【労基署の是正勧告を無視し社員を3度も殺す電通】
 広告代理店「電通」に強制捜査のメスが入った。
 私は、若いころ、月60~70時間残業で同僚の20代の女性が過労死する現場に遭遇したことがある。ある寒い冬の朝だった。その時の光景は今でも鮮明に覚えている。いたたまれない思いをした。密度の濃い仕事をしていれば、月60時間でも人はあっけなく死ぬ。翻って、このたびの遺族の悲しみはいかばかりか…。このような現場を放置する組織体には、殺人企業の名がふさわしい。
 電通は、女性新入社員の高橋まつりさんを昨年2015年12月25日に過労山陽新聞1面記事 電通に強制捜査死自殺に追い込んだ。(今年9月に労災認定)だが、電通は既に1991年にも社員を過労死自殺に追い込んでおり、3年前にも男性社員が過労死している。まさに次々に人を殺す会社である。2014年には労基署から是正勧告を受けたにも関わらず、改める姿勢もなく、第3の被害者を生みだした。
 強制捜査に及んでも電通社長は、違法残業を愛社精神にすりかえる演説をし、一向に反省の色が見られない。NHKのインタビューには、電通社員が顔を隠さずに登場し、「自浄能力はない」と言い切った。
 これまで、長時間残業の場合は「過労死」という形で現れていた。だが電通の場合は、過労死から自殺に展開している。1991年のケースは過労からくる欝症状による自殺と認定されたが、話は単純ではない。高橋まつりさんの生前証言からは、会社から執拗に人格を貶める罵倒めいた扱いをうけていたことが明らかにされた。精神面から社内体制に屈服させる行為が続いていたと思われる。91年に自殺した男性に対しては、靴に入れた酒を飲ませるという軍隊でもやらないような「奴隷化教育」が行われていた。
 ブローカー業のイメージを払拭したいがため、「電通十則」よろしく「社会を裏からかき回す」とホラをぶら下げつつ、徹底的に屈辱を与え奴隷精神を養うというのは、カルト集団に見られる古典的な洗脳マニュアルだ。それを社員に対して実行していた。そして社員を何人殺しても、是正勧告を受けても、姿勢をあたらめない…。強制捜査を受けても、そのコメントで社畜を肯定し続ける。先の若手写真の「自浄能力なし」はそういう同社の体質を一言で言い表したものだ。
 だが、これは、今に始まったことではない電通のDNAだ。

【戦争遂行=大本営発表の広告部門=電通】
 電通は、戦前の国策会社「日本電報通信社」の広告部門だった。同社は大本営発表を垂れ流し国民へのプロパガンダを続けたことから関係者は公職追放となった。だが、広告部門はお咎めなしで分離独立し、「電通」として存続する。これが電通の出自だが、彼らが社会犯罪に最初に手を染めたのが、おそらく森永ヒ素ミルク中毒事件だ。なぜか? 彼ら自身がそう語っているのだ。

【電通の社会犯罪の原点=森永ヒ素ミルク中毒事件】
 1955年に発生した森永ヒ素ミルク中毒事件に関しては、何度も書いてきたが、森永は電通を下請け、いやそれよりも上級のパートナーとしてタッグを組み、国民を騙し、事件を封殺した。こんな行為は、悪徳資本でも普通は、こっそりと語るものだが、森永は敢えておおっぴらに自慢する企業だ。
 森永乳業は、事件発生以来10数年にわたる被害者家族への弾圧政策を、自社の社史『森永乳業五十年史』(1967年刊行)に、自慢げに、活字でもって記述している。それは、森永乳業の幹部が、森永製菓の社員から電通の常務に成り上がった人物と対談している記事だ。金の力でもって行政や医者やメディアをいかに見事に手なづけたか、そのほんのサワリの部分を、実名で書いている。それどころか、なかば井戸端会議風にチャラケたしゃべりを織り交ぜながら、自社の「栄光の所業」としている。大殺戮の自社犯罪を封殺し、被害者家族の悲痛な声を世論操作で「平定」したことを自慢している。

