市 民

森永ヒ素ミルク中毒事件は、昭和30年(1955年)に日本で発生した、森永乳業の粉ミルクによる乳幼児の大量死亡・被害事件です。 森永は、猛毒のヒ素が混入した産業廃棄物由来の第二燐酸ソーダを、製品が新鮮であるように偽装する目的で赤ちゃん用粉ミルクに添加したため、1万2千名以上の膨大な被害者を生み出し、1年以内に131人の赤ん坊が死亡するという世界最大の食品公害となりました。未だに多くの被害者が理不尽な扱いに苦しみ続けています。

カテゴリ:森永事件の今も続く闇 > 民主集中制の犯罪

ブログ「世に倦む日日」の主が怒っている。コメントを寄せる市民も怒っている。
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興味深いコメント・指摘をスクラップ。
Commented by ヒムカ at 2014-02-24 00:05        

私は、反日共、反代々木系でもありませんが…実践活動において「日共」の手練手管に泣かされたものです。 志位和夫は今日では品行方正に振る舞っていますが…その「汚れた手」を知る者は少ないでしょう。第19回大会にて「中央委員、新書記局長(36歳)」に大抜擢」された背景には、『丸山真男批判』大キャンペーンもありました。 今、もしやと思いインターネットで検索すると…ありました。ありました。暇のある方は、是非とも【不破哲三の宮本顕治批判〔秘密報告〕】 (※1) をお読みください。サブタイトル「宮本氏と側近グループによる『日本共産党の逆旋回』:不破哲三」です。おどろおどろしいタイトルではありますが、日本現代史を「講座派」の読み方をするならば、さすがに不破哲三の告発文です。捏造はありません。

Commented by ヒムカ at 2014-02-26 00:35   不破哲三の告発に「捏造はない」書いてしまい…今読んで、反省!誤解を招く表現でした。兄上田 耕一郎ともども、ある時期を除いては宮本顕治と「共犯者」だったのです。 『日本共産党史』をE.カー「歴史とは何か」風に読むならば…野望と利権争いに満ちた「権力闘争であったと思います。一時、粛清されていた不破哲三は、奇怪な妥協をしながら虎視眈眈と宮本の「引退」を狙いつづけ、そうして挙句、返り咲いたのです。(彼の所有する資産は目を覆うばかりです。) 第20回大会で「路線の大転換」を整備した後、不破哲三は、>「これを、あくまで〔秘密報告〕にとどめ…略…それをすれば、宮本批判だけにとどまらず、私や他の常任幹部会員への批判、追求も爆発することを怖れるからである。」といいながら、今日でも口をつぐんでいるのです。 ※宮本顕治は、1994年第20回大会まで33年間、共産党における最長不倒翁の地位を占めていました。その登場の不可解さ、粛清の手練手管は、驚くほどに金日成(キム・イルソン)に似ています。 

Commented by ヒムカ at 2014-02-25 22:42    

ちょいと気になって、[海渡 雄一 反原発 都知事選挙]で検索してみた。
と、>「…海渡雄一氏は、選挙直後一本化問題に言及したという。『僕も【お前が降りれば一本化するんだ】と言われて、相当苦しんだけど、宇都宮さんについて最後までやってきてよかった。細川さんに勝てたということは、やはり一本化の議論が根本的に間違ってたんじゃないかと思う』とは…彼らしい。」との記事を読んだ。唖然。茫然。
『社民党』は、もはや奈落の底!福島瑞穂の知恵袋として大活躍していた海渡雄一氏は、東大生時代はノンポリだった。私、会った時、ポンやりしていたので…知人に尋ねると、頭脳は明晰だという。また要領の良い人間であり雑駁ではあるが数をこなすのだという。しかし、私には、あの鈍さは不愉快だった。
2012年衆議院議員総選挙にて、阿部知子を排斥したとき…社民党は壊滅したと思った。
もはや、社民党には硬直した「協会派」(『机上論理』ばかりで実践をさぼるから、『学びの人』と揶揄されている)の牙城である。( 辻元清美の社民党離党は正解だったと思う)
「日共」も、「社民党」も根腐れしてしまった。(歳月の中で形骸化して、内部に全体主義的な権力を作ってしまった)

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規制委の審査で合格が出て、止まっている原発のほとんどが再稼働を始め、柏崎刈羽も浜岡も動き、新設も始まったら、どうやって脱原発するのか。選挙は2年半先までない。宇都宮先生のご訓示の「一回や二回の選挙で負けて諦めるのか」の精神論で済む話なのか。死ぬまで官邸前デモやってりゃいいのか。

at : 2014/02/23 15:22 web から

一基一基と、春に規制委の審査合格が出て、夏に西日本から再稼働がされて行き、さらに柏崎刈羽も、浜岡もとなったら、湯川れい子の言った「これが最後のチャンスだった」が真実味を帯びるんじゃないのか。あのとき、左翼は寄って集って罵倒していたが。 http://t.co/nj3ac3qGDa    
at : 2014/02/23 15:15 web から

再稼働させることは国を滅亡させること。そう分かっているのなら、この選挙で脱原発の民意を明らかにさせないといけなかった。ところが、脱原発を声高に叫んでいる左翼は、小泉の脱原発は信用できんとか言い、脱原発を都知事選の争点にしなかった。脱原発を争点から外し、雇用だ福祉だを争点にした。  
at : 2014/02/23 15:33 web から

左翼が「行動」し「努力」している「脱原発運動」は、それ自体が自己目的で、左翼勢力の維持や拡大のための「脱原発運動」だということだ。本当に脱原発するためはなく、運動を続けて広げることを目的とした政治運動。その「行動」と「努力」は、決して脱原発には繋がらない。再稼働を阻止できない。 
at : 2014/02/23 15:51 web から

現に今回の都知事選で、左翼は狙いどおりに共倒れに持ち込み、脱原発都知事の誕生を結果的に阻んだ。脱原発候補が選挙で負けたことで、都民はそれを最優先課題にしてないという民意になり、「時間をかけて脱原発」の流れが固まった。「時間をかけて」とは、ベース電源たる原発をどんどん動かす意味だ。 
at : 2014/02/23 15:57 web から

4月に入ったら消費税率が上がる。その影響が出て、内閣支持率が落ちると、規制委が審査合格を出しにくい環境になる。皮切り(西日本の1-2基)は早いんじゃないかな。規制委が審査合格を出したら、それを根拠にして安倍晋三は粛々と再稼働指示。止めようがない。どうやって止めるか左翼に聞きたい。 
at : 2014/02/23 16:14 web から
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Commented by ヒムカ at 2014-02-25 22:43    
日本は何処へ行くのか!惨憺たる思いである。
市民は、「左翼」あるいは「リベラル・中道左派」という装いに誤魔化されてはいけないと思う。今回の都知事選挙を総括して、いよいよ、しっかりと自己省察しなければと思う。
しかし、「細川元首相の都知事選出馬」は、確実に「カタルシス」を起こしたのである。2月8日の夜の新宿の演説を、私は決して忘れない。日本も見下げたものではない、まだ希望はゼロではいと確信できた。「細川元首相の都知事選出馬」が、救世主になるとは思わなかったが、しかし、最後まで闘い続けた「市民」がいたのである。
(『変革』のためには、「合理と非合理のたたかいが、一瞬のやすみもなくつづけられる」のですから―【実践の哲学】グラムシから引用)
「歴史的ブロック」の変容は、少数の「カタルシス」が波を打って、強弱を繰り返して実現していくと思うのです。(細川氏は、自分の制限的な役目を認識していたように思います。)

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社会を荒廃させる左右の「マッチポンプ政治」
右翼も左翼もこの国を荒廃させていく二大マッチポンプ政治であることが次第に明確になりつつある。
だが、左翼にとってはいつまでたっても、「国民に自党への依頼心を持たせる」ためのお祭り騒ぎが大切なのであろう。
ただし、無党派市民が街頭にたち活発に活動するとき、左翼はそれを「街頭主義」「プチブル自由主義急進運動」と徹底攻撃してきた。一方で、赤旗や組合旗をたなびかせて、自党の「わずかな動員力」を素人市民に見せつけ、「どうだ、俺たちに声をかけると、華々しくなるだろう? 俺たちに頼ると気持ちいいだろ? 動員数の水増しも俺たちが普通にやってきたことだぜ…真似したらいいんだよ。プロである俺たちを見習え。最初だけあんた方の手柄にしてやるぜ、そのかわり選挙や組織にはしっかり俺らの兵隊を入れて看板宣伝させろよ。見返りをちゃんと寄越せよ…寄越さなかった場合は…わかってるな…」と脇の下をくすぐってきた。
これはもう半世紀以上に亘る彼らの作風だ。

全体主義は左右がそろう時、急速に発展する
街頭で数をもってアクティブに動けば、メディアも絵になる材料として宣伝し、現実がいとも簡単に変わるかのような幻想を市民にも持たせることができ、同時に、選挙での票にも結実すると考える思考方法。
これは左翼の形式思考と化している。一般市民の共感など、どこ吹く風で、組織動員を生業で続けてきた者たちにとっては、10年一日、なんら工夫も必要ないルーティン作業。簡単なことだ。もちろん、市民を潰すときも、恥知らずに「青年同盟」などの組織動員を露骨に行う。まるで、1930年代、街頭で軍隊式行進をして威圧していたドイツ共産党とそっくりだ。ナチスもそれにあこがれて真似た。「全体主義は左右が揃って、はじめて、見事に急速に進展する」という歴史的教訓は、日本人の頭からすっぽり抜け落ちている。今の日中関係をみても、その相似形がわかるというものだろうに…。

