市 民

森永ヒ素ミルク中毒事件は、昭和30年(1955年)に日本で発生した、森永乳業の粉ミルクによる乳幼児の大量死亡・被害事件です。 森永は、猛毒のヒ素が混入した産業廃棄物由来の第二燐酸ソーダを、製品が新鮮であるように偽装する目的で赤ちゃん用粉ミルクに添加したため、1万2千名以上の膨大な被害者を生み出し、1年以内に131人の赤ん坊が死亡するという世界最大の食品公害となりました。未だに多くの被害者が理不尽な扱いに苦しみ続けています。

カテゴリ:森永事件の今も続く闇 > 資金拠出の見返りに歴史の偽造を要求

奇妙なデジャブ
 アメフト事件に関してはいまさら解説は不要だが、5月22日の加害者側選手の記者会見で明らかとなった犯罪指示の構図は、大いに既視感ありだ。1955年の森永ヒ素ミルク中毒事件、そしてその事件史を2000年に入ってさらに歪曲しようとした同社幹部の菊池某氏の詭弁を思い出す。

組織犯罪の常道(「直接指示」と「ほのめかし」)
 同選手もまた、一種、そんたくさせられて、犯罪の実行に及んだ。「そんたく」は日本特有のものではない。証拠を限りなくゼロにすることを目指す、完全犯罪を目標とした組織犯罪システムである。
 彼は、自分の責任を痛切に自覚している。少なくとも彼自身の言葉でそれを明確に語っている。だから監督やコーチへの恨みぶしもない。記者からそのあたりをいかにつつかれても、やはり自分は、自分の問題を語るべきだ、という確固とした方針で臨んでいる。二十歳になったばかりの彼が、会見に臨むにあたり、想像を絶する決断が必要であったに違いない。だが、私はこれを「勇気」とは呼ばないし、敢えて彼を英雄視はしない。彼自身、「勇気」は違法命令を拒否するところで発揮されるべきだったと自覚している。だが、彼の会見は、今の日本の社会状況の中で、極めて重要な、ある種、歴史的ともいえる役割を果たした。
 その要点は、
1.【姿勢】
自分が万難を排して会見し事実を明らかにしても、それをもって決して英雄視されてはならないし、安易な許しはありえないと自覚している。すべては被害者への謝罪の視点が貫かれねばならない。組織犯罪の実行命令をいかに理不尽な遣り方で受けたとしても、それをやったからには、一人の人間としての罪からは逃れられない。
2.【語らない覚悟】
彼は語っていないが、記者からの質問で、「監督やコーチからの理不尽で違法な指示を、あなたは、なぜ拒否できなかったか」に関して、それは単純に言えば「自分を再度登用してもらいたい」という自己保身意識であり、それを絶えず再生産させるシステムがあったと言うことだろう。だが彼にそれを言わせてはならない。彼がそれを言うことは、己の責任をシステムや外部環境に転嫁させることであり、自己の責任からの逃避である。彼が、時系列で事実を明らかにしたことがもっとも意味がある。それを安易に口にしなかったのは、加害者の謝罪姿勢としておおむね妥当だ。
3.【事実】
人身傷害行為の実行命令は、監督がコーチに指示されたと思われ、そして、コーチはあらゆる方面から同選手に「 “つぶす” というのは、単に威勢よくぶつかる、という意味ではなく、アメフトで絶対的に守るべきポジショニング(アライン)を逸脱しても、何をしても、手段を選ばす、とにかく相手を負傷させよ」と認識させる各種の「ほのめかし」を念入りに行い、ロボットのごとく操縦した事実。「相手チームが怪我をしたら有利だろう」といった言い方で相手選手を「負傷」させることを指示している。もう、こうなると「そんたく」といった曖昧なレベルではなく、明確な命令。

ということが明らかになったことだ。

同大アメフト部は、犯罪行為の実行後に「お前は成長した」
 あるメディアの記者は、日大アメフト部の幹部が加害選手に命令実行後にかけた「成長」という言葉に、さすがに声を詰まらせ、「まるで犯罪組織じゃないか」といったが、まさにそうである。マフィアの手法である。
 だが、これは、森永ヒ素ミルク中毒事件にも当てはまる構図であり、さらに事件発生から45年以上たって、「被害者に “これだけ” 金銭を支払い続けている」と偉そうにマスコミを利用して喧伝してきた同社が、調子にのって、自社犯罪の正当化を再度始めようとしたとき、利用した手法と同じだ。

大量殺害の責任を、再度、現場社員になすりつけ始めた森永乳業
 いわく、「事件の情報は中間管理職にとめられていて、社長はしらなかった」、同社幹部の菊池某が、中坊公平氏との対談で公言した、たわけた言い草である。天下周知の大量殺害事件で、障害に今も苦しむ被害者が莫大にいる中で、反省もなく軽口を叩き始めた。事件後、半世紀もたって、再び、幹部の再免罪を実行し、その責任を平然と部下に擦り付けて、「安全性に気を遣う優秀な企業」と自画自賛した。恥知らずな組織犯罪の構図である。(実際の同社は、死亡事故、横領、窃盗など、不正の温床であることが最近の相次ぐ不祥事報道で、バレてしまっているが。)
 日大アメフト部幹部の「指示の解釈の乖離」(選手の会見後の同大公式見解でも繰り返す)という、目を覆いたくなるほどの組織の腐敗という病巣は、あの不正に満ちた戦争のあと73年たった現在に至るまで、再生産され続けている。
 過ちに手をそめたものの、自己内省で後悔の念にもがき苦しみ号泣したあの二十歳の選手と同じくらいのモラルをもった社員が1955年の森永に一人でもいれば、事件は20年間も放置されなかった。また、今の森永乳業にも一人でもいれば、菊池某の妄言もありえなかっただろう。(陰に隠れて甘い汁を吸い、加害企業の継続的な組織腐敗状況に加担する党派勢力の構図は省略。ちなみに、前述の「そんたく」は、古代からあり、資本主義にも、更には共産主義など全体主義には、極限に拡大されて発生する。)