【なぜ鬼畜な対談を社史に掲載できたのか?】
 森永は、1955年に自らが犯した乳幼児大量虐殺を金と権力で封じ込めたつもりになっていた。事実、「守る会」を結成して闘いを継続するのは岡山をはじめとする数名の親だけになってしまっていた。(だがこれがその後の再起の鍵になる) そのように被害者の親を完膚無きまでに叩きのめしていたのだ。
 つまり彼らは、事件発生から12年後の1967年には、二度と被害者の親が再起することはないと確信し安心しきっていたのだ。だから内心大喜び・余裕シャキシャキで活字にまで残したのだ。彼らは12年目に大量殺戮の歴史を正邪逆転させて、欺瞞の歴史に作り変えようと決断し、実行した。いわゆるナチスばりの「加害者の栄光の記録」であるが、その感覚・執念はどこからくるのだろうか?
 おそらく、事件当時の森永の実態は、金の力で政治家に取り入っているだけの話だが、それが成功しすぎた。事件当時作られた被害圧殺の構図は異様に力を発揮しその後の水俣病や現在の福島でさえ威力を効かせている。そのうち「政治(家)をいつも自社が従えている気分になっている」森永グループ全体の勘違いのDNAが作られたと思われる。電通をファミリーのように飼ってきたのもまた森永乳業であり森永製菓だ。 その「悪魔の対談」の原文は以下のサイトに掲載されている。
  http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-dentsu-sennou-dairiten.htm

【初期の御用ムラの成功パターンを日本全土に拡大】
 もちろん実名で登場するのは、ごく初期に事件に関連した関係者であり、ほんの氷山の一角だ。その直後から、ほとんど全部の医学界、メディア(新聞、テレビ、あまたの雑誌まで含む)が、一部の悪徳資本と下請け代理店の悪知恵による10年以上の用意周到の戦略戦術でコントロールされた。この事実は他にも多数記述されている。
 ちなみに、森永による被害抹殺の事実は、証拠とともに
 http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-jiken-no-jissou-syousai-hm1.htm
 に膨大に記録されており、最新の関係者のふしだらな状況は
 http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/bookmotomeruyuusi.htm でも知ることができる。

【「森永への感謝キャンペーンのウソ」を指弾した公刊書籍】
 また、これらのプロパガンダの一端は、ドクター苫米地で知られる苫米地英人氏によりすでに2012年に刊行された『洗脳広告代理店 電通』でも、森永ヒ素ミルク中毒事件に関わるプロパガンダが取り上げられている。同書は、電通がありとあ洗脳広告代理店 電通らゆる業界へ触手をのばし、その過程でスポンサーからの依頼で人道への罪を犯しておきながら、お咎めなして跳梁していることを、細部にわたって述べている(もちろん、証拠を残さない金の授受やエージェント論には著者自身、“正確には推論”として但し書きをしている。)。
 森永事件の場合は、その癒着は確実であり別格だ。なぜなら前述のごとく、当時の電通常務が自から進んで、被害者家族圧殺の手法を語っているのだから。
 同書は、すでにベストセラーとなって久しいが、特筆すべきは、森永がその代理人を利用して、この60年以上、間断なく展開してきた「森永に感謝しましょう」なるキャンペーンのウソを普通の感覚で見破り、指弾しているところである。翻って、この程度のことが見破れない一部の向きは、普通人の常識感覚が相当に麻痺していると自覚すべきだ。
 いずれにしても、森永乳業が主役となって、行政役人と学会、メディアを取り込んで被害者家族を弾圧し、犯罪に手をそめたが、その所業の媒介物として、森永製菓から続く電通役員が系列人脈でトライアングルとなって共犯した。そして、少なくとも製菓─電通ラインは、企業犯罪封殺にプロパガンダで手を貸しておきながら、今のところ、なんの反省もせず、制裁もうけていない。それどころか、社員の頭上にまで、その災厄がふりかかっている。

【犯罪企業の高感度をあげるプロパガンダの下請け】
 日本社会は、このようなウソと罪にまみれた広告代理店をバラエティで、「憧れの会社」といい続け、「電通社員との枕営業」までをも恥も外聞もなくタレントや女子アナの口を通じて垂れ流す。もちろん、お笑い自体は罪もないし有意義な文化だが、そこにはウソも含めて何もかもが許されるという独特のコードで、視聴者の理性を狂わせるタグがこっそり埋め込まれる。その挙句、オリンピックまで任せてしまった。
 真の闇は、実はすでに明らかになっている。そして皆が口をあんぐりさせるような悪徳は、既にほとんど白日のもとに明らかにされている。だが何十年たっても明らかな事実をみて是正しようとしない社会は、同じ誤りを繰り返し、次第に衰退の一途をたどるだけである。