「…(前略)…やはり都知事選が割り込んだため、田中俊一が風見鶏をしていたのだ。政治的理由である。自公候補の圧勝となり、脱原発の民意が示されなかったため、田中俊一は茂木敏充の指示に素直に頭を垂れる顛末となった。この基本計画の発表にタイミングを合わせて、テレ朝の報ステが、米国の原発事情について報道、福島の事故の後、米国では20基の建設が中止となり、昨年は稼働中の5基が廃炉になった事実を伝えた。米国の規制委の元委員のピーター・ブラッドフォードが登場、米国政府の方針が変わり、安価なシェールガスの増産を受けて、米国が脱原発にシフトしたことを語っていた。2週間前にTWでも書いたが、米国の脱原発は、新自由主義の論理と動機でキャリーされている現実である。市場原理主義が米国の脱原発をドライブしている。この都知事選で、左翼が毎日のように喧伝したのは、新自由主義の脱原発は信用できないというプロパガンダだった。…(後略)…」http://critic20.exblog.jp/21742176/

「世に倦む日日」のブログ主が言うように、「脱原発」は左翼の専売特許ではない。それを専売特許にしたがる左翼がいるとしたら、それはまさしく「ごろつき左翼」と呼ぶに相応しい。市民的資質が欠如した他力本願主義と偏狭政治イデオロギーに警戒心の少ない層を囲い込んで党生活者の既得権益を維持しようとする「貧困ビジネス集団」といえる。世界の将来など何一つ真剣に考えようとしない、「わが党だけが」主義。
そして、それは、個別問題では、かなり露骨な、癒着と裏切りを繰り返してきた「業界左翼政治」の正体だ。

【参考資料】
世間で正義派やリベラルといわれるほど怪しいという証拠。これだけの売名的、欺瞞的嘘がある。
ちなみに宇都宮氏はこの中坊氏を「目標」にしているらしい。(2013.5.6毎日新聞記事)
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-enokibara-keijiban-memo.htm
森永ヒ素ミルク中毒事件資料館は、中坊公平氏が流布し、訂正もせずに終わり、ゆえに未だに一人歩きを続ける巨大な嘘を、見逃し、許すことはできないとして、彼の公人としての言説に批判を加え続けている。
中坊公平氏の逝去報道に沸く5月6日の毎日新聞で、
「…(前略)…一方、森永ヒ素ミルク中毒事件資料館…は、(中坊氏は)近年、著書などで『被害者は(被害を補償した)森永乳業に感謝している』と受け取れる発言をすることがあったといい、『被害者感情を逆なでする発言で、批判は多い』」 と批判した。

「被害救済」などと看板をみめ麗しくひけらかしても、組織幹部権益を最優先する民主集中制
が市民運動を占拠し、閉じた回路に転向すると、こんな酷い有様に行き着く
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-higaisya-dantai-no-huhai01.htm

検証:弁護士の言説
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/bengosi-igi.htm

弁護士は神様か? 被害者弁護団への疑問
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-bengodan-no-mondai.htm
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(※1)
「フルシチョフ秘密報告」をもじって「不破哲三の告発」というフィクションスタイルをとり、彼を含む共産党の粛清体質を事実に基づいて告発した宮地健一氏のノンフィクションレポート。
まるで旧日本軍内部で常態化していた私刑(リンチ)そのものである。戦後において、「平和と民主主義を唯一スジを通している」と自称する党派内部でやりたい放題に展開された暴力査問、イヤガラセ、いじめ、学者党員への言論弾圧、原水協など表向きの党外団体にまで及ぶ徹底粛清など、彼らが美辞麗句を尽くして粉飾する所謂「民主団体」の醜悪な有様がリアルに暴露されている。
特に、小田実氏のべ平連運動などの市民運動をターゲットにした文学系団体への粛清、労働戦線での自党のシェアを確保するために行われた粛清。1982年頃から強烈化されたそれら。
森永ヒ素ミルク中毒事件で、露骨に加害企業と結託する形でなりふり構わず強行された言論弾圧の10年間の事象と非常に酷似している。そしてまた、その不正の歴史に関して「口にチャック」し、それをむしろ正当化しないと未だにやっていけない民主集中制勢力の内実は、「不正な国家権力の補強手段と化した業界左翼」の名称が相応しい。
森永ヒ素ミルク中毒事件闘争50年史
被害者団体の幹部が創設者を弾圧しながら、加害企業側へ公然内通
~民主集中制とそれに利用される腐敗勢力~

市民たちの、この叫び
ブログ「NY多層金魚」http://nyckingyo2.exblog.jp/20374289
この度の都知事選は、日本政治史のなかで、もしかしたら数世紀に渡り語り続けられるものになるかもしれない。ナチ体制の完成の下支えとなった、ワイマール共和制崩壊前夜のドイツ共産党の「大躍進」のように...。自己の傲慢と閉鎖性に気づく回路を持たない「政治的一神教」が沸いた束の間の「大躍進」のように...
政治のフレームワークを単純比較した時、似通ったものを感じる人も多いだろう。

だが、日本の市民は、80年前の金融危機と内乱が常態化した、追い込まれた欧州政治の野獣的で暴力的な状況とは異なり、多元的な価値観を尊重する冷静さを有すると期待したい。
日本のような政治状況は他国でも頻発している。例外的な異常ではないかも知れない。
だが、唯一異常なのは、一般的人間集団としても腐敗しきったマルクス主義系政党が大手をふって、市民社会の成長の前に立ちはだかり、全体主義復興のマッチポンプとして相手を自己の補完物としながら見事に機能している点だ。

「するつもりもない革命」で世俗的野心に煙幕を張る自称「革新」
それに対抗する最短の道は、市民が自らの「市民的資質」を鍛え上げ、政治を真剣に考え、実践することから風穴を開けることだ。
百年近い不正な宣伝扇動スキルの蓄積で鍛えられてきた「腐敗左翼ムラ」のプロパガンダを打ち砕き、権力の不正の根幹に焦点をあわせるためには、市民の政治的スキル、政治的リテラシーが欠かせない。
日常のなかに市民が政治的なるものをとりもどし、持てるスキルのすべてを投入して政治の改善活動に参与していくことが、とても大切だ。革命などは必要ない。「するつもりもない革命」を、自らの世俗的野心のカモフラージュのために口にする諸党派とその運動員より、目の前の改善を実現することの方がはるかに技量と勇気が必要だ。それには日常の仕事で培われた市民の幅広いスキルと人脈が欠かせない。
一方で、既成の「自称無党派というプロ市民」という概念も当然、批判の遡上に上ってくる。
重要なテーマは「市民的資質」の成長。その宿題は、最近提示され始めたばかりだ。

「頼る政治」からの脱却
マルクス主義的世界観、その組織観である民主集中制的思考方法、それと決別できない「考えない独善的プロ市民運動」、現実政治にコミットする力のないぬくぬくとした「業界左派的知識人」がどれだけ一般市民の願いを弄んでいるかが鮮明になりつつある。「頼る政治」のもたらす閉塞があからさまとなっている。

このようなブログや問題提起が盛んに行われ、他力本願政治から、自ら作る政治、開かれた市民運動へ、或いは、ムラ社会化防止に挑戦する新しい政党運動や政治的結集軸への転換が図られていくことに期待をかけたい。それこそが、未来に希望を見出そうとする人々にとってはとても刺激的で、愉快な試みではないか?
しかも、それしか、平和が生き残る道はないように見える。熱狂に翻弄されるだけの、考えない人間集団には安心できる未来は訪れない。
 

ブログ「世に倦む日日」で以下のような論稿が発表された。(2014.2.18 23:30)
現在の政治状況をよく捉えた重要な問題提起だと思われるので、一部をご紹介したい。

「左翼の壊死 - ミネルバの梟、大江健三郎と辺見庸、ノーサイド」
http://critic20.exblog.jp/21691135/

「…(前略)…結論から言って、宇都宮健児の立候補と一本化拒否は、市民に対する裏切りであり、戦争へ突入しようとする安倍晋三の権力への左側からの幇助と加担の政治的行為だ。左翼は自らそれを選択し、正当化し、その政治を強行し、その錯誤を阻止すべく動いた市民や知識人を乱暴に排除し封殺した。卑劣な脅しをかけて屈服させようとした。<業界左翼>、<東京左翼>、<学閥左翼>の三範疇が広く人口に膾炙されるとき、「左翼の壊死」は確信となり通念となることだろう。 
…(中略)…
マルクス主義は日本では死亡している。今日、このことを疑う者はいないはずだ。NYSEの暴落でも起これば、2008年のリーマンショック時のように、経済学の分野では一人か二人が息を吹き返し、マスコミや論壇に顔を出し、マルクスの世界恐慌論の予言を紹介する場面があるかもしれないが、少なくとも政治学ではそれはない。マルクス主義の蘇生や復活は絶対にない。死滅している。今回、漠然と思いが浮かんだのは、大江健三郎と辺見庸という問題だった。1月からの一本化論争で、大江健三郎が発言する機会がなかった。鎌田慧と澤地久枝が一本化に奔走する中で、3.11以来、日本の脱原発運動の先頭に立ってきた指導者の大江健三郎が、一本化に賛成とも反対ともコミットすることがなかった。賛成と言わなかったことも残念だし、それ以上に、この重要な問題で口を閉ざし、局外中立に身を置いたことに私は不本意だ。若くて先のある政治家の山本太郎が、ここで沈黙を守るのは仕方ないし、賢明な保身の選択と言える。しかし、79歳で戦争体験のある大江健三郎が、83歳の澤地久枝や99歳のむのたけじの絶叫を聞きながら、無言で通して場を凌ぐということが許されるだろうか。一本化派の市民も、反一本化派の左翼も、大江健三郎の言葉を聞きたかっただろう。結論は中立でもいい、反一本化(宇都宮派)でもいい、結論ではなく、この重大な事件に遭遇した責任的当事者として、大江健三郎の思考と判断を知りたかった。

