官僚組織の究極の理不尽と矛盾関係をえぐり出す稀有な一冊
 昨年の終戦記念日に放映されたNHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」のディレクター田中雄一氏の著NHKスペシャルノモンハン 責任なき戦い 書籍作。放映で出せなかった肉声と豊富なエピソードが紹介されている。この戦争の全貌が新書版という手ごろなボリュームで、なおかつ著者の主張ではなく、一次資料からの事実展開で把握できるように工夫されている。取材時に発掘された、軍指導部層の肉声テープが書き起こされ、貴重な歴史証言として記録されている。これまでにない稀有な形式の著作といえる。ノモンハン事件研究のこの20年の成果も簡潔におさえられており、さらに新しい事実が公表されている。お勧めの一冊だ。私の下手な書評で著作の意義を減じてはいけないので、以下、同書自身の言葉をかりて、最小限のご紹介。

第二次大戦、日本軍大敗北の「序曲」が、ここにある   
    村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』のモチーフになった満洲北辺の戦争。「作戦の神様」「陸軍きっての秀才」と謳われた参謀・辻政信に率いられた関東軍は、なぜソ連・モンゴル軍に大敗を喫したのか。この悲惨な敗戦から、なぜ何も学ばなかったのか。NHKスペシャル放送時から話題沸騰の名作!
 辻政信が書き残した「遺書」の内容とは (帯コピーより)

放映されなかった肉声

 「殺してくれー、殺してくれー、言うのをね、ほんと、あれだったですわねえ。家族の者は、遺族の者はね、あっという間に小銃で一発で死んだだろうって思いたいじゃろうが、人間死ぬという段なら一発で死なんですよ。むこうがええ具合に心臓をパッって撃ち抜いてくれりゃあええけど、あんた、大腿部あたりでね、元気なもんもみんな死んだんですよ。出血が多い言うて。衛生兵は来るじゃなしね、軍医はおるじゃなしに。ほんとに惨めな戦争であったですよねえ」(歩兵第七十一連隊 曾根辻清一の回想=第三章「悲劇の戦場」より)


「悪の標本」といわれてきた関東軍参謀、その家族のその後…
 悪とはなにか? 当時の天皇制軍国主義ともいわれる全体主義のなかで、跳梁した関東軍の暴走と、参謀・辻政信の罪は、もちろん本書全体で描かれる。ソビエト政権側の事情もおりこまれていく。
 だがそれ以上に、この本の特筆すべき点は、NHKが、辻の遺族にも取材をしていることである。この部分、放送で出せなかった重要な逸話がたくさん紹介されている。辻政信の罪は大きい。太平洋戦争へ軍部が突入していく際にも辻は、アクセル装置として働いている。
 まさに辻は、戦争をしたくてしかたがない。戦争を繰り返す中にのみ、自らの存在価値を見出そうとした人物だ。実戦を見た、やった、撃たれた、ということを売り物に、軍事官僚組織のなかで下克上的な成り上がりを試みた人物だ。他方、それを制止しようとしても、「できなかった」という軍上層部のいかに情けない愚痴と言い訳が溢れていることか…。「下克上」といわれるが、当時の日本の軍事組織の根幹に病巣として巣食っていた日本主義的官僚主義(現在も例外ではない)ともいえるものが、辻や服部に、暴走のチャンスを与えたともいえるのかもしれない。

組織の歯車になり切り、三倍速を仕掛けた男の表裏
 本書では、辻が、家族にはどんな顔をみせていたか、までを抉り出した。これまで表に出なかった辻の家族。ここで、辻は、ある種の二面性をみせながらも、同時に、哲学的な死生観=「軍事組織内部で猛進した源泉」につながるメッセージを残している。それがありきたりなプロパガンダに見えないところが、まさに血肉一体化した彼の「首尾一貫」である。
 だが、家族の受け止め方はストレートで、言葉通りにみえる。ここに、辻の世界観が平時と戦時でかなり異なる顔を見せるという、普通人には、にわかに理解しがたい現象がある。
 だが、辻の世界観を形成した源泉とそれを具現化するプロセスは、(彼自身が無自覚なので)彼の言葉の中には決して出てこない。政治意識を形成している「アイデンティティ」の問題まで掘り下げなければ、辻の二面性は理解できないかもしれない。
 辻が、一部の向きで未だに愛好されているということにも悪しき日本主義的官僚制が見える。責任という概念を吟味せず、人を、ばらばらの要素に分解して、足して割って、平均化・曖昧化し、免罪していく姿。「辻は参謀としては失格だが、現場指揮官としては最高」という視点から、いまだにたてまつって継承している風潮もだ。日本主義的官僚制は無限ループ。ノモンハン事件は、軍事・歴史面以外にも、まだ多くの謎がある。

今に通じる息苦しさ。
 家族には平凡な一面を見せるこの辻という男が、軍組織のなかでは、消耗的殺戮を主導し、責任を現場にかぶせ、ひとり、軍隊のなかで愛国者の舞いを踊りきる。この構図はナチスのアイヒマン裁判を傍聴した女性哲学者であるハナ・アーレントの言葉「凡庸なる悪」というメッセージを思い出させる。彼女は、ドイツ・ナチズムだけでなく、ソビエト共産政権にも同じものを発見し、『全体主義の起源』(みすず書房)という大著を世に出した。
 「考えない普通の人間が究極の悪を実行しうる」。
 「アイデンティティの単数性の罠」にはまり込むと、私生活ではやさしい顔をみせる普通の人間が、政治生活では無限の悪をためらいなく実行できる。その表向きの「信念」の内容にはかかわりなく…。今の私たちの社会にそのままあてはまる、空恐ろしい教訓だ。
 この新書を、今の社会に息苦しさを感じているすべての人々にお勧めする。おそらく、多くの気づきが得られるだろう。

講談社現代新書 2019年8月20日  新刊発売中


NHKスペシャルノモンハン 責任なき戦いDVD【DVD同時発売】
昨年の終戦記念日に放映されたNHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」のセルDVD版が発売。ライナーノーツには以下のような記述がある。


「いま戦争を語るということ
ディレクター 田中雄一

 太平洋戦争の2年前、昭和14年に勃発した「ノモンハン事件」。日ソ両軍が旧満州の国境付近で激突、4万5千人の死傷者を生み出した実質的な戦争だった。この戦いは“太平洋戦争の序曲”とも形容され、日本陸軍という巨大組織の矛盾が露見した戦争でもあった。
…(中略)…
 遠い80年前の出来事を扱いながらも、現代の日本社会を意識せざるを得ないこともあった。ノモンハンの敗北の責任をもっとも苛烈な形で問われたのは、現場で命をかけて戦った将兵たちだった。…(中略)…一方で、軍の幹部たちは“知らぬ存ぜぬ”を決め込み、戦後も真相を語ることはなかった。
 現場へとしわ寄せがいく陸軍という巨大組織の体質、それは森友学園の問題などに揺れた昨今の日本の姿とどうしても重なって見えた。
 ノモンハン事件を取材していた作家・司馬遼太郎はある対談でこう語っている。「ノモンハン事件は古くて新しい。日本人の骨髄の中の病巣になって眠っている」。ノモンハンの教訓を生かすことなく、2年後の太平洋戦争で破滅へと向かった日本。一方、現在の日本社会はその教訓に向き合えているのだろうか。草原の戦いで命を失った無数の将兵の魂が、今も私たちに問いかけているように思えてならない」