金取り団体」であるかのように描き出し、その下地の上にメディアに圧力をかけて事件を封殺した。当時まだ全体的に貧しい日本社会の風潮に対して、このプロパガンダは絶大な効果があった。この手法は今も生きている。現在は、被害者同士を分断するプロパガンダとして活用されている。

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