大江健三郎は、知識人としての責務を引き受けて、ここで言葉を発するべきだっただろう。どんな発言をし、どんな立場に立ったとしても、必ず非難と罵倒の攻撃のみが返ってきて、苦痛と屈辱だけが残る結果になったに違いない。けれども、知識人はそこで態度を示し、責任を果たさないといけない。今回の問題は、単に脱原発にとってだけでなく、それだけ大きな歴史的転換点だった。最近、辺見庸は、戦後左翼の欺瞞を口汚く罵る中で、大江健三郎の名前を挙げて指弾していた。私は、このことを不快に感じ、記事でも指摘していたのだが、今回、<業界左翼>、<東京左翼>、<学閥左翼>と、心の中にあった言葉を書き並べ、柱にして地面に打ち立て、3本の柱の上に視座を設定して眺めると、見方が逆転して辺見庸に接近していることに気がついた。大江健三郎は、どうすれば脱原発を果たせると思っているのだろうか。毎回、「さようなら原発」の集会の演壇でスピーチをしながら、この国で脱原発をするのはいつで、それはどんな政治だと考えているのだろう。もし、宇都宮健児と同じく、「一回や二回の選挙じゃできない」「何十年も運動を続けることが大事」という考え方を持っているのなら、脱原発運動の指導者を任せることはできない。市民運動を党派の道具にすることは、知識人が率先して阻止すべきことである。
…(中略)…

今回の都知事選も、時間の流れの中で埋もれ、土を被され、なるべく掘り返されず、検証や意味づけをしないように、つまり一人一人が忘却に努めることになるだろう。この政治戦で、少なくない者が傷ついたはずで、さらに傷つく事件が続くだろう。傷つけば傷つくほど、人はそれを忘れようとするのである。ノーサイドだと言うのだ。今後、都知事選については、ノーサイド主義が跋扈し、総括はするなという圧力が左翼の<業界>を覆うだろう。


何となれば、真摯に正面から総括に及べば、<業界>が壊れてしまうからである。左翼の<業界>に寄生している者たちには、それはメシの食い上げであり、したがって、ノーサイドを喧伝して割れた皿にガムテープを貼るしかないのだ。
…(中略)…
今回の都知事選は凄絶な内ゲバだった。36年前の1978年の京都府知事選も、基本的に内ゲバの政治事件である。内ゲバと厳しい敗北。敗北が、次の政治の条件を作る。」

(太字化は当ブログ管理者が実施した)

【資料】
「業界左翼」が市民を攻撃する姿と(元)取り巻き達の「見て見ぬふり」のリアル…
【市民が岡山地裁へ提出した公文書】
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/nose-sosyou-genkokugawa-jyunbisyomen3-pdf.pdf
「左翼ムラ」の政治犯罪は以下の裁判で原告市民が提出した公文書に明確に記載されている。
→結果は一般市民側の勝訴
能瀬訴訟一審 http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/nose-sosyou.htm
能瀬訴訟控訴審 http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/nose-sosyou-stage2-kousosin.htm 


世に倦む日日へのトラックバック
ブログ「NY多層金魚 = Conceptual Blog Kingyo
  風の歌、波の歌、雪の歌を聴け!  http://nyckingyo2.exblog.jp/20374289
ブログTokyo Letter: Whither Liberalism?
  執拗な一本化批判の真意 http://tokyoletter.info/?page_id=476
   「市民運動政治」の失敗 http://tokyoletter.info/?page_id=504



「…非常に頻繁にあることだが、多数派よりも無遠慮で手段を選ばぬ乱暴な少数派が秩序を強制し、その結果、この秩序が当初の反対派に対しても正当なものとしての効力を持つようになることがある。投票が秩序の創造や変更の手段として合法的である限り、少数者の意志が形式的な多数を得て、多数者がこれに服従すること、つまり多数決が外観だけに終わることは珍しくない。…」
(M・ヴェーバー『社会学の根本概念』岩波文庫 訳:清水幾太郎)


今回の都知事選についての興味深い論稿が出ている。
  ブログ「世に倦む日々」   http://critic20.exblog.jp/
    その
コメント欄に寄せられている市民の声がさらに興味深い。

「共産党を中心とする左派にはがっかりした。一本化を求める方々への誹謗中傷に始まり、選挙後の言い草までを含めて、まさかこれほど酷いとは思わなかった。今回の知事選でよくわかった。彼らはこの国の平和を守ろうなどとは思っていないのである。市民の味方などではないのである。始末の悪いことには、そのことに自分たちで気づいていない。彼らは正しさのためになら戦争だってするだろう。つまり、根っこは極右と同じなのである。周囲から批判されればされるほど、頑になり、内部が団結し、凶暴になる様は、まさに安倍政権の日本の今と瓜二つである。そして最大の問題は、極右と極左に取り込まれている若者が少なくないということだ。」
(※1)

ただ、今回の都知事選の経験を通じて、日本の市民運動が、以下の本音の吐露に見られるような党利党略的、政治的詐欺行為を見破る経験を積んだのだとしたら、宇都宮氏ほど歓喜する必要もないが、それほど絶望する必要もない。


宇都宮氏が一番意識していたコト : 「元首相連合に勝った。達成感がある。」  → http://saigaijyouhou.com/blog-entry-1781.htm

民主は反省、共産「大健闘」 都知事選を総括
2014/2/10 20:02 日経新聞
 民主党の海江田万里代表は10日、東京都知事選で実質支援した細川護熙氏の落選について「もっと早い段階でオーダーが来ていればいろんなことができた」と述べた。出馬表明が遅れたこともあり十分な支援ができなかったとの反省だ。幹部は支持団体の連合と足並みがそろわなかったことに触れ「関係修復が今後の課題になる」と語った。

 共産党の志位和夫委員長は10日、同党が推薦した宇都宮健児氏と党本部で会談し「大健闘だ」と総括した。宇都宮氏は「元首相連合に勝った。達成感がある」と伝えた。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1003N_Q4A210C1PP8000/

(※2)


小泉元首相への拒否反応? 末端党員はそれで盛り上がるが、思考方法の源泉は違う。なぜこうなるか? 歴史を探ってみる。
共産党は、今や先進国にはほとんど存在しないが、元々は、社会主義革命体制を防衛するためにソビエトがモスクワに本部を置いて設立した「コミンテルン」(国際共産党)の「各国支部」として発足したものだ。ソビエトへ敵対するならば貴兄の国内で同様の内乱を促しますよ、という逆転の脅しである。
その
日本支部として発足した日本共産党。当時の各国共産党の中でも、最もコミンテルンに盲従する作風であったその姿の源泉は、当時の神がかり的軍国主義に同化した日本国民全体の傾向に内在すると指摘するシニカルな見方もある。

ナチス台頭をチャンスと捉えた昔日のドイツ共産党の姿と重なってきた。
(市民運動に浸透する場合は、一時的にそれを隠す)
コミンテルンを出自とする共産党の行動原理が最も分かり易い形で「視える化」されたのが、第二次世界大戦前夜のドイツ共産党である。
当時もっとも先駆的な民主制と言われたドイツのワイマール体制下で、労働者の支持が少なかったドイツ共産党は、あろうことか露骨な「ナチス必要悪」論を基本戦略として保持していた。
それはコミンテルン型共産党の特性が発揮された「社会ファシズム論」(社会民主党に主要な打撃を加える)に象徴されている。(「社会ファシズム論」は
歴史研究者には目新しい事実ではないが、教科書でさらっと通り過ぎた人には、聞きなれない言葉かもしれない。当時のドイツ共産党がナチ政権の登場を内心チャンスとばかりに期待さえしていた、という恐るべき無節操~今に続く共産党の超セクト主義の源泉~を以下に示しておく。)

コミンテルンの 「マヌイルスキーは1932年1月に、
ナチスは社会民主党の組織を破壊するがゆえにプロレタリア独裁の先駆であると言ったが、ドイツ共産党のレンメレはそれに応じて、ナチスの政権掌握は必至であり、その時共産党は静観するであろうと述べた」
(『ワイマル共和国』中央公論新書より)

ひらたく言えば、「先にナチスに政権をとらせれば、ドイツ社会は混乱し、国民は、最後には“最も対極で批判しているように見える”共産党に “共産主義だが、今の状況では投票先として仕方無いな”」と、すがって来ざるを得ないだろう。そのためにも、極右の政権掌握を看過し、漁夫の利を狙え」 という発想だ。


社会の二極分化に歓喜する、イデオロギー党派の変わらぬ習性
社会が混乱し極右が跋扈すれば、これまで穏健だった人民は、対抗馬としてより過激な思想政党を支持することも止む無しとの感覚に走りやすくなり、社民党支持の労働者も左右に割れるだろうとのマルクス主義者の期待感だ
。(まさに、全体状況を見ることなく、敵を、自党に擦り寄ってこない市民運動に設定し、落選しても、市民を押しのけて二番手につけたことを無条件に心から嬉しがる思考方法と同根である。) (※3)
もちろん「過激化した国民の支持もかっさらうチャンス」だと必死になっている姿もありありと見える…。