 一部の悪徳資本と学会、行政、電通の癒着、それに絡んで、悪知恵の固まりである一部資本を礼賛しながらおこぼれに預かる自称革新党派、メディアの一部不良記者のランチキ記事。こういった、がんじがらめの共犯関係が成立している。それら無数の小さな腐敗は、「悪貨は良貨を駆逐する」式の連鎖でどんどん社会を疲労させていく。アカが積もり積もって、平和や安全のスローガンを唱えているその足元から、殺人が引き起こされ、市民の小さな幸せを根こそぎ奪っていく。それをただ怖れるのみだ。

電通 洗脳広告代理店 2012/2/14 苫米地英人
「大スポンサーを守るために敷いた報道規制」
書籍の趣旨からは、電通が主役として書かれているが、言うまでもなく、主役・主犯は加害企業とそのクローニー(取り巻き)である。
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電通&森永 事件抹殺の手口
『洗脳広告代理店 電通』から引用P.116~P.119

「…前略…
大スポンサーを守るために敷いた報道規制

 1955年、森永乳業の粉ミルクを飲んだ1万3000人もの乳児がヒ素中毒にかかり、約130人が死亡するという事件が起こった。原因は、森永が粉ミルクに使用した添加物にヒ素が含まれていたためだった。

 森永の粉ミルクを飲んだという共通点か明らかだったにもかかわらず、発生当初は奇病扱いされ、森永の責任か問われるどころか、囚果閉係も認めようとはしなかった。そこに電通が深く関わっていたことが発覚し、世論から大きな非難を浴びることになるのだが、結局、森永が自社の粉ミルクに混入したヒ素が原因だと認めたのはなんと15年後の1970年。それまで森永は賠償どころか、事件を闇に葬ろうとする動きすら見せたという。

 しかも、ヒ素混入の事実とそれか原因で多数の死者が出たことは認めたが、納入業者の責任であり、自分たちには責任はないと主張した。

 この事件で電通がまずやったとされるのが報道規制だ。もちろん、森永は多くのメディア(この当時は新聞が主流)にとって大スポンサーである。ということは、電通にとっても上得意様ということになる。森永を守ることで、通常の広告費とは別に、森永から電通に工作費用が流れた可能性も否定できない。

 さらに、何者かが積極的に森永へのポジティブキャンペーンを開始する。被害者の声として、「森永の処置には十分満足している」「森永には感謝している人がたくさんいる」「騒いでいるのは一部の人だけである」などといった言説をメディアを通じて広めているのだ。森永単独でできることとは思えない。電通が介在していると考えるのが自然だろう。

 ちなみに約30年後、この森永ヒ素ミルク事件を強く意識したと思われる「グリコ・森永事件」が起きている。犯人は脅追文の中に「森永 まえに ひそで どくの こわさ よお わかっとるや ないか」と書いている。

 電通が大スポンサーをかばって報道規制をしたと疑われるケースは、この森永ヒ素ミルク事件に限ったことではない。明るみに出たものとしては、1965年に起きた大正製薬の風邪薬ショック死事件がある。大正製薬が発売した風邪薬を服用した人に死亡事故が多発したのである。

 この時代は1955年当時と違い、メディアの主流はすでにテレビに移っていた。電通は大口のテレビスポンサーだった大正製薬を守るべく、テレビ局にこの事件の報道を規制させた疑いがある。

 戦後10年ほどですでにメディアに対して大きな力をもっていた電通は、その後の10年で新聞からテレビへと力の入れどころを変えながらも、その力は衰えることを知らなかった。

 また、大正製薬の風邪薬ショック死事件の直前には、電通がさらに大きく成長するための国家的巨入プロジェクトが進行していた。
スポーツイベントヘの進出

 電通が大きく成長した国家的大プロジェクトとは、1964年の東京オリンピックである。」…以下続く
(注:1970年には森永は罪を認めていない。森永の意に反してようやく刑事裁判で有罪判決が出たのは1973年。事件発生から実に18年後のことである。)
【参考資料】












http://morinaga-hiso.blog.jp/