 日本は組織犯罪に甘い。そして、日本政府は食品で大量死が起こっても、個別企業の責任問題として対処する国策を貫いている。関西テレビが放映した大きな嘘、「森永事件の被害者へは行政が主たる補償」を行うことは今も、この先もありえない。さあ、この有様をどうするつもりだろうか?
 次の大量死へのカウントダウンはすでに始まっている。




事件発生60周年で演出された
森永乳業と現・被害者団体の白々しい「円満」。
その裏で、決して報道されないコト…


以下のコメントが寄せられた。
http://morinaga-hiso.blog.jp/archives/1033260039.html#comments
「51. 守らん会会員  2015年12月01日 10:41

 チョツトご無沙汰しとるうちに、またまた問題発覚かい。森永ヒ素ミルク事件は、どこまでいっても底なし沼というとこかい。おそれいりやの鬼子母神てわけだ。

  おいらはひかり協会会報『ふれあい』11月号からの報告を、ちょくらやるぜ。問題とするのは8ページにある、守る会からのお知らせ「事件60周年記念式典、合同慰霊祭」のなかの記事だ。「各団体代表挨拶」のなかの◎桑田理事長の発言は要旨だけだろうが「今までに亡くなられた1266名の御霊にこころからのご冥福を祈り、二度とこのようないたましい事件を起こさせないことをお誓いする」とある。

  これを見て当ホームページの扉にある、2013年厚労省発表の1170人とくらべてみろよ。2年間の間に96人もの被害者が亡くなっとるぜ。ひかり協会と連絡を希望するのは、全被害者1万2千人のうち約6千人弱というじゃあねえか。ということたあ6000人のうちから、これくれえの死者がでたということになるのじゃねえのかい。こりゃたいへんなことだよ。

  加害企業と癒着して、甘い蜜すうとるくせに「二度とこのようないたましい事件をおこさせない」とは聞いてあきれるぜ。」
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半世紀にわたる「公害」さえ未だに克服できないこの国
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 直近2年間で96名もの被害者が死亡したという恐るべき事実。しかも認定被害者の半数としか連絡が取れていない制約のなかでしか把握できていない死亡者数であることさえ説明をしない。(大手紙の一部記事も同様)
 この事実を「森永との合同慰霊祭」なる、メディアまで動員した「協調」キャンペーンの中でさりげなくツブやいてオシマイにしてしまう無神経には、もはや言葉が見当たらない。「葬式パフォーマンス」の名がふさわしい。「被害者の “名札” を見せびらかしながら、拠出金に群がって “森永乳業のポチ”に成り下がり、人として当然の批判を行う被害者家族を平然と弾圧する」との幾多の被害者家族・市民らの厳しい批判のゆえんだ。
 党派的影響力で支配された団体が、企業犯罪による被害者の苦しみを、企業の代理人となって糊塗するという、恥ずべき犯罪の「教宣」モデルが完成されつつある。
 しかも当該党派が自身を神聖視させるために日頃常套句としている「商業新聞(昔呼称“ブルジョア新聞”」の一部不良記者(各社共通なのは権威へのゴマスリ系記者)を抱きこんでの合作キャンペーンが今年全国各地で計画的に展開された。日本社会の無節操さを象徴する好事例だ。
 しかし、あまたの自称左翼勢力も、更にはマスコミも、大所高所を気取り、政局云々を口にするなら、足元の仕事のガサツさを反省し、自らの襟を正すことが先決だろう。
 表向きの左右が半世紀にわたって談合してきた結果、社会の深層には、看板で政権批判を売りにしながら、裏で金と権力に群がることを当然視する腐敗した思考習慣がうず高く、ヘドロのように溜まっている。このようなことに見て見ぬフリが決め込めるようなら、どれだけ「高邁なる政治」を語ろうとも、所詮、根無し草のデマゴーグでしかない。
 このような風潮は、「ヒラメ権威主義」と同根の「貧困ビジネス党派」の党利党略に拍車をかけるだけだ。人間をもてあそぶことで、国民と社会が疲弊し、結果的にすさんだ新タイプの「両極化現象」をもたらすだけだろう。各種の悲劇的事態の招来をもたらすのは、ひとりひとりの人間の価値より、政治的イデオロギーを優先させる全体主義的思考方法だ。
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被害者家族を弾圧しながら平然と「慰霊祭」を宣伝してきた森永乳業
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 なお、「教宣」にコントロール“されている側の”当事者は露も知らないのだろうが、森永乳業という企業は、事件発生後から被害者救済運動を14年以上にわたって抹殺している「さなか」に、同時並行で、「“森永に事件の責任は一切ない” を大前提とした“慰霊祭”」を目くらましのプロパガンダとして実行してきた企業だ。歴史が証明するところの、この企業の確信的で強烈な「二面性」と「プロパガンダ」愛好主義は、今現在も歴史を歪曲したがっている同社の言動をみるにつけ、未だに、変化なしと見える。
 以前と唯一異なるのは、今は森永はコマーシャルの拡大に腐心し、森永の裏稼業だった被害者に対する分断支配は、党派代理人に任せていることだけ。本質は変わらず、むしろ、両者が一体となって進める歴史の偽造と被害者の尊厳への毀損は、それ自体が延々と続く、企業犯罪の継続に他ならない。
<以上>

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