これが、日頃は見向きもしてくれない共産主義政党に支持を集める一番手っ取り早い方法、という安直な発想である。人民の願いとは関係なく、人民の願いを助けるふりをしながら人民に近寄り、自分たちの勢力を拡大する根城にする無限の運動を続ける。“人類を共産主義社会に導いてくれる「前衛党」の躍進が最優先事項” だと信仰している共産主義政党党員・支持者の頭の中では、このことに、なんら疑問をはさむ余地は生まれない。
もちろん、当時のドイツは社民党が共産党より圧倒的に優勢であったがために、社民党に主要打撃を加えるという、尾篭な発想になっただけで、現在の日本のように社民党が廃れている現状では、その逆、社民党を下請けがわりに配下に置いているように見せる作風を選ぶだろう。

自党を神聖化し党派的利害を最優先にする政治的作風。
要するに自党の利益になるのならどことでも手を組む(
裏でも手を組む)が、自党に利益にならないのなら市民であろうが被害者であろうが弱者であろうが、徹底的に敵として扱い、中傷と謀略でもって排除する、というわかりやすい独善性だ。
そういう意味ではそこらへんに転がっている世俗政党と同程度か、それよりはるかに下卑た存在ともいえる。(事実、共産党はいつも言い訳に困ると「資本主義も他党の人もウチと同じようなことをしているではないか」といわんばかりの言辞を平然と口にして自己を疑うことを知らない)

いずれにしても、ナチス政権登場の責任の相当程度が、政界においては共産党及びコミンテルンにもあるというのが前述の史実から導き出される歴史学上の評価だ。



1930年代ドイツを連想し始めた市民たち
「21歳、就職活動中の子供がいます。初めての選挙ではいち早く三宅洋平に注目していたので、ネットウヨクタイプではけして無いのですが、今回の都議選では宇都宮と田母神のツイキャスを見ていた、都内では無いので投票はしないのですが、若い人たちが注目していたのは、この二人という状況は全国的にあると見るべきです。
立場としては対象的ではありますが、若い人たちに対してのメッセージを明確にしていたという共通点もあり、一方で、田母神が持つ右翼性に嫌悪を感じる親の世代とは別の認識があり、彼らの持つ閉塞感に訴求するものをもっているという危機を感じました。
1930年代のファシズムが浸透したドイツに酷似した状況です、一つ一つ負けが重なることで抜き差しならない事態に陥りつつある。」
ブログ「世に倦む日日」 http://critic20.exblog.jp/21661485/ 
Commented by かまどがま at 2014-02-17 09:50

「都知事選の一連のTWとブログを読ませていただき、中野重治の転向について、石堂清倫氏の書かれた文章を思わず読み返しました。


戦時中も最後まで国民の支持を得られず、孤立していたに過ぎない姿を
反省もなく「売り物看板」で使い倒し、唯我独尊の合理化に利用する共産党

ストライキ等で実際にナチスと共闘していたドイツ共産党。精神的連携だけでなく物理的共闘にさえためらいは無かった。ナチスはナチスで、穏健な社会主義政党の支持者をもぎ取るために、共産党の政治スタイルを徹底的に研究し、真似していた。 

共産党は平和と民主主義の党?今や都市伝説並みの信仰といえる。
実際の混乱期には共産党よりもプロパガンダにたけたデマゴーグが民衆の心をよくつかむ。共産党は似た者であるがゆえに、すぐに弾圧され淘汰されてしまう。共産党は市民運動を敵視し、中間層による改善と変革の芽を摘み取る全体主義の補完物として機能しておきながら、「似たもの同士の対極」から弾圧されたクダラナイ経験を「唯一の反戦平和の勢力だった」かのように独善的な歴史観として振りまき、それを「困ったときの神頼み」「売り物」にして世渡りをしている。とんでもない勘違いをしている面々だ。かつての日本でも、戦争や軍国主義を拒否して満州や南方に玉砕要員として派兵された無党派の自由主義を重んじた国民がおびただしく存在する。共産党がコミンテルンの下請けとして世間知らずの青二才が革命を金科玉条の最終目標におき、その戦術として「平和」を謳った事や、国民には意味不明な路線闘争や論争に明け暮れ、最後まで日本国民の支持を得られず、孤立していたに過ぎない事実。それが彼らの言う「共産党・だ・け」の実態である事をしっかりと思い起こす必要がある。

「ナチにまず政権をとらせよ、その次が、わが党(共産党)の出番」─

この思考方法に未だに変化がないのは、今回の都知事選のあとの宇都宮氏の言辞、「元首相連合に勝った。達成感がある」といった極狭視野的発言に端的だ。この底知れぬ傲慢な唯一主義。酷似する昔日のドイツ共産党の行動を、コミンテルンとスターリンに責任転化し、汚れた過去を葬ったつもりになっても、結局、本質的にそれと変わらぬDNAは隠せない。むしろ、日本の最新の政治情況に形を変えて見事に反映され、安部政権の言動のなかで、水を得た魚のようにひとり調子に乗って唯我独尊の政治的作風を社会に拡げようと必死である。この傾向を軽視してはならない。

彼らの昔日の成功体験…「社会が大混乱する非常時」には、一時的に支持が得られたという記憶。だが、いつまで待っても「非常時」が来ないとなるや、穏健路線を売り物にして選挙戦術を駆使して「革新府政」「革新都政」で統治側に立った蜜の味は今も忘れられないことだろう。今回の共社連合は、その「昔の夢」を追いかけたい夢想に基づく無節操が生み出したものだ。すでに仕込みは、3.11を党勢拡大の「千載一遇」のチャンスと捉えた共産側からはじまっていたと感じる人も多いだろう。

「共産党は他の世俗政党より多少ともリベラルではないか?」と期待をもった時点で彼らの罠に片足を突っ込んだ状態だ。大局的には政治権力の子飼いと化し、不満吸収代行党派と化した勢力が、現世の利益と癒着しその権益を守るために自党を神聖化して独善主義にまみれた場合、まじめな市民をどこまで混乱させることになるか?…底知れぬものがある。しかも、すでに欧州政治ではかなり克服されつつある特殊アジア的な腐敗の形状であるから、穏健市民にはすこぶるわかりにくい。彼らを味方と勘違いしてカラまれて傷つく体験をしないと見抜けないほど、非常によく出来たところの、「科学」という言辞を乱用するカルト的政治思想である。しかし、東アジアの片隅で、日本の市民はいつまでこういう堂々巡りを体験させられ続けるのだろうか。先が思いやられる。

左右が歓喜する状況。それが最も危うい状況。
今後、極右勢力の跳梁で大衆が両極分化する現象を心密かに期待するといった彼らの「漁夫の利」的思考方法に一層拍車がかかるかもしれない。
その思考方法の源泉は、共産党が自己を人民の上に置き、自己を絶対視する唯物史観の「歴史発展法則」信仰にある。(※4)
市民は、こういう信仰に支えられた特異な政治集団と一刻も早く完全決別する必要があろう。
そして、「民主集中制にもマルクス主義にも依拠しない」、つまり自党を人民の上に置かず、「人類を究極理想目標へ導く前衛党」などというおこがましい言辞と決別し、他者からの「批判という改善提案」に対して開かれた対話の回路を有する全く新しい政治哲学に基づく複数の政治的結集軸(選択可能な複数性・多元性を有する)を構築することが求められている。(※5)

それが出来なければ、日本は、形を変えた「ワイマール共和制の崩壊」を再度経験する羽目に陥るかもしれない。

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(※1)
共産党の横暴に苦しんだ経験を持ち同党を観察し続けている人々の中で、共産党を「政治的左派」と捉えている人は皆無に近い。
むしろ…
 「マルクス主義の
ドグマである歴史法則主義という一神教的世界観のみをフレームワークのツールとして利用しながら末端党員の精神構造を「閉じた回路」で統制し、独善と傲慢に陥った党生活者たちの現世の利益を守る事を当面の最優先事項としている所の、単なる体制補完政党に過ぎず。」
との認識が広く存在している。
だが、共産党の本性を内部的に間近に見る機会の少ない一般国民の一部は、「さしずめ何でもありの美辞麗句のオンパレード」に幻惑され不満の矛先として投票するか、あるいは多くの国民は「共産党」の看板を掲げている限りで「腐っても左翼」と捉えるだろう。もっとも、今回の都知事選で共産党が社民と組んで躍り出たことで、「左翼とはこういう本末転倒したモノの考え方をする人たちだ」…そういう捉え方が、原発という象徴的な社会悪を問題視する一般市民の中にも伸張するのは目に見えていた。そういう意味で、悪質な権力層には非常に便利な目くらまし政党であり、開かれた回路を持とうとする部分の政治的左派やノーマルな市民運動にとっては本来、第一優先で決別・克服すべき対象とテーマであったはずだ。今回、社民党も団子になって踊ってしまったようだから、ますます共産党いや、権力機構の思うツボにはまったと言ったところか?)
但し、仮に、マルクス主義の解釈はその信奉者の数だけ存在するという解釈の自由を前提にし、「共産主義など毛頭実現するつもりもないがマルクスの名だけは利用して世渡りしている」勢力をも、「マルクスの信奉者」と定義するという前提に立つなら、日本共産党も立派な「左翼」の一員だ。

【左右が同じ穴のムジナになるケースは、
水俣、 そして、森永 1.安部政権と森永製菓   2.民医連という組織 でもリアルに証明されている。もはや「左派」云々というより、「政治的詐欺師」の名称が相応しい。】

(※2)
候補一本化問題とは別に、明確になったこと。
候補一本化云々は、候補者の質やタイミングで叶わぬこともあるかもしれない。共産党が参戦したことでその可能性はほとんどゼロになったが、それでも働きかけを続けた人々の気持ちは理解できる。

だが、宇都宮氏も「脱原発」を高々と旗印に掲げ、このたびの選挙で敗北して公約を実現できなかったのだ。もし彼が有権者に責任を持つ精神を有しているのなら、その事実に対して、深刻な反省と総括を述べるべきその時に、“私の本命の競争相手は、無党派市民が推した細川・小泉の元首相連合でした。その連合よりも得票が上回って、落選候補のトップ入りが出来たことには、この上ない達成感があって、嬉しい”...と言わんばかりの突拍子もないコメントである...。

まるで当選候補が見せるような満面の笑顔をみせながら、共産党の幹部と握手している姿。ある意味、素直に本音を吐露したのだろうが、まれに見る醜悪さだ。


(※3)
都知事選を比較的冷静に観察しているフリージャーナリストが、宇都宮陣営のいびつさを指摘。
「…宇都宮陣営の街頭演説では共産党の地元議員や国会議員が“ 前座 ”を務めた。
 「派遣法を改正(改悪)して多くの非正規労働者を創り出したのが小泉政権」「細川さんは佐川急便からカネをもらった人」…彼らは必ずと言ってよいほど「小泉・細川(中道保守)」を批判した。

 そしてそれは効を奏した。都知事選に限っていえば中道保守は駆逐されたと言える。共産党が唱える「自共対決」は実現したと見ることもできる。…」

http://tanakaryusaku.jp/2014/02/0008761  田中龍作ジャーナル
田母神候補と宇都宮候補の間を行ったりきたりしてさまよう若者が数多く散見されたらしい。
まさにワイマール共和制の落日期を彷彿とさせる光景だ。こういう事態に内心歓喜するのが共産主義。


(※4)
民主集中制の意思決定にしたがう人間は…「脊髄反射で生きているよう」 に見える。
「ツイッターに跋扈している宇都宮支持者たちを左のネトウヨというのは言いえて妙だと思いました。
彼らを納得させる説明がなかったことも事実ですが、例えば「特区」と言うとたちまち(おそらく彼らを煽っているアジテーターが政党側にいる)「ほら、あいつらやっぱり言い出した、非正規雇用、首切り放題の特区」と大騒ぎをする。あげく「あいつら脱原発とか言いながら、本当は首切り放題の特区を作るのが目的なんだ」と。そんなことやりたいなら、わざわざ楽隠居やめて出てこなくても安倍や今やそのブレーンの竹中がやってくれるでしょうに。
私は3・11以後半年くらい自分なりに原発について勉強したことがあって、地域独占と総括原価方式が諸悪の根源だという結論を得ました。おそらく細川小泉両氏も同じ事を考えたと見え、電力自由化をやれば、効率よく安い電力を供給することが可能だと考えたに違いないのです。原子力ムラが言っている原発は安いというのは嘘八百なのです。そのためのエネルギー特区。なのですが、彼らを説得することなどできはしないでしょう。何か脊髄反射で生きているような感じがするので。」
…言いえて妙。事実、カルト的政治イデオロギーに取り込まれた面々の特徴的姿だ。
ブログ「世に倦む日日」 http://critic20.exblog.jp/21661485/    Commented by 梅子at 2014-02-14 13:25

「今回の都知事選で、脱原発という争点が左翼勢力にがんじがらめになってしまったような気がします。

脱原発を本気で成し遂げるためには、イデオロギーや所得階層にとらわれない、幅広い支持が無ければ無理です。3・11後ににわかに言われ始めた「脱原発に右も左もない」の実践が必要です。

しかし都知事選における細川・小泉氏への宇都宮サイドの攻撃が表すように、今後左翼以外で脱原発を掲げても、「お前たちの脱原発は認められない」と、おそらく攻撃の対象になる。

世に倦む日々さんがツイッターで仰っていた、「新自由主義者の脱原発」も、経済合理性の観点からは大いにあり得る(実際古賀氏などは脱原発)のですが、左翼勢力は彼らを認めないでしょう。

このままでは脱原発が左翼の所有物、おもちゃに堕ちてしまいますよ。」
ブログ「世に倦む日日」 左翼の壊死 - ミネルバの梟、大江健三郎と辺見庸、ノーサイド
http://critic20.exblog.jp/21691135/
Commented by pp at 2014-02-18 18:04

(※5)
市民運動を奪取するまでは、「共産党云々なんて言っている時ではない」をレトリックとして常用。
日頃は執拗に「わが党だけが…」の党が、「共産党を意識させないように」煙幕を張る時期。
「左翼とは?、左派とは?を徹底的に議論し、整理していくべきときです。最近共産党の周囲は自ら、「いまどき共産党が云々なんて言ってるときではない」などという発言をします。巧妙なレトリックです。これは共産党が、市民運動に介入し、完全に乗っ取るまでの過渡期で多用する言辞です。

何かを改革しようとする広範な市民運動が発生した場合、かならず共産党という党派は急接近し、かならず市民の「公開と透明性を保障しようという、ゆるやかなネットワーク」に対して、さしずめ「暴れん坊将軍」様の高慢ちきな姿勢で殴り込みをかけ、お得意(お得異?か)のプロパガンダで、自党の党利党略のための仕掛け(時には謀略)を展開します。これは他の事例でも公知の事実です。」
さすがプロパガンダを毎日生業としてやっているプロは、手口も手が込んでいる。
ブログ「世に倦む日日」http://critic20.exblog.jp/21655588/ by やより at 2014-02-18 11:56


共産主義者とナショナリズムに関して、「国内の階級矛盾を解決する代わりに対外侵略を断行せよという排外ナショナリズムが、自由主義者からも社会主義者からも一つの抵抗もうけることなく見るみるうちに世論を形成し、それが頂点に達したとき、九・一八の満州侵略軍事行動が開始された。」

これの2014バージョンが都知事選!?」

ブログ「世に倦む日日」 左翼の壊死 - ミネルバの梟、大江健三郎と辺見庸、ノーサイド
http://critic20.exblog.jp/21691135/  Commented by 長坂 at 2014-02-19 20:49

スターリン時代の大粛清(2千~3千万人規模)の調査などを進める
ロシアの人権団体「メモリアル」などが政治弾圧を受けはじめた。

100年たっても、未だにロシアの市民社会の成長を阻み、
国民を苦しめ続ける、「共産化実験」の後遺症。



2009年 12月24日
ロシアでの国際人権団体がサハロフ人権賞を受賞
【アムネスティインターナショナル】
http://www.amnesty.or.jp/news/2009/1224_1105.html

   ↓↓↓↓↓↓ そして昨年あたりから… ↓↓↓↓↓↓ 
2013年 
03月31日
ロシアでの国際人権団体への相次ぐ強制捜査
ロシア政府:人権団体などのNGO事務所を捜索 規制へ

【毎日新聞 モスクワ大前仁】
    ロシア政府が、外国から資金援助を受ける国内の非政府組織(NGO)の事務所を相次いで捜索するなど本格的な規制に乗り出した。昨年3月の当選から1年が経過したプーチン大統領への批判的な言動を封じる狙いだが、欧米諸国の批判を呼んでいる。

  露連邦検察庁などは3月下旬、国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」や、ロシアの人権団体「メモリアル」の事務所を予告なしで訪問。昨年11月に外国の基金を受け取り「政治的な活動」を行うNGOに対し、「外国の代理人」として登録し、活動報告を義務づける法律が施行されたことから、書類の提出などを求めた。ロシアメディアなどによると、100近くの団体が過去1カ月で捜索を受けた模様だ。

  一方で、プーチン大統領は3月30日、市民社会の発展などに貢献しているNGOを対象に、総額約30億ルーブル(約90億円)の支援を拠出する大統領令に署名。NGOが政権の意向に従って活動する場合は援助していく方針を示した。

  一連の動きについて米国務省のヌーランド報道官は3月28日、「前例のない検査を深く憂慮している」と指摘し、さまざまなチャンネルを利用してNGO支援を模索していく意向を表明。ドイツも自国の関係するNGOが対象となったことから、ロシアに抗議している。

  プーチン大統領は11年末の下院選を発端にした反政権運動について、欧米諸国が支援したと糾弾し、米国から支援を受けていた国内のプログラムを昨秋、相次いで閉鎖した。
http://mainichi.jp/select/news/20130401k0000m030065000c.html


「強権的で不実、閉鎖的。市民社会の発展を最大限に妨げた」
【参考資料】  《 地球人間模様 》   人生変えたスターリン批判 83歳行動の人
人権活動家リュドミラ・アレクセーエワ(83)
http://www.47news.jp/47topics/ningenmoyou/77.html
(記事補足→実際には革命直後から1920年代にかけても、強制農業集団化政策などで、膨大な国民が餓死し、路上の死体を人間が食いあさるといったような想像を絶する貧困が全土を覆った。これはスターリン粛清開始前のソビエト革命体制自身の問題点であるが、この方はそれ以後のお生まれのため、記事ではロシア革命直後からの残酷物語の詳細については割愛されている)

   もし...ロシア国民が、社会主義革命直後に「“人民の利益” のためには全土的飢餓と国民の大量死もいたしかた無い」とするイデオロギーの正体を冷静に追及する観察能力をもっていたなら…、もし…物事を多面的にみて、世界は多様な価値観で構成されているものだ、という事実を認める能力を有していたなら…共産党の暴虐をある程度は防止することもでき、ロシアはもっと違った道をたどることができたかもしれない。
    だが残念ながら、一端、共産党を支持するに至った人々が、独善と傲慢の閉じた世界に囚われ、多様な政治的価値観を容認しえない状態に陥る共通した傾向は、東アジアの現状をみても歴然としている。更に、マルクス主義に内在する暴力と独裁への両義的態度は、対極の資本主義が生み出す全体主義的傾向をも実質的に免罪し、相互作用に基づく暴力の拡大・連鎖にも拍車をかける。左右の全体主義の増長は、国内外を問わず、お互いを必要不可欠の存在理由にする。ちょうど現在の日中関係もそれに似た構図を見せているのかもしれない。
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スターリン粛清の調査はロシアでも始まったばかり。それが再び封印されようとしている。
【参考資料】森永ヒ素ミルク中毒事件資料館  WEB版 「新しい自由と民主主義論」
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-book-new-democracy.htm
著:ノーマン・M・ネイマーク 主題:「スターリンのジェノサイド」訳:根岸隆夫  発行所:株式会社みすず書房 →ホームページ 発行日:2012.8.30 第1刷発行
 「…スターリンとその取り巻きたちは、このすべてのジェノサイド的攻撃をマルクス=レーニン=スターリン主義の教義に結びつけ、どれもおなじような警察、司法手段、司法外手段を使って実行した。そしてこれにはソヴィエト共産党と国家機構の両方が関与した。ボルシェビキ革命がつくりだした権力と支配の驚くべき実行手段として秘密警察を、スターリンは自分の反対者と想像上の潜在的反対者を弾圧するために動員した。1930年代と40年代はじめのスターリン統治の結果として、無実の数百万人が銃殺され、餓死させられ、強制収容所や強制移住地で死んでいった。今や、この物語はジェノサイド史のなかで大きな一章を割く時が熟している。…」
 ボルシェビズム/レーニン主義共産党の内部統制の別名「民主集中制」のおぞましいエッセンスが未だに大手を振るっているアジア世界で、日本共産党や各国共産党のDNAを考える上で不可欠の書。しかもコンパクトにまとめられている。
 ネイマークは、国連ジェノサイド条約が大国の思惑から「政治・社会集団への大量虐殺」をジェノサイドのカテゴリーから除外したこと、ナチスのユダヤ人への6百万人規模のジェノサイドへの配慮から積極的に取り上げられないできたこと(粛清の規模がナチスをはるかに凌ぐから)を指摘する。彼は、これらにより今日まで積み残されている深刻な歴史認識上の問題を提起した。
 スターリンは、ナチスとの「大祖国戦争」で勝利したという「錦の御旗」で、ナチを凌ぐ大量虐殺を正当化していた。連合国の一員の仲間入りしたことも、ソビエトの異常性に見て見ぬ振りをする手助けになった。
    ちなみにこのロジックは資本主義国にわずかに残存する共産党が今も平然と口にするものだ。曰く「軍国主義に反対した歴史を持つ共産党への批判は決して許さない」。これをもって、軍国主義に反対しつつ同時に共産党の独裁主義をも批判する市民に対しては敵対勢力に対する以上に執拗に攻撃する…。いや、戦前も一般市民のほうがよほどファシズムと対決し、一方、共産党はソビエトの配下としてコミンテルンの指示に忠実に従っていただけにすぎない側面が強いのだが…。にも関わらず、共産党以外の一般市民は軍国主義の前にすべて無力だったかのように歴史を大きく捻じ曲げる努力も彼らの重要な生業となっている。全ては彼らの「現状」を合理化するレトリックに過ぎない。
 いずれにしても、スターリン主義による大粛清は、最近ようやくジェノサイド史のテーマとして遡上にのぼり始めたにすぎないという、驚くべき現実に読者は直面する。


ソビエトによるポーランド指導階級の抹殺
【参考資料】  映画『カチンの森』予告編 You Yube
http://www.youtube.com/watch?v=1o6yWgR2at8
 ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督の「カチンの森」。
 戦史研究者には良く知られているこの事件も、一般的な認知は低く、少し極端な言い方をすれば、「忘れられた国家の悲劇」ともいえる。
カチンの森虐殺事件とは、ソ連による史上まれにみる他国の正規軍兵士(しかも戦いをやめた兵士=捕虜)へのアウシュビッツ的な政治的抹殺行為です。
 ソ連は、ナチスドイツとしめし合わせて隣国ポーランドを侵略し、実際に街頭に宣伝カーを出して、「ソ連は平和のためにドイツからポーランドを解放しにきた。皆さんの味方だ。抵抗しても無駄だ。ま、ちょっと集まれ」というプロパガンダでポーランド軍将校を全部収容所へ押し込め、ベルトコンベアー方式で、その全部を虐殺した。一方の悪役を強調して、自らの悪徳性を隠蔽・美化し、民衆の警戒心を麻痺させながら同様の悪行を冷酷に実行してはばからない…。実に姑息でずる賢い宣伝煽動手法だ。結果、殺されたポーランド軍将校の捕虜とポーランド社会の指導層の人々は2万2千人。それ以外の一般兵士の抹殺を含めると多すぎてカウントできないらしい。連行された兵士と生還した兵士の引き算の差が10万人を越えるという計算もある。
 戦闘での死亡ではなく、捕虜として集めた他国の無力な兵士を政治的抹殺という手法でこれだけ大量にまとめて殺したのは、近現代では、ソ連共産党が唯一最大ではなかろうか? 専門の施設までつくって、家畜未満への冷酷さでもって大量に処刑されたポーランドの将校達の無念の思いは、天空を覆い、永遠に消えることはない。ナチのアウシュビッツの犠牲者。そしてシベリア抑留の犠牲者とも重なる。
 ヨーロッパ史、いや世界史でこの70年隠蔽されてきた歴史の暗部を抉り出した大作である。この映画をみれば、一見勇ましく見える全体主義的イデオロギーに浮かれて快感を得たり、共産主義イデオロギーが反権力&反体制のカケラだと信じている信奉者の底知れぬ愚かさがすぐに理解できる。
  そういう意味で日本人は、ヨーロッパが先行的に経験した悲劇をもっと学ぶ必要があろう。
BOOK  
 『カチンの森~ポーランド指導階級の抹殺~』みすず書房
NHK-ETV特集 アンジェイ・ワイダ「祖国 ポーランドを撮り続けた男」
http://www.youtube.com/watch?v=JmlJnS8-0fM ~人生の最後にカティンを撮る理由~

600万人分の監視記録
【参考資料】 スターリン主義/KGB=ナチズム/ゲシュタポ=東ドイツ秘密警察/シュタージ
 かつて、ヒトラーが率いる国家社会主義ドイツ労働者党は、党内が独裁であったにもかかわらず、大衆の不満をたくみに利用しつつ、合法的な選挙を通じて第一党となり、ドイツ社会全体にその内部統制=全体主義的マインドコントロールイデオロギーによる独裁制を一気に拡大した。
  当時のドイツ共産党とても同様で、彼らもプロレタリア独裁(執権と言い換えようが同じこと)の思想であり、当時の多数労働者の党である社会民主党を徹底的に攻撃し、自らのセクト的利害のみを徹底追及、そればかりか、交通ストライキなどではナチスと共闘することも厭わなかった。後にナチスが共産党を弾圧したことをもって、両者は異質であるかのように表現する向きもいるが、この見方はきわめて表層的である。両者は、政治手法的には、極めて似通っており、ナチの幹部はドイツ共産党の手法を賛美し、それを真似たことが指摘されている。
  だからかどうか、ドイツではナチスも認めないが、同時に共産党も事実上存在しない。共産党は解散し、ドイツ統一後に、その残党は、「ドイツ左翼党」へ合流した。
  しかし、この「左翼党」は、現在もおぞましい問題を抱えている。
  同党には、拷問と密告で悪名高い旧東ドイツ秘密警察「シュタージ」と、旧東ドイツの社会主義統一党のメンバーが紛れ込んで隠然たる影響力を行使している。それらが、失業者と不満勢力の囲い込みを通じて、ドイツ社会全体にその息を吹き返そうとしている。
  実際、「左翼党はかつてのナチスと同じ」として、政党活動そのものの禁止を求める旧東ドイツの市民も多い。かつてのヴァイマール共和制を崩壊に導いた「同じ穴のムジナ」として、また、市民への残酷な弾圧を行った秘密警察国家の復活に繋がる(当然、左翼党は、表向きそれらを否定しているが)勢力として、厳重な監視下に置かれている。

 東ドイツ市民へのスパイ密告制度と拷問弾圧支配を続けたシュタージ(国家保安省)は、人口一人当たり換算で、ナチスの秘密警察である「ゲシュタポ」の12倍、旧ソ連秘密警察「KGB」の35倍の規模のスパイ監視網を構築していた。
  しかも、これは正規職員によるもので、市民の密告奨励によるものは換算されていない。スターリン主義=民主集中制の残滓は、社会が近代化すればするほど、市民同士をスパイとしてお互いに対立させて支配しようとする強烈な管理社会に行き着くことが明らかにされている。ドイツでは、近年「市民スパイ・密告」による一般市民への監視記録・600万人分が公開され、衝撃をもたらしている。
(閲覧は自由だが、この規模の監視体制の下では友人や親戚など近親者がスパイをしていたケースが発覚するため、その事実を知る事自体を躊躇う市民が少なくないという。民主集中制という名の全体主義体制が愛好する監視社会の後遺症は世代を越えて人間を苦しめ続ける。)


 ちなみにわが国でも異論を唱える市民への監視記録を配布するような「自称:民主団体」なるものが普通に存在する。

http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/yamadasi-jinkenkyusai-mousitatejiken.jpg
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/jinnkennkyuusai.htm

 被害者から頼まれ、善意の気持ちから被害者を助けた支援の一市民が、「被害者団体」のあり方を批判すると、
「被害者団体」が機関紙の一面全部を使って一市民を名指ししてウソ羅列の徹底的な人身攻撃をした。
   結局、市民から告訴された「被害者団体」は名誉毀損の不法行為で有罪判決が確定した。
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/nose-sosyou-stage2-kousosin.htm


映画 『クロッシング』 予告編
http://www.youtube.com/watch?v=ZA4H2O7D1qQ
脱北者の逃避行ルートをリアルに追った人権侵害告発映画



脱原発一本化を拒否した共産党に対する鎌田慧氏の批判の衝撃

http://bylines.news.yahoo.co.jp/amakinaoto/20140129-00032088/

そもそも、かつて共産党が多様な民主主義を尊重したことがあったのか?とか…コミンテルンでのディミトロフ演説の位置づけをどう見るか?とか…、そんなことはこの際どうでもいい。要は、鎌田慧氏が共産党のDNAとも言えるセクト主義をわかりやすく衝いたことに関しての、とても興味深いオピニオン。
  (セクト主義に見えて要所では自民をアシストしている行為は既にバレている→http://takuki.com/dsk/015.htm )
市民運動の新しい層が共産党の本質を再認識し始めたのは大変結構なことだ。

共産党の、百年以上変わらぬ思考回路と作風

共産主義イデオロギーの要点を簡潔にまとめると、「共産主義はすでにマルクス様が法則的に決定しているとおっしゃった人類の最高にして最終的な到達点であり、共産党は、そこへ無知な民衆を導く領導主(自称:前衛)である」と自己規定をし、自己暗示をかけ続けるイデオロギーである。

20世紀後半からは、この自己暗示システムだけがこの党の組織支配原理として残存し、共産主義を実際に実現しようなどと大まじめに考えている構成員はもはや存在しないだろう。だが、これでは党名との整合性が取れないので、党側は、共産主義の定義そのものを原典から変えてしまい「共産党が議会で第一党になる事がまず共産主義への手始め」と規定しているから、「共産主義を目指している」と自称しても矛盾を感じなくさせている。ひたすら「党勢拡大の宣伝活動」をすることが「日本革命の崇高な使命」だと思い込めば、自省能力の成長は抑制され続ける。ただ、理屈的にはどうひっくり返っても、共産主義を口にしている限り最終段階では共産党一党支配(独裁)が登場するはずなのに、それは口にチャックしつつ、その論理構造が引き出す独善性にはしっかり影響を受けている。曰く、「われこそは唯一無二の平和と民主主義の党」「自分たちだけが正しい」...。事実にも反するこんな唯我独尊をクチにするから、幅広い視野をもつ人には?マークがいっぱいつくことになる。

実態は、美辞麗句で糊塗しただけの拝金主義な世俗政党

自らを「人類の理想へ導く前衛党」と “唯物論的、歴史主義的に” 規定することで、この組織は自らを、「人間社会の上位に立つ超越的かつ神格化された存在」にしてしまう。この一神教的世界観こそが、この党が、「支援という旗」を振りかざしながら近寄って行く先の団体へ介入や乗っ取りを画策し、そのためには言論弾圧、査問、政治的抹殺といったありとあらゆる不当な行為にためらいがなくなる思想的基礎をなしている。が、党員たちにはその自覚がほとんど無い。自党の根城を拡大することは理想郷に近づく重要な組織化活動と考えるからだ。実際には、拝金主義に基づく党生活者の利権確保と、それを美しく糊塗するためのプロパガンダを代行する盲従諸団体の生成・育成が目的にすぎない。

問題は、その「ここぞという時の」やり方が、普段から党内で慣れ親しんだ民主集中制の手法で、手段を選ばず偽装潜入とプロパガンダに狂奔し、正面から批判されようものなら徹底的に「反共主義者め!」わめき散らし、噛みつきまわり、誹謗中傷、恫喝、組織動員による威圧、政治謀略など見境のない手段を選ぶことである。乗っ取る際には、対象組織内部の市民的リテラシーに欠如したゴリ押しタイプの人間を橋頭堡に使い、用済みになればお得意の美辞麗句を持ち出し切り捨てるといった事にも躊躇いはない。徹底的な党利党略優先で突進する習性。これで乗り切ってきた「成功体験」が忘れらない。それを下支えするのが「民主集中制」という、民主主義を深く考えた事がある人にとっては笑止かつ幼稚で形式主義的な思考回路。“この統制原理を維持する限り組織は安泰”...これこそが、腐っても「共産党」の看板を降ろせない本当の理由だ。

全体主義イデオロギーを貫く「閉じた循環的な論理構造」

論理的・学術的に誠実たろうとする人々には理解に苦しむ循環理論を振り回す党であるが、一方、当事者はそ知らぬ顔を決め込んで、“資本主義の本格的変革の段階は数百年先“ みたいな発想で合理化するか、或いは、公の場での自党の終局目標についての議論からは逃げ出すという戯画的なものとなる。「共産党」を自称しながら、選挙演説などで「共産主義社会の実現を一刻も早く目指しましょう」の一言さえ聴くことが無いのはそのためだ。(マルクスの労働価値説を世界観の拠り所にし、経営者を階級敵と規定するなら、ブラック企業に限定することなく「生産手段を所有する経営者や農民から工場や土地を奪取する」本来の「カクメイ運動」に果敢に邁進すればいいものを、彼らが介入する対象は、もっぱら、市民運動や、住民運動、温和な労働組合運動ばかりだ。これを「数百年先かもしれない共産主義社会への準備」と思い込むのは勝手だが、「取らぬ狸の皮算用」を口実に、市民運動を引っ掻き回す事なかれ、である。)

国民からの批判に基づいて自己のイデオロギーの根幹を不断に見直すという思考様式は理解できないようだ。修正があるとすれば、いつも、自党の「党勢拡大」「プロパガンダ」の都合からだけである。
(ちなみに、「教宣」なんて言葉は正式な日本語でもないし、この言葉を安易に口にする人はプロパガンダに片足を突っ込始めているとの自戒が必要だ)

そもそも、この思想の基礎をなす唯物弁証法的歴史観には、「開かれた改善サイクル」を可能にする修正回路が埋め込まれていない。(「人類の終局目標である共産主義体制」という看板を修正すれば、そもそも共産党の存在理由がなくなるのではないか、という自己暗示型の循環理論の罠)このような意味で、獲得した党員を精神的にがんじがらめに拘束する強烈な機能を有しているのも事実。いわゆる「官僚の無謬性神話」もたちが悪いが、外部からの批判に耳を貸す必要性を認識できないという点では、カルト宗教的イデオロギーに酷似している。
これは、自己完結型理論がもたらす大きな罠であり、ポパーや、アーレントが明確に指摘した「無限の世征服運動に突き進む全体主義運動」の核心的論理構造である。

それゆえ虜になった人間はカルト宗教団体やマルチ商法の信者よろしく、思考停止のまま、実によく党のために働く。これも党幹部が「共産党」の看板を降ろせない蜜の味の源だ。


マルクス・レーニン主義的思考回路は市民主義的資質とは無縁

末端党員は、組織中枢の腐敗構造を直に見る機会でも無い限り、自党の問題点に気づくチャンスはほとんど無い。機関紙を読まされ続けることで、“「前衛党」の下働きをすることが社会変革への最短の道”  という、市民的資質の欠落した思考方法と特有の独善的(前衛党無謬論 的)思考方法が不断に植えつけられる。

組織内でマスターベーションをしている間は、自由と民主社会の寛容証明書への寄生虫みたいなもの。
だが、この「一枚岩的」民主集中制の統制権力の機能を知り尽くしている国家権力は、最悪の公害事件などに際して住民・市民運動が激発したときには、運動への骨抜き工作代わりに代行利用をはじめる。そのあざといやり口は、深い傷となって半世紀を経てもなお国民の記憶の中に刻みこまれている。それは以下の事例にも端的にあらわれている。


水俣病闘争の現場に立った渡辺京二氏は、石牟礼道子さんの書籍で以下のように看破する。

「日共水俣市委員会は…ビラを織り込んだ。これは、…チッソの責任追及など申し訳にすぎず、彼ら (※日共) の水俣病問題に対する基本的認識が〝水俣病と安賃争議のために水俣はさびれた、これをなんとかしなくてはならぬ″  という、チッソが陰に陽に流し続けた、患者と水俣工場第一労組の労働者を圧殺するためのイデオロギーの完全なとりこになっていることを、白日の下にさらすものであった。…日共の数々の愚行はいまさら問題にするのも沙汰の限りではあるが、この声明は愚行などという生易しいしろものではなく、決死の闘いに立った十八家族への背後からの一刀であり、政治的犯罪の極北を示すものである。」
                       出典:石牟礼道子編「水俣病闘争 わが死民」

容赦ない厳しい憤りに満ちた筆致だ。それほど日本共産党が犯罪的な立ち回りをしたからだ。当時の水俣病患者の情念を共有した人間だけがわかる、腐敗した民主集中制党派への怒りのツブテといえるだろう。


■歴史ドキュメント/TVシリーズ【ソビエト社会主義共和国連邦の歴史的大罪】
 【スターリン主義の本質はマルクス主義の「歴史の法則的発展観」に既に内在している】
 民主集中制の本質が「視える化」された状態に過ぎない

 ■スターリン恐怖政治 「公開裁判」「粛清」「見世物裁判」
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「チェーカー」 ウラジーミル・レーニン直属秘密警察組織
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共産党暗黒白書、「二千万人大虐殺」
 ■ソビエト強制収容所
 ■スターリン恐怖政治 強力な個人崇拝とプロパガンダ
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ソ連邦の統制でスターリン崇拝を強要されたバルト三国の悲劇
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家族を密告した「少女オーリャ」
 ■キリスト教會弾圧「宗教は阿片なり」

市民運動のなかでも、自己中心的な価値観からの運動は多くみられますから、どこからの批判であっても真摯に耳を傾ける必要があると思います。
批判の中身を吟味し、十二分に公開された場で、公に公開された情報を共有しながら、フェアな討議をおこなっていくことこそが必要です。

たとえば、原発などのような施設を、長年、日本の貧しい地域に押し付けておいて、数千億円もの交付金で、一種のシャブ漬けにしながら、耐久年数いっぱいいっぱいまで稼働させた結果の電気をじゃぶじゃぶ使ってきた、我々日本人の壮年層以上の人間が、これまで自らの生活や事なかれ主義で生きてきた生活様式と人生に深刻な反省もなく、原発が破裂したとたん、思いついたように反原発を唱え始める姿。
多くの人は「原発が危険だなんて知らなかった」といいます。そうでしょうか?原発が貧しい地域に巨額の交付金と引き換えに設置されていったこと、反対運動が各地であることを、本当に、そういう方々は一切知らなかったのか? 急に善人ぶるのはやめにしたほうがいい、という意見もあります。

変化は大変結構なこと。そして、もちろん気づいた人が変わっていくのはいいことですが、依然として、電気をじゃぶじゃぶ使いながら、文明生活を甘受し、たとえば、その施設の出す核のゴミなどの処分場の設置などが自分の地域に来ることに関しては問答無用、死んでもゴメンだという考え方が市民の発想の中に当然のようにあるとしたら、それこそ本質的なエゴにつながる話ではないか? 多かれ少なかれ、原発を「迷惑施設」と知っていながら、自らに火の粉が降りかからないうちは、「三原則をまもって安全運転してくれればいいのに…」というまさに長年の共産党的な折衷論的言い訳を頭の隅に維持しながら、多くの日本人が、見て見ぬふりをしてきたのでしょう。この折衷論は、市民のなかにもある怠惰な思考に取り入り、それを加速させる負のアクセルを演じてきたといえるでしょう。

そして、それが、福島県民をまとめて棄民にしたり、福島の製品をじゅっぱひとからげで排斥したりする発想になっているとしたら、それは、いかがかと思います。風評被害といいますが、壮年層以上の人間は道義的意味で安全が確認された関東以東の製品を購入すべきだし、(子供、青少年、青年層は例外)、そのうえで、しっかりとした責任意識(ある意味、緩やかに自分の命をかけて)をもって原発の存続に意見を提示すべきとの意見も、市民は真剣に議論すべきでしょう。

そして福島県民の中にも「浜通りの人間が金欲しさに原発を誘致して、俺らは大迷惑だ」という差別意識に基づく思考があるとすれば、それも同列に批判されるべきでしょう。

電気をじゃぶじゃぶ使って「先進国の住民」を気取ってきたという事実は多くの日本人にあります。その事実をどう受け止めるかについて、ヒトとしての反省がなくば、それは、真の意味で道義的かつフェアな問題提起となならないでしょう。

近年ごたまぜ感満載の「ウイキペディア」にはとりあえず以下のようにあります。(抜粋)
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…(前略)1920年に開かれたコミンテルン第二回大会は「プロレタリア革命における共産党の役割に関するテーゼ」を採択し、その中で「民主主義的中央集権制の基礎的原則は、党の上級団体が下級団体によって選挙され、党の上級団体の指令一切が絶対的に、かつ必然的に下級団体を拘束し、大会と大会との間の期間、一切の指導的な党の同志が一般にかつ無条件にその権威を認める、強い党の中心が存在すべきことである」と規定した。軍隊的な上意下達に基づいた党規律を民主主義的要素よりも優先し強調したこのような民主主義的中央集権制がコミンテルンを通じて各国の共産党に広がっていった。

さらに1921年の第10回党大会で採択された決議「党の統一について」は党内において分派を形成することを禁止した。それでも1920年代には党内にトロツキー派やブハーリン派などの反対派が存在したが、スターリン派によって一掃され、1930年代の大粛清において次々に処刑された。共産党は指導部に対する批判をいっさい許さない組織へと変わった。このスターリン時代の党組織原則を民主主義的中央集権主義と区別して一枚岩主義と呼ぶ見解もある。

しかし共産党自身は自らの組織原則を民主主義的中央集権制と呼びつづけた。1934年に改正された党規約第18条も「党の組織構成の指導的原理は民主主義的中央集権制」と規定しており、その内容として以下の四つの項目が挙げられている。(1) 党の上から下までのすべての指導機関の選挙制 (2) 党組織にたいする党機関の定期的報告制 (3) 厳格な党規律、ならびに多数者への少数者の服従 (4) 下級機関および全党員にとっての上級機関の決定の無条件的な拘束性。

1977年に採択されたソ連憲法は国家の原則として民主主義的中央集権制を採用し、第3条で「ソビエト国家の組織と活動は、民主主義的中央集権制の原則、すなわち、下から上までのすべての国家権力機関は選挙によって構成され、これらの機関は人民に対して報告義務を負い、上級機関の決定は下級機関にとって拘束力をもつという原則、にしたがってうち立てられる」とした。

中国共産党における民主集中制

中国共産党の党規約では、「総綱(前文)」において「民主集中制を堅持すること」を党の原則として掲げている。 さらに第十条に民主集中制の具体的な内容を明記している。(以下省略)

1958年の日本共産党規約では以下のように記載した。

(3)日本共産党の組織原則は、民主主義的中央集権制である。党は民主主義の原則と中央集権制の原則を正しく統一する。 党内民主主義の保障、かっぱつな党内討議は、党員および党組織の積極性と創意性をたかめ、党生活を生き生きとしたものにし、自覚的な規律をつくるとともに、党内のゆたかな意見と経験を集約し、党員の認識をひろげ、個人的指導を排して集団的指導を実現し、党の指導力をたかめるためにかくことができない。 しかし、このような党内民主主義が、党の中央集権制と結合し、その基礎となって、はじめて党が全党員と全党組織の意志と行動を統一して強力な実践力を発揮し、どんな困難にもうちかち、党と人民の敵にうちかつ戦闘的組織となることができる。 決定にたいしては、少数は多数にしたがい、下級は上級にしたがい、積極的にこれを実行しなくてはならない。 こうして、党内民主主義は中央集権制のもとにおける民主主義であり、また党の集中制は、党内民主主義を基礎としてはじめて強固なものとなる。したがって、党員は党内民主主義を無視し、党員の創意性をおさえる官僚主義や保守主義とたたかうとともに、集中的指導をよわめる無原則的な自由主義や分散主義とたたかわなくてはならない。 党の指導原則は、集団的な知恵と経験にもとづく集団指導と個人責任制の結合である。(4)民主主義的中央集権制にもとづき、党員の自覚と厳格な規律による全党の統一と団結こそは、党の生命であり勝利の保障である。したがって、すべての党員は、いかなる場合にも党の統一をかたく守らなくてはならない。意見がちがうことによって組織的な排除を行なってはならない。また党規律をみだし、決定を実行せず、統一をやぶり、派閥をつくり、分派活動をおこなうことは、党を破壊する最悪の行為である。党内では、党の政治方針や組織原則をそこなうような行動はゆるされない。— 日本共産党規約(1958年)

1975年12月に『文藝春秋』で始まった連載「日本共産党の研究」において、立花隆は暴力革命・プロレタリア独裁・民主集中制をレーニン主義の三位一体の原則だと指摘した。その上で、日本共産党は暴力革命を否定し、プロレタリア独裁の意味内容を換骨奪胎したが、民主集中制は捨てていないので体質は変わっていない、と主張した。また、民主集中制の背後には大衆に対する不信とエリート主義がある、という見解を示した。日本共産党はこれを「反共攻撃」と見なし、「民主集中制は、勤労大衆に責任を負う近代政党の不可欠のメルクマールである。党内派閥を認めず、三十数万の党員が一つの路線、方針にもとづいて多彩に積極的に活動している日本共産党は、もっとも近代的、合理的で、活力ある組織政党である」などと反論した。

2001年に刊行された日本共産党の党規約解説本では、民主集中制はあくまで共産党内部の原則であり、同党が政権獲得した場合、日本社会全体が民主集中制に移行させられるという批判に対して「われわれ自身の内部規律だということを、しっかりとおさえて反論することが大事です」と述べている。

レーニンの民主集中制に対してローザ・ルクセンブルクは「プロレタリア独裁がプロレタリアートに対する独裁に転化する」として批判した。

永山博之は、まずプロレタリア独裁は「広い意味でのデモクラシーの流れの一部」だが「個人の自由の保障という考え方はない」とし、次に民主集中制は「前衛党が誤った判断を下した場合、それを是正する仕組みは存在しない」として、「プロレタリアート独裁体制が実質的に共産党独裁や共産党の頂点に立つ個人(書記長、総書記)の独裁に転化していったことは、このような制度が必然的にもたらす結果」と記した。
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例によって玉虫色の解説となっているが、コミンテルン型共産党の組織原則を象徴するものであることだけは明白である。と同時に、選挙という制度を形式的に取り入れているだけで、民主主義への理解は紙より薄そうである。

特に 「2001年に刊行された日本共産党の党規約解説本では、民主集中制はあくまで共産党内部の原則であり、同党が政権獲得した場合、日本社会全体が民主集中制に移行させられるという批判に対して「われわれ自身の内部規律だということを、しっかりとおさえて反論することが大事です」と述べている。」 という内容は、もし事実なら、ナチス政権誕生の負の教訓を忘却した御都合主義的解釈の頂点とも言えるものだ。

でも、このことに未だ疑問を感じない日本人が党員・シンパという形で結構いるらしい。さて、どうしてでしょう